大阪環状線 大阪城公園周辺、高架化されず(謎解きクルーズ)
軍施設「禁」のぞき見

2015/10/3 6:00
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■大砲工場など集積 陸軍、機密保持に神経

大阪市内の中心部を走るJR大阪環状線は駅の改装や新型車両の投入などのプロジェクトが進行中だ。路線の大半は高架化されているのに、大阪城公園駅周辺はなぜか地上を走っている。調べてみると、すぐそばにある大阪城の歴史と深い関係があった。

高架になっていない大阪環状線の京橋―大阪城公園間。左奥は大阪城

高架になっていない大阪環状線の京橋―大阪城公園間。左奥は大阪城

大阪駅から環状線の外回りに乗ると、京橋駅を出てすぐに高架から地上に降りる。次の大阪城公園駅は1983年に開業した同線唯一の地上駅。近くの大阪ビジネスパーク(OBP)のビル群に見下ろされるようだ。電車は森ノ宮駅に近づくと再び高架に戻る。

周辺は高架なのになぜ京橋―森ノ宮間は地上なのか。大阪電気通信大学名誉教授で、大阪に残る軍事施設の跡などを研究する小田康徳さんは「すぐそばの大阪城の敷地内に大阪砲兵工廠(こうしょう)があったため」と指摘する。

○ ○ ○

大阪砲兵工廠は大阪城の東側に広がっていた国内最大規模の軍需工場で、1870年に開設された。現在の大阪城ホールやOBPの場所には大砲を造る工場や化学兵器を開発するための化学分析場など多数の軍事施設が集積。線路を挟んで反対側の現在、JRの操車場と市営地下鉄車両基地などがある場所には、兵隊を養成する城東練兵場があった。環状線はこの間を縫うように走っていた。

大阪砲兵工廠荷揚げ門(大阪市中央区)

大阪砲兵工廠荷揚げ門(大阪市中央区)

環状線は89年5月、旧大阪鉄道の湊町―柏原間が開業したのが始まり。東側の城東線、北西側の西成線などがつながり、1964年に環状運転がスタートした。高架化・複線化は昭和初期に本格的に始まったが、JR西日本広報部によると「当時の鉄道省が城東線の高架化を計画したが、京橋―森ノ宮間は軍が高架化を認めなかった。大阪砲兵工廠の内部機密の保持と漏洩を防止するためと考えられている」。高架にすると列車から砲兵工廠の内部をのぞかれる恐れがあるというわけだ。

小田さんは「砲兵工廠は高さ2~3メートルの塀で囲われていたため、近くを歩いても中は見えないようになっていた」と指摘する。また、戦時下は列車が砲兵工廠の横を通るとき、カーテンや窓を閉めるように強制されたという。軍部は軍事機密の保持に神経をとがらせていた。

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大阪のど真ん中になぜ巨大な軍事施設があったのか。小田さんは「明治初期、大村益次郎が大阪を陸軍の拠点にしようとした」という。大村は適塾で緒方洪庵から蘭学を学んだ維新の志士で、陸軍の父ともいわれる。「大村は大阪城に目を付けた」と小田さん。豊臣秀吉の権力の象徴である大阪城は広大な敷地を持ち、幾重もの堀に囲われている。軍需工場にはうってつけというわけだ。また、外国が攻撃する場合、東京が集中的に狙われると考えられ、軍の拠点は東京から離れた大阪の方が好ましいと考えたという。

大阪砲兵工廠化学分析場(大阪市中央区)

大阪砲兵工廠化学分析場(大阪市中央区)

ところで、近くには環状線と同様大半が高架なのに一部だけ地上を走る交通網がほかにもある。大阪城公園の南側を東西に走る阪神高速道路東大阪線だ。阪神高速道路広報グループによると、道路南側に古代宮殿の難波宮跡公園があり、遺構の保護や大阪城方面への景観に配慮して、このような構造になった。

環状線は2017年度末までの計画で、全19駅の改装・改良や商業施設の併設、新型車両の投入などの「大阪環状線改造プロジェクト」が進む。しかし、京橋―森ノ宮間の高架化については「計画にない」(JR西日本広報部)という。今年は戦後70年、大坂の陣から400年にあたる節目の年。環状線の車窓から高層ビルを眺めながら、地域の奥深い歴史に思いをはせるのもいいかもしれない。

(シニア・エディター 泉延喜)

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