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ベルリンマラソン、苦悩なき完走 終盤に夢の5キロ

編集委員 吉田誠一

ベルリンマラソンに予備エントリーしたのが昨年10月で、当選発表が11月20日だった。出場が決まってから大会まで10カ月という長い時間が経過している。つまり、10カ月もの間、私の心の中に今年のベルリンマラソンがあった。

ベルリンマラソンに支配されていたといっても大げさではない。私の額には知らぬ間に「めざせベルリン」「ベルリン・命」と刻まれていたような気がする。

これはもう私にとっての大イベントですよ。2015年9月27日のために10カ月を過ごしてきたようなものだ。まるでオリンピックを控えるスポーツ選手のようではないか。

出場が決まってから10カ月、ベルリンマラソンのために過ごしてきたといってもいい

本番を前にして微熱、気が弱いのか?

小さな失敗なら許されるが、大失敗は決してしたくない。長い間、待ち続けたのにボロボロの大惨敗を喫しましたということになったら、あまりに悲しい。そういう思いがストレスとして働いていたからなのか、本番を前にして体調がにわかにおかしくなった。

日本をたつ直前の9月22日の晩、微熱が出ているのを感じた。体温計で測るほどの熱ではないが、何となく普通ではない。とりあえず、気休めに風邪薬を飲んだ。

24日にベルリン入りすると元に戻ったが、夕方、また微熱を感じた。そういえば、最近、自分にとっての大きな大会を迎えると、こんな感じになる。気が弱いのだろうか? だらしがないのだろうか?

しかし、これは必ずしも悪いことではないのではないか。緊張して体が変調をきたすほど、私は本気でベルリンマラソンに臨もうとしている、ということなのではないか。だったら立派。

万全でないときは無理ができないので、慎重にレースに入る。ということは、おきまりの「序盤のオーバーペース→後半の大失速」という撃沈劇が避けられるかもしれない。

もちろん、そこまで頭を整理して、「いいんじゃない、微熱」と割り切っていたわけではない。不安のほうが大きかった。時差調整のため本番の3日前に現地入りした(これも本気だったから)が、体調が心配で街を歩くのは最小限にした。

9月26日に行われたインラインスケートのマラソン

レース当日、午前5時40分に起床すると、体調がいいのか悪いのかよくわからなかった。8時間以上も寝たせいか、かえって少し眠い。迷ったが、保険のため風邪薬を飲んだ(ドーピング違反だろうか?)。

朝食は食べ過ぎないように。ふだんどおりを心掛けた。今回はグリコーゲンローディング(3日前から炭水化物を増やす)をしなかったのもそのためだ。生活のリズムやしきたりを変にいじることはないという結論を得た。その代わり、エネルギージェルを3つ携帯した。

スタート、4万人近い走者が大進撃

午前7時すぎにホテルを出ると、30分もかからず会場に到着した。4万人近くが走るだけに、非常に混雑しているが、ムードは落ち着いている。

それは熟練のランナーが多いからなのか、ランニング文化が熟成しているからなのか。あるいは私が5度目の出場で、この大会に慣れているから、そう感じるのかもしれない。

午前6時に調べたときの気温は6度。日本と比べると、かなり低い。スタートは午前9時なので、8度くらいにはなるかもしれない。予想最高気温は17度だった。

ウエアは半袖シャツ、短パン、少し厚めのキャップ、保険のためのアームウオーマーと薄手の手袋を選択。スターティングブロックまでは防寒のため古いトレーナーを着ていく。スタート直前に出場者が脱ぎ捨てる大量のウエアは寄付されると聞いている。

ベルリンマラソンのコース図。ほぼフラットで走りやすい

スタート地点は「6月17日通り」。前方に戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)を臨む大通りに、荷物を預け、用をたした出場者がティーアガルテンの森を抜けて、ぞろぞろと出てくる。

お偉方のあいさつも、出場者をあおるようなアナウンスもアトラクションも何もない。これはランナーがきわめてシンプルに自己表現をするための舞台だ。

ケニアのエマニュエル・ムタイ、エリウド・キプチョゲ(2時間4分0秒で優勝)ら有力選手が手短に紹介されただけで、スタートを迎える。淡々とした進行にまた、文化の熟成を感じる。

