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ワイルドレース戦記 35時間走り、見えた新境地 富士山ぐるり170キロ(下)

ランニングブームが続く2015年の日本。長距離レースの舞台は、硬い舗装路やトラックだけではない。街を飛び出し、山・森・海といった自然の中を本能のままに駆け回るランナーが増えている。トレイルランニング、トライアスロンなど自然そのままを競技コースにした「ワイルド」な大会に記者自身が参加し、その熱気と魅力を伝えたい。第7回は富士山をぐるりと一周する計170キロのトレラン「ウルトラトレイル・マウントフジ(UTMF)」の後半戦だ。

2日目の朝、トップを走る選手は富士山の姿を拝めた(富士トレイルランナーズ倶楽部提供、以下同)

9月26日朝、天気はこの日も雨。富士山こどもの国エイド(90キロ)を出た。スタートから18時間、以前なら痛くて歩くのもつらいはずの足が、まだ動く。奇妙な気分だ。リタイアした昨年の大会から、特段体力がついたわけでもない。むしろ練習不足で焦っていたくらいだ。

夜の階段特訓効いて脚力つく

思い当たるとしたら、夏に始めた「夜の階段特訓」の効果だろうか。仕事が終わるとこっそり着替えて荷物を背負い、会社の非常階段を2~3往復するのだ。31階まで続く片道800段の階段を淡々と上り、下った。

非常階段内はめったに人が通らず、自分の足音と激しい呼吸音以外に物音がしない。薄暗く蒸し暑い空間で汗だくになり、「一体何をしているんだろう」と自らに問いかけながら。「でも完走したいんだろ」と叱咤(しった)しながら。同僚に隠れて続けた秘密の練習のおかげで、休まず動き続ける脚力がついた気がする。

レース中盤、幻想的な景色の霧の草原を進む

野花が咲き乱れ、霧に包まれた幻想的な草原を抜けると富士山資料館エイド(98キロ)に着いた。雨と泥と汗まみれのシャツと靴下を着替えた。1時間仮眠をとる予定だったがそれほど眠くない。12キロ先、500メートル上にあるエイドをめざして出発した。

続いて現れた富士山裾野の樹林帯を横切る難コースに苦しんだ。多量の水を含んでズブズブになった泥の斜面をいくつも越えた。せっかく登ったのにまた下るのか。腕時計の標高表示を見ても、同じあたりを行ったり来たり。なかなか標高が上がらず、もどかしい。

「あれ。さっき登った道を逆走していないか?」。同じような景色が続き、もはや正しいコースを進んでいる自信がない。分岐を間違えたかも。疲労のせいか、頭が混乱しだした。やはり寝るべきだったか。道ばたで立ち尽くしていると、外国人選手が通り過ぎた。「いや、彼も間違えているかも」などと半信半疑でついていく。

森が途切れ、黒い砂利の斜面に出た。ああ、よかった。ここを登れば太郎坊エイド(110キロ)だ。「ザッ、ザッ」。足音が変わった。砂利の坂では踏ん張りが利かない。一歩ずつ、つま先を斜面に蹴り込む。まるで砂丘を登っているようだ。

エイドで食べ物や飲み物を補給しながら進む

山を登ると霧が深くなった。残念ながら、昨年はここから拝めた富士山が影も形も見えない。エイドに着くと、サポートの友人からチョコレートなどの食料を受け取った。

食料と水、走りながら取り続け

よく「レース中、食べ物はどうするのか」と聞かれる。当然、食料と水の補給は欠かせない。エイドごとに果物や菓子など軽食が用意されているが、それだけでは足りない。記者の場合、味が濃いジェルを少し水で薄めたものを用意し、チョコやアメなど固形物と合わせて走りながらこまめに食べ続けた。さらに水が入ったパックからホースが延びた装備をザックに背負い、先端に口をつけて少しずつ飲む。エイドではほぼ毎回水を補充した。

レース中は内蔵にダメージを受け、食欲がなくなったり何を食べてもすぐ吐いたりしてしまう選手も多い。食べ物なしで走り続けるなんて、想像しただけで恐ろしい。幸い記者の胃腸は丈夫なようで、そんな経験はない。

太郎坊エイドの手前、黒い砂の急坂を登る

黒い砂の坂を駆け下り、自衛隊の演習場を突っ切り、午後1時半、すばしりエイド(121キロ)に着いた。ここで小休止。磯辺揚げを頬張ると、ベンチに寝転んで目を閉じる。10分寝ただけだったが、目が覚めると何か力がみなぎってきた。ももを高くあげて足踏みしてみる。おお、足が軽い。

この頃になると「いつか失速するのでは」という不安は消えていた。むしろ安定して走り続けられることに、今までにない手応えをつかみ始めていた。登りでは両手を腰の後ろに回し、骨盤を前傾させて黙々と足を運ぶ。下りは体幹とバランスを意識して細かくステップを踏む。必ず時々立ち止まり、筋肉を伸ばして足の状態を確認する。その間に追い抜かれても気にしない。体力が枯渇しないよう、常に2割くらいは力を残すイメージだ。

レース終盤、疲れた様子で食事する選手

意識と身体が一体になる感覚

トレランは長時間、自分の体との対話が続く。フォームはどうか、ペースはこれでいいのか。足首、ふくらはぎ、膝、もも、腰、背中は効率良く動いているか。心拍数は上がりすぎていないか。食料や水を欲していないか。疲労と眠気で追い込まれ極限に近づくほど、逆に全身の神経が研ぎ澄まされ、体が発するメッセージを正確に聞き取れるようになる。下ばかりみなくても、足の裏の感覚で地面の状態がわかる。イメージする適度なペースとフォームで、自然と体が動く。自分の意識と身体が一体になった、とでもいうべきか。初めてつかんだ新鮮な感覚だった。

