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ドーピングの深い闇 ゆがめられたスポーツの価値

編集委員 北川和徳

スポーツ大国ロシアの国家ぐるみと指摘された大規模なドーピング(禁止薬物使用)疑惑が、世界のスポーツ界を揺るがせている。国際陸連(IAAF)はロシア陸連に暫定的な資格停止処分を科し、世界反ドーピング機関(WADA)は、ロシアの反ドーピング機関を「不適格組織」に認定した。このままでは来年のリオデジャネイロ五輪から、前回ロンドン大会で金メダル8個を獲得したロシアの陸上選手は除外される。時間の余裕はまだあるが、2018年のサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会の開催さえ危うくなる。

疑惑、陸上競技だけにとどまらず

とりあえずはロシアが国際陸連の処分を受け入れる姿勢を示し、これ以上の事態の悪化は避けられる見通しとなっている。今のところ五輪ボイコットはロシアの選択肢にはないとみる。外電によると、ロシアはドーピングに関与したコーチや役員、選手のすべてを処分することを約束し、国際陸連の監視チームも受け入れ、再発防止の態勢を整えるという。だが、「違反の責任は個々人が負うべきだ」(プーチン大統領)と、あくまで国などの組織的な関与を認めるつもりはない。当面は、ロシア側が国際陸連など外部による調査にどんな対応をするかを見守る必要がある。

WADAの第三者委員会の報告書には本当に驚いた。モスクワのWADA公認検査所の所長が陽性反応を見逃す見返りに金銭を要求したとか、ロシアの反ドーピング機関の検査官が抜き打ち検査のスケジュールを選手に教えて日常的に金銭を受け取っていたとかは、まだ恥ずべき収賄体質のまん延と言い訳ができるかもしれない。だが、モスクワ市が所管する「第2の検査機関」が存在し、ここで陽性検体を陰性検体とすり替えていたとなると、行政組織の関与が濃厚となる。

さらに報告書は、公認検査所にロシア連邦保安局(FSB)が頻繁に出入りしていたことから国家による干渉や圧力があったとまで指摘。明らかな証拠はないとしながら、国が関与した強い疑いを示している。

疑惑は陸上競技だけではないと考えて当然だろう。本当に全容が解明されることになれば、他の競技にも広がり、ロシアが地元開催で最多の33個のメダル(金13、銀11、銅9)を獲得した昨年のソチ冬季五輪も疑われることにならないか。WADAや国際陸連の今後の調査が国家ぐるみの悪事を暴く事態に進んでいけば、ロシアが強硬姿勢に転じる可能性は否定できない。

過去のスキャンダルと次元異なる

ドーピングを巡っては、過去にも衝撃的なスキャンダルがいくつもあった。1988年ソウル五輪陸上男子100メートルのベン・ジョンソン(カナダ)。がんから復活して99年から2005年まで自転車のツール・ド・フランスを7連覇した英雄ランス・アームストロング(米国)。03年に発覚した米国の栄養補助食品会社「バルコ」に絡んだ疑惑では、陸上女子短距離のマリオン・ジョーンズ(米国)や米大リーグ、米プロフットボール・NFLのスター選手たちの大量ドーピングが発覚した。

まさかと思うようなヒーロー、ヒロインのドーピングに驚かされ、失望することも珍しくない。だが、これらは個人、あるいはチームというアスリート側の行為。それに対して、今回の疑惑は次元が違う。取り締まるべき組織や権力がアスリートと共謀し、あるいは無理やりにドーピングを犯させたという構図だ。反ドーピングの取り組みがまだ厳しくなかった時代の旧共産圏で行われていたという薬物による選手強化を連想させる。

同じようなケースに、94年広島アジア大会で発覚した中国の大量ドーピング事件がある。抜き打ち検査によって女子競泳陣など計11人が失格になった。もし現在の薬物検出の技術があれば、違反者ははるかに増えたことだろう。当時は陸上の女子中長距離で驚異的な世界記録を連発した「馬軍団」も存在した。国家ぐるみのドーピングが疑われたが、中国側は「コーチの犯罪」と言い張って幕を引いた。その後、08年北京五輪に向けて中国政府が反ドーピング対策強化にかじを切ったこともあり、実態は解明されなかった。これが、国家ぐるみのドーピングに対する追及の限界かもしれない。

広がるスポーツ巡る古くさい風潮

国際オリンピック委員会(IOC)の主導で99年にWADAが設立、反ドーピングの取り組みは世界的に組織化された。各国にWADAの指導の下で反ドーピング機関が運営され、WADA公認の検査所が日本を含め世界各地にできた。トップアスリートはほぼ全員が検査対象者リストに登録され、3カ月先までの滞在先、検査を受けられる60分の時間枠を連絡しなければならない。そして、突然やってくる検査官の抜き打ち検査に協力する必要がある。尿のすり替えによる摘発逃れがあったことで、今では採尿は同性の検査官の見ている前で行うという。だが、どんなに厳しく監視しても、ロシアのように反ドーピング機関や検査所が汚染されてしまえば、なんの意味もなくなる。

ロシアにドーピングがまん延する背景として、プーチン政権の国威発揚の手段として、スポーツが利用されていることが指摘されている。五輪など国際大会の勝利によって、民族の優位性を世界に示し、国民を歓喜させて国家や政権の求心力を高める――。政治がスポーツを利用する古典的なやり方だ。ドーピングの有無は別だが、ロシアに限ったことではない。スポーツのメダル数を国の力や価値とダブらせようとする幼稚で古くさい風潮は、偏狭なナショナリズムとともに、このところ世界中に広がりつつある気がしている。

そんなことを考えていたら、20年東京五輪の日本政府の基本方針にも、過去最多の金メダル獲得という目標が盛り込まれることになったという。メダルは多いにこしたことはないし、国を挙げてメダルの量産を目指しても、日本でロシアのような組織的ドーピングが行われることは絶対にないだろう。だが、国が決めるメダル目標などというものが、スポーツや五輪の本当の価値をゆがめる可能性があることは、常に意識しておきたい。

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