恣意的にムードを盛り上げる必要はない。そんなことをしなくても、みな、このイベントの偉大さを肌で感じている。この場にいられる幸せを感じている。

Eブロック(3時間15分~30分の出場者)に配された私が号砲後、スタートラインに至るまで、歩いて3分半を要した。いよいよ戦いがスタートした。4万人に近い人間の42キロにわたる大進撃が始まっている。上空からながめたら壮観だろう。

快調、きょうはかなりいけちゃいそう

とてつもない数のランナーが一歩一歩を踏み込む足音が重なる。その乾いた音色に耳を澄ますと心地よい。モノトーンの世界に入り込み、走ることに集中した。「さあ、走れ」と自分をけしかけなくても、自然な行為としてスムーズに脚が出る。

2.5キロで右折すると道は細くなる。6.5キロにベルリン中央駅、7キロ地点はスタート会場のすぐ脇でドイツ連邦議会議事堂が望める。

大画面で映し出されるゴールシーンを見守る観客ら

この時点で、自分がうまくレースに入れているのがわかった。体調が万全でないがゆえ、「慎重に」と心掛けたのがいいほうに作用している。事前のトレーニングの内容からも、変に記録を狙いにいかないほうがいいのはわかっていた。

2週間前に中国出張があり、記録的な大雨があり、直前の練習予定は狂っていた。ペース走、ビルドアップ走も自分が望むペース、距離でこなせるようになっていなかった。

だから、とりあえず最初の5キロを25分で入り、次の5キロで24分10秒に上げ、様子を見て、可能なら後半は5キロ=23分20秒にという戦略だった。

前半はほぼそのペースで進めている。最初の5キロは24分51秒、5~10キロが24分3秒、10~15キロが23分42秒、15~20キロが23分56秒。晴れ間が出たらアームウオーマーを手首まで下げ、木陰でひんやりとする区間ではまた伸ばした。手袋は指だけはめる形にした。

快調に走れたのはランニングフォームがうまくはまったからだ。それほど意識したわけではないのに、股関節で脚がスムーズに回り、力を無駄に使わずに済んだ。

実は10キロを過ぎ、アレクサンダー広場のあたりで、もっとペースアップできるという実感があった。きょうはかなりいけちゃいそう。

やはり来た危機、ペース落ち腿が重く

いや、しかし、このまま余裕を残してレースを進めるのがマラソンではないか。それができないから、失敗を繰り返してきたのではないか。「勝負どころはもっと先でしょう」と自重した。

「余裕を持って走るとはこういうことなのね」と私はようやくわかった気がする。それにしても、きょうは楽だよね。こんなに楽しくマラソンを走るのはいつ以来だろう。そう思った。

ゴール前には客席も。沿道の大観衆の声援を受けて走る

12キロから南進し、17キロからは西へ進む。沿道の大観衆は途切れない。好きなランニングにこうやって打ち込める自分は申し訳ないほど恵まれているという気持ちが胸の底からせり上がってきて、恥ずかしながら何度か泣きそうになった。ナチュラルな状態で走れている。

しかし、マラソンはそんな甘いものではない。お約束のように難関が訪れる。20~25キロが24分14秒とわずかにペースダウン。そこから、急速に腿(もも)の前側が重くなった。25キロからの2キロはかなりの危機だった。

マラソンでは危機はにわかに訪れる。そこまでの快楽との落差が大きいから、心理的にショックを受ける。そこで、精神的にまいってしまうかどうかが勝負の分かれ目になる。

「もうダメです」と降参するか、「しばらく我慢すれば回復する」と望みを抱くか。そういう中で、なるべく筋力を使わないフォームを取り戻せるかどうかがカギになる。

この日は「せっかく、ここまでうまく走ってきたのに、あっさりあきらめちゃうのはもったいないんじゃないの」という気になれた。「さあ、理想のフォームに戻しましょう」と立ち直れた。次々と沿道に登場するロックやジャズのバンドやクラブDJ、サンバ隊の後押しにも助けられた。

1000人くらい抜く勢いも、しかし…

25~30キロは例の2キロの失速が響き、25分0秒を要したが、次の5キロは23分51秒までペースアップできた。この終盤にこれだけの快走ができたことがあるだろうか。

