境界越えプロが指導 ブラインドサッカー、注目の試み
「ようやく」というか、「ついに」というか。主に視覚障害者がプレーするブラインドサッカー日本代表の新コーチに昨年12月中旬、日本サッカー協会(JFA)のフットサル部門でテクニカルダイレクターを務める小西鉄平氏(38)が就任した。日本ブラインドサッカー協会(JBFA)からのお願いにJFAが応え、現職を兼任しながら、ブラサカの強化を手伝う。健常者スポーツの団体が、組織として障害者スポーツの選手強化に協力する、日本では初めての試みとみられ、注目されそうだ。

■今までの延長線上では勝てない
ブラサカ日本代表は昨年9月に日本で開かれたアジア選手権で4位に終わり、上位2カ国に与えられるリオデジャネイロ・パラリンピック出場権を逃した。2020年東京大会での開催国枠での出場が、初めてのパラリンピックとなる。自国開催だからこそ、ぶざまな姿は見せられない。そこに向けて、どのような指導体制を敷くのか。JBFAが出した結論は、今までの延長線上では勝てない、ということだ。実は、これまでサッカー指導の専門家が、ブラサカ代表の監督になったことはなかった。
アジア選手権で日本代表の指揮をとった魚住稿前監督は体育教師で、盲学校に赴任した際にブラサカに出合って日本代表にも関わるようになり、12年に監督に就任。ただ、やっていたスポーツは陸上で、サッカーの経験はない。ブラサカの世界に長年浸ることで知識を積み上げ、4人の選手がダイヤモンド型に並ぶ守備陣形など日本のスタイルを築き上げた。それでも、課題の攻撃力の整備までは力及ばず、リオに届かなかった。魚住前監督の前の3人の代表監督も、少年サッカーの指導経験がある人が1人いるだけで、プロのサッカー指導者はいなかった。

今回、JBFAは「東京パラリンピックでメダル獲得」を目標に掲げ、それに向けた体制を構築するため、まず11月に新監督に高田敏志氏(48)を選任。高田氏は13年からブラサカ日本代表のGKコーチを務めていた。サッカースクール運営や指導者派遣の会社を経営しており、バイエルン・ミュンヘンやACミランなどでの指導者研修も受け、JFAのライセンスを持つ、プロの指導者だ。ただし、高田新監督の任期は16年10月末までの暫定。代表チーム部長も兼任し、20年まで指揮を任せられる、自分の後任を選ぶミッションも帯びている。リオを逃したからといって慌てて新監督を選ぶのではなく、5年後に向けて任せられる人材を、1年かけてじっくり選任するための「暫定」だ。
■日本代表へ深い技術の浸透期待
その高田監督が小西氏を招いた。小西コーチが勤めるサッカースクール運営会社での指導ぶりに目をつけたのが4年前。小西氏はJFAでもフットサルの指導者養成に携わり、ミャンマー女子フットサル代表の監督、FリーグのU-23(23歳以下)選抜の監督もそれぞれ1年務め、実績が評価されて昨年4月からはフットサルテクニカルダイレクターを務めている。
JBFAがJFAに小西氏を名指ししてコーチ派遣を要請したのが10月のこと。JFAは4月に障害者サッカー支援のため、ブラサカのほか脳性まひ者サッカー、知的障害者サッカーなどの団体を集めた「障がい者サッカー協議会」を立ち上げており、おかげでコミュニケーションはスムーズにいった。JFAではフットサル部門の責任者、技術委員会、そして大仁邦弥会長の承諾を得て派遣を決定、今回の人事が実現した。高田監督は「ブラサカが認められた」と感謝する。
小西コーチは今後、高田監督の補佐として、経験豊富な眼力で世界のブラサカの情報も分析し、日本代表が目指すべき方向性をつくり、それを具体的な指導に落とし込む役割を担う。JFAの仕事もこなしながらになるため、毎月の合宿に参加できるわけではなさそうだが、その指導力がJBFAのお眼鏡にかなえば、高田監督の後任として、20年まで指揮をとることもありそうだ。JFAの松田薫二グラスルーツ推進部長は「もしそれ(監督就任)を求められたら、ダイレクターの仕事がどうなっているかにもより、その時に考えることになるだろう」と語る。

小西コーチは12月21日にあった代表合宿に初めて参加し、じっくり選手たちの動きを観察した。高田監督はブラサカの常識にとらわれず、普通のサッカーの技術を取り込んで代表の個の力を上げようとし始めたところ。ドリブルも、通常の両足インサイドの間でやりとりするものだけでなく、アウトサイドも使うものに挑戦。またドリブル主体だった攻撃にパスもからめる。小西コーチは「ボールを持つ選手をいかにフリーにするか、フットサルやバスケットボールではスクリーンプレーといった研ぎ澄まされた戦術があり、(それを応用できるような)いろんな可能性を感じた」という。今後、サッカーの深い技術がブラサカにも浸透することが期待できそうだ。
■結局は「同じサッカー」なのでは
15年に大ヒットしたアニメ映画「バケモノの子」で描かれたのは、「渋谷」と別に存在する「渋天街」がある、というパラレルワールドの物語。障害者スポーツを取材していると、そのパラレルワールドのように感じることがある。同じサッカー、陸上、水泳であっても、障害者という接頭語がつくと健常者スポーツの同じ競技とは別世界。競技団体も別だし、その監督やコーチ、スタッフが互いに交わることなく、別個の世界を成立させて、干渉し合わない。
健常者スポーツの指導者が障害者スポーツを教えることがあっても、それは個人的に興味があって引き受けているだけで、競技団体が組織として派遣することはほとんどない。健常者スポーツの技術が導入されればうまくなるのでは、と思うこともしばしばだが、障害者スポーツ団体側には、障害者には特殊な指導法が必要という考えが根強く、また健常者スポーツ団体側も障害者を教えてけがをさせたら大変、と尻込みする。
だが、今回のブラサカの試みが示すように、結局は「同じサッカー」(高田監督)なのではないか。小西コーチは、11月にタイで開かれた聴覚障害者のフットサルワールドカップ(W杯)で優勝したイランの監督が、健常者のフットサルの代表監督だったことを例にあげ、「僕はそういうふうにしていきたい」と力強かった。
「バケモノの子」では主人公の蓮(渋天街では九太という名前)が両世界を行き来しながら成長し、双方の対立を解く役目を果たす。健常者スポーツと、障害者スポーツというパラレルワールドの境界を乗り越える、そんな指導者がもっと増えていい。
(摂待卓)