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新年、澤さんらの勝負強さにあやかりたい

編集委員 篠山正幸

「結果がすべて」「何とかなるとか、楽しんでやろうとか、そんな甘い世界じゃない」……。女子サッカーの澤穂希さん(37)ら、3人のアスリートが残した言葉には「ここ一番」で力を発揮するための秘訣がある。みんながみんな、澤さんたちのような強い心を持てるわけではないけれど、新年、その勝負強さに少しでもあやかりたい。

11年W杯決勝で澤(右)が同点ゴール。ここぞというところで決める選手だった=共同

「結果がすべて」でチームけん引の澤

日本女子サッカーをけん引してきた澤さんが引退を表明したのは昨年12月17日。日本代表として205試合に出場し、83ゴールを挙げた。なかでも自身が一番のゴールだったと振り返る2011年ワールドカップ決勝延長戦での同点ゴールは右足アウトサイドで、角度のないところからという最高難度のシュートだった。

大一番でのゴール。ツキや奇跡、ましてや、もののはずみで起こる出来事ではない。

女子サッカーの地位を引き上げた功労者として、何が残せたかと尋ねられ「皆さん言ってくださるのですが、大事な、ここぞというところで決める選手というのもあったので、そういうところは伝えられたのかな、と思う」。

口ではなく、プレーで、結果でチームを引っ張ってきた。後輩に期待することやリオデジャネイロ五輪の予選に臨むなでしこジャパンへの一言として何度も口にしたのが「結果がすべて」という言葉だった。

なでしこジャパンを引っ張るという意識はあったそうだが「言葉で言っても伝わらない。実際グラウンドで結果を出す、そういう選手であれば後輩もついてきてくれるかなと思った」と言い、理屈でなく具体的行動で引っ張ってきた。

それを可能にするのは練習という実践しかなかった。

「練習で100%でやらないと試合で100%のものは出せない」と澤=共同

 「練習でも100%でやってきた。練習で100%でやらないと試合で100%のものは出せない。正直、練習で手を抜こうと思えばできないことはないが、私はそういうのが嫌いなので」

これはプロ野球の三冠王、松中信彦や日本代表監督、小久保裕紀氏らを育てた王貞治・ソフトバンク球団会長の指導理論にも通じる話。

「圧倒的に強かったから」五輪3連覇

練習ではミートに重点を置く監督、コーチが少なくないが王氏の指導は逆で、練習から120%の力でバットを振っておくことで、試合でやっと100%の力が出るのだ、という理論だった。松中ら長距離砲だけでなく、川崎宗則ら1、2番タイプ、あるいは下位の打者に対しても、腸がねじ切れるくらいのスイングを求めた。

競技は違っても、勝ちきる人たちには共通の"スタンス"といったものがある。

澤さんは「(後輩たちに)のびのびやってほしい気持ちもあるが、勝負に、結果にこだわってやってほしい」と言い残した。自分に言い訳を許さず、チーム競技でありながら、結果に対する責任は自分個人が負うのだという覚悟がうかがえた。

澤さんと同じく、昨年引退を発表した大物アスリートの一人、柔道家の野村忠宏さん(41)も、印象的な言葉を残した。

五輪3連覇をなし遂げられた理由について「一言でいえば、圧倒的に強かったからです」。昨年12月4日、スポーツとビジネスをテーマにしたシンポジウム「スポーツ イノベーション サミット 2015」(日経BP社主催)での一コマだった。

引退報告会であいさつする柔道の野村さん=共同

このシンポジウムではスポーツビジネスの将来像や、ラグビー日本代表の肉体作りを支えたトレーニングへのデータ応用、センサー技術を用いた野球のスイング解析サービスなど、さまざまな報告がなされた。

世界で勝ち切ったアスリートの経験が、企業の世界戦略にも生かせるのではないかとの視点から、パネリストとして発言した野村さんの一言、一言は強烈だった。

祖父も父も柔道家、叔父に五輪金メダリストという柔道一家に生まれた野村さんだが、高校までは無冠。見かねた家族や周囲から「もう柔道はしなくていい」とまで言われたという。