大洞山(標高1384メートル)を越え、両側が高くせり上がった細い山道を勢いよく駆け下りる。山中湖に向かう舗装路に入った途端、足が痛む。硬い路面は嫌いだ。さすがに次のエイドでは長めに眠ろう。

だが、山中湖きららエイド(136キロ)の手前で致命的なミスを犯した。エイドでサポートの友人からバッテリーを受け取りスマホを充電するつもりだったが、道ばたに友人がいたので、一足早くスマホを渡した。だがエイドに着くと、待っていたのは抜き打ちの持ち物チェック。そう、記者は必携品の携帯電話を持っていない。

エイドではストレッチやマッサージも受けられる

失格になるかもしれない! あわてて係員に事情を説明し、エイドに来た友人からスマホを受け取った。結局「サポート行為はエイド内のみ」という規則に反したため、1時間のタイム加算のペナルティーを告げられた。

UTMFでは山で起こりうる様々なリスクに選手自身で対応するため、食料、ライト、防寒着、手袋、雨具、救急用品など19種類の必携品が定められている。地図や雨具を持たず、ここで失格になった選手も多数いたという。

動揺した。最悪の事態を免れてホッとしたのと、「やってしまった」という後ろめたさが交じり、複雑な気持ち。とても落ち着いて眠れるような状態ではない。逃げるようにエイドを出た。どこか慢心があったのかもしれない。残り35キロ、気を引き締めよう。

幻覚チラリ、気持ちの勝負に

再び山に入り、二重曲峠エイド(142キロ)を過ぎると後半のヤマ場、杓子山(標高1597メートル)まで険しい岩登りが続く。もう「ラン」できるコースではない。雨に打たれながら、四つんばいになり、ロープをつかんで、目の前に立ちふさがる岩をよじ登る。

ゴール直前、再び河口湖畔を走る

ほぼ不眠で迎えた2夜目、強烈な睡魔に襲われた。歩きながら何度も意識が飛びかける。ガムを3粒口に放り込んだ。さっきから道の脇に人や物がチラッと見えるが、振り向くと草木しか見えない。幻覚だ。ただ「幻覚が見えている」という自覚がある分、まだましか。それでも本能的に、足だけは動き続けている。

後ろにいた男性選手もぼんやりした様子。話しかけると、昨年のUTMFではゴールまで10キロの地点でリタイアしたという。同じリタイア組として、その悔しさは痛いほどわかる。「絶対ゴールしましょう」と励まし合う。時間は十分ある。あとは気持ちの勝負だ。

杓子山頂上から急坂を下ると、なだらかな林道の下りが10キロ近く続く。石がゴロゴロしていて走ると足の裏が痛い。歩きを挟みながらゆっくり走った。山中には深い霧が立ちこめ、ライトで照らしてもかろうじて地面が見えるくらい。一体どこに向かっているのかな、なんてぼんやり考えながら、長い林道をクネクネ進んだ。

午後9時すぎ、富士小学校エイド(157キロ)着。靴下を脱ぎ、真っ白にふやけて熱くなった足の裏にワセリンを塗りたくった。最後のエイド。あとは山を1つ越えるだけ。ポケットから何十回も見返してきた地図を取り出す。表面に貼った透明の保護テープの隙間から水や土が入り込み、我が身同様ボロボロだ。

霜山(標高1302メートル)まで標高差600メートルの登り。眠い。再びガムをかむ。遠くから音が聞こえてきた。ああ、ついに幻聴まで聞こえ始めたか。だが音は徐々に大きくなる。見上げると、2人組が道ばたで楽器を持って、映画「ロッキー」のテーマ曲を演奏していた。幻じゃない、こんな山中で応援してくれるなんて。気持ちが奮い立った。

完走率41%、出来すぎの186位

「頂上ですよ!」と声がする。山では要所にボランティアが立って、夜通し案内をしてくれている。彼らもろくに寝ていないはずだ。ありがたい。最後の山を越えた。もう2割の力を残す必要はない。解き放たれたように"好物"の細い山道を駆け下りた。

「本当に、自分の足で富士山を一周して戻ってきたんだな」。眼下に広がる河口湖畔の明かりを見て、初めて実感した。ついに、憧れていたUTMFのゴールに着ける。うれしくなって、ニヤニヤしながら湖畔を走った。

長い旅を終え、家族と手をつないでゴールテープを切る

レース前にイメージしていたのは3日目の朝、フラフラで倒れ込むようにゴールする自分の姿だった。しかし実際は、日付が変わる直前、両手を突き上げて勢いよく歓喜のゴールテープを切った。1時間のペナルティーが加算され、正式タイムは35時間55分36秒、順位は186位。実力以上、出来すぎだ。

悪天候で完走率41%という厳しい条件の中、最後まで走り抜けた要因は何なのか。確かに序盤から攻めたおかげで渋滞を避けられたし、食料・水の補給もうまくいった。だがそんな技術的なこと以上に、自分の中でなにか新しい境地が開けた気がする。自分の意識と身体が一つになって自然と体が動き続けた、あの感覚だ。

「UTMFを完走できればもう満足」と考えていたはずなのに、大きな壁を越えると、目の前に新しい可能性が広がっているのを感じる。「山を走るなんて信じられない」とぼやきながら始めたトレラン。自分はどこまで行ってしまうのか。大きな達成感とともに、戸惑いすら感じている。

(伴正春)

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