余計な力を使わず、股関節の回転でぐいぐいといく。こういうときは「走れ~」ではなく、「回せ、回せ」ですよ。「1000人くらい抜いちゃうんじゃないの」という勢いで、気のせいか、道がずっと下りに見えた。

ベルリンのコースはほとんどフラットで、03、07、08、11、13、14年と立て続けに男子の世界新記録が出ている。世界のトップランナーとは走っている「世界」が違うが、感じている快感は同じものだろう。

このままいったら3時間25分は切れるだろう。死ぬ気で頑張ったら3時間23分までいけるかもしれないという妄想も生まれてきた。

残念ながら、私はここで、「しかし」という接続詞を使わなければならない。マラソンの世界には「しかし」という言葉があふれている。人が走れば、「しかし」に当たる。まあ、人生もおなじなのだが。

特に私のようなランナーの場合、「しかし」を避けて通ることができない。何度、「しかし」に泣かされてきたことか。「しかし」のバカヤロー。たまにはこのまま、すーっといかせてくれ。しかし、そうはならない。

33.5キロからベルリン随一の目抜き通りであるクーダムに入ったころは、まだ快調。35キロで空襲の傷痕を残したままのカイザー・ウィルヘルム記念教会を通過。ここまでは問題がなかった。

しかし、再び、にわかに脚が重くなった。「しかし」のお出ましというわけだ。ついちょっと前まで1000人を追い抜く勢いだったのに、へたをしたら1000人に抜かれそう。

これはどういうことなのだろう。ペースアップするタイミングが早すぎたのだろうか。ここまでの5キロでエネルギーを使い果たしてしまったのだろうか。

ブランデンブルク門を越えたらゴールは間近

いま思い出しても「最高」の5キロ

あとで考えると、こういうことだったのかもしれない。もう残りは7キロ。ゴールは見えたようなもの。調子がいいので、そこでひと安心。気が緩んだわけではないのだが、戦意がちょっと落ちた。脚の回転の勢いをちょっと落とした。

その瞬間に、たまっていた疲労がどっと表に出てきた。私のスキを狙って、疲労というやつが自己主張を始めた。実は筋肉も心肺も休みたがっているのだという現実を、私自身が「そうだよね」と受け入れてしまった。そういう感じだったのではないか。

まあ、頑張っても自己ベストは出ないのだから、無理しなくてもいいんじゃない、という気持ちになっていたような気もする。

35~40キロは25分51秒にダウン。実にもったいないことをしたと思う。でもね、とも思う。いつものように、ずるずると後退し、5キロに27分も28分もかかったわけではない。ガタガタにはなっていない。

ポツダム広場を越え、大通りのウンターデンリンデンに入ってからは、観衆の笑顔に笑顔で応えることができた。速度は上がらなかったが、湧いてくる歓喜を感じながらブランデンブルク門を越え、ゴールに駆け込んだ。

完走メダルには過去の優勝者が描かれている(デニス・キメット)

記録は3時間27分3秒(ネットタイム)。このところ、3時間30分を切るのに苦労していたので、ひと安心した。13年以降では3番目の記録であり、何より、ほとんど苦悩せずに42キロを走り切れたことがうれしかった。

35キロからは多少、失速したが、「もう歩きたい」とは一度も思わなかった。いいフォームで走れたから、特別、どこかが痛むということもなかった。いつもならできる足の指のマメも全くない。

30~35キロの快走が今回のハイライトとして心に残り、それは今後、いいほうに働くのではないかと思う。ものすごいスピードでぶっ飛ばしたわけではないのに、あの5キロを思い出すと、いまでも気分が良くなる。「最高だぜ、ベルリン」と叫んでしまいそうになる。10カ月もの間、ベルリンを目指してきたかいがあった。

これまでのマラソン人生の全盛期は11年9月のベルリン(3時間20分13秒)で始まり、12年2月の東京(3時間16分2秒)まで続いた。タイムは4年前のベルリンより7分(1キロ当たり10秒)も落ちているが、いまの私はもう一度、夢を抱いている。あの終盤の5キロが私に夢を抱かせてくれる。

もうちょっといけそう。また妄想が始まったと言われるかもしれない。いいです、それでも。

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