一つの技を磨き続け「すごい選手」に

中学や高校でチャンピオンになった英才たちのなかから、さらに淘汰されて残るのが五輪選手。それが王道とすれば「ずっと日本の3、4、5番手でしかなかった」という野村さんは「非エリート」のコースをたどった遅咲きの人だ。

しかし、無名の時代でもトップ選手になるための筋道は描けていたという。それは得意の背負い投げをひたすら磨き、「本物の技」にすることだった。

「勝てないから自信はなかったけれど、背負い投げを磨き続けて本物の技にできれば、3年後、5年後、あるいは10年後にはすごい選手になれるんじゃないか、と。そういう自分に期待して続けてきた」

現役を終えた今、実感するのは一つでいいから圧倒的に強いものを持つことの大切さだという。

天理大4年で出場した1996年アトランタ五輪では「無名」でノーマークだった面も手伝って優勝できたという。しかし、連覇を目指した2000年シドニー、3連覇のかかった04年アテネはそうはいかなかった。世界は野村さんの柔道を研究し、ルール変更があり、内外の若手も台頭してきた。日々、年々変わり、厳しさを増す条件を克服し、勝ち続けられた理由が「圧倒的な強さ」だった。

変化する環境に対し、自身も新しい技を身につけて変化した。しかし、常に基軸になっていたのは背負い投げだった。

背負い投げという100%の技があることで、80%までしか磨き込まれていない技でも、使いようによって100%の効果を発揮した。他の技を交ぜることによって、背負い投げが120%の威力を発揮した。

背負い投げという一つの技を身につける過程で、野村さんにはある能力が備わった。それは新しい技に挑戦するときの初期段階で、その技が自分のものにできるか、できないか判別できるという「身体的感覚」だった。そのおかげで、野村さんは合わない技はさっさと捨て、使える技を効率よく身につけることができたという。

すべての始まりとなったのは背負い投げという宝刀に特化し、極めた経験だった。シンポジウムでは起業家らが耳を傾けていたが、そこには生き方全般に応用できそうなヒントがあった。

「応援よろしく」とはお願いしない

澤さんは「結果がすべて」といった。野村さんが語った4年に1度の五輪の舞台の厳しさも、相通じるものだった。

柔道は1回戦から決勝まで、1日で競技を終える。4年に1度の特別な日に、心技体の3要素のすべてを合わせられた者しか勝てない。

「4年に1日のオリンピックにピークを合わせられるか。負けたらもう4年後しか取り返せない。日常には感じられないプレッシャー、不安、孤独と向き合う。何とかなるとか、楽しんでやろうとか、そういう甘い世界じゃない」

試合当日まで不安は残るものだそうだ。不安を断ち切れるものがあるとすれば、それは「この日のために、自分が積み重ねてきたものを思うこと」。それを自分に言い聞かせて畳に上ったという。

イチロークラスの魅力的な選手ならば、「応援よろしく」と言わずとも声援が送られる=共同

最後に、昨年1月、マイアミ・マーリンズへの入団会見でイチロー(42)が残した言葉を振り返っておこう。ファンへのメッセージを、と水を向けられて「新しいところへ行って、新しいユニホームでプレーすることになりましたが、これからも応援よろしくお願いします、とは僕は絶対に言いません。応援していただけるような選手であるために、自分がやらなくてはいけないことを続けていくということをお約束して、メッセージとさせていただきたい」

野球選手の「応援よろしく」は常とう句になっているが、言われてみると、魅力的な選手ならば黙っていても声援が送られるわけで、選手自ら声高にお願いする筋合いのものではない。

声援の有無にかかわらず、結果については自分の能力、努力が問われるもので、責任も最終的には自分一身で引き受けるものなのだという覚悟、孤独と向き合う強さ。

澤さんが澤さんであり、野村さんが野村さんであり、イチローがイチローであり、ほかの誰とも違う存在である理由がこのあたりにもあるようだ。

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