トップ > 特集 > 関西発 > 軌跡 > 記事

関西発

フォローする

11月6日の電子版のリニューアルに伴い、特集「関西発」は「地域」セクションに移りました。「関西発」のコンテンツは「地域」セクションの「関西」でご覧頂けます。

京都、「学問の都」に変身 近代化学の夜明け(4)
軌跡

2015/12/11 6:00
保存
共有
印刷
その他

明治維新から間もなく、政府の教育政策は猫の目のように変わる。大阪舎密局も組織変更を繰り返しながら、大阪城周辺が手狭になったため、京都へ移転。京都大学の誕生と関係が深い第三高等中学校(略称三高)として存続する。

「ノーベル賞の館」と呼ばれる旧三高の建物(京都大学吉田キャンパス)

「ノーベル賞の館」と呼ばれる旧三高の建物(京都大学吉田キャンパス)

三高が京都に移転したのは1889年。校舎は現在の京大吉田キャンパス(京都市左京区)に構えた。元は藩邸で土地が広く、京都府は当時の年間予算の約4分の1に相当する地方税を投入して誘致した。遷都で首都を失った京都が「学問の都」に性格を変える契機となった。

1897年に京都帝国大学が創立すると、三高は土地を京都帝大に譲り、南側へ移転する。三高に詳しい同志社大学の田中智子准教授は「三高は京都大学と組織的なつながりはない。京大の前身校ではなく先達だ」と説明する。東京帝大に次ぐ大学の設置を検討した明治政府が三高の存在に目をつけ、京大の創立を決めたからだ。「三高なくして京大なし」ともいえる。

三高の校風は「自由」。上下関係はなく、上級生も呼び捨てにする。この校風も京大に引き継がれたかもしれない。三高は戦後の1950年に廃止、京大教養部として吸収される。大阪舎密局から始まった81年の歴史に幕を閉じる。

京大吉田キャンパス内には三高の物理学実験場だった建物が現存し、増改築を繰り返しながら旧石油化学教室本館として利用する。実験場ではノーベル物理学者の湯川秀樹博士や朝永振一郎博士、同化学賞の福井謙一博士が京大在学中に学び、「ノーベル賞の館」と呼ばれている。

(この項おわり)

次回は「近江商人の遺伝子」

関西発をMyニュースでまとめ読み
フォローする

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ

電子版トップ特集トップ