2019年9月19日(木)

野球に情熱、55歳で現役復帰 フリオ・フランコ(上)

2015/9/19 6:30
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8月の炎天下、観客もまばらな金沢市民野球場。九回、石川ミリオンスターズの代打で登場したフリオ・フランコのたたずまいは、ロッテ時代の20年前と変わらぬままだった。

バットの先端を投手に向けた類のない構え。独特なオーラをまとい、次々と安打が飛び出すフォームを、野球少年はこぞってまねしたものだ。

ずっと戻りたいと思っていた日本に今年17年ぶりに帰ってきた

ずっと戻りたいと思っていた日本に今年17年ぶりに帰ってきた

今年、独立リーグ・石川ミリオンスターズの選手兼任監督として17年ぶりに日本に帰ってきた。オファーがあったのは1月。2~3日後には米フロリダ州で経営する野球アカデミーやジムを息子やスタッフに任せ、日本に行くと決めた。

「釣りやゴルフの日々に飽きたんだ」

「大好きな日本にずっと戻りたいと思っていた。金沢は知らなかったけど気に入っているよ」と言う。首位打者に輝くなど現役バリバリの大リーガーだった1990年、日米野球で来日し日本に興味がわいた。95年、ロッテ監督に就任したボビー・バレンタインと共に来日して活躍。再来日した98年には外国人ながらロッテの主将を務め、人望を集めた。

ミリオンスターズが所属するルートインBCリーグは前後期で優勝を決める。予算の都合で球団のオファーは前期だけだったが、後期もやらせてくれと志願した。もともとは何億円もの年俸を稼いだスター選手。100分の1にも満たない今の給料で細かい交渉をする気などさらさらない。

生まれはドミニカ共和国。インディアンス、レンジャーズなど米大リーグで50歳手前までプレーし、本塁打の年長記録などを更新した。2007年までの計23年間で2586安打を放ち、生涯打率は2割9分8厘。08年はメキシコでプレー。一度はバットをおいたが14年、米独立リーグのコーチ兼任選手として55歳で現役に復帰した。

「釣りやゴルフをして過ごす毎日に飽きてしまったんだ。野球への愛着と情熱がうずき、グラウンドが恋しくなった」と話す。土煙にスパイクの音、真剣勝負の緊張感。「自分はボールプレーヤー(野球選手)。正しい居場所は野球場なんだと改めて分かったよ」。大観衆で埋まる大リーグの球宴も日本のガラガラの地方球場も、野球場に変わりはない。

打球の鋭さ、若い選手に見劣りせず

空白を取り戻すにはハードなトレーニングを要したが、体で覚えた技術は健在だ。30歳以上若い選手に交じっても打球の鋭さは見劣りしない。夏以降は主に代打で出場し、快打を飛ばす。

かつてのチームメート、ロッテ打撃コーチの堀幸一(46)は「すごい体をしていた」と懐かしむ。酒、タバコはもちろん、炭酸も口にしない。朝食の前にはレモン水を飲み、食事は1日5回少量ずつ取る。ファストフード店ではチキンの皮をはぎ、薬局では漢方薬を調合してもらう。歯は真っ白でピカピカだ。

「野球をするにも、良い人生を送るのにも健康は欠かせない要素だからね」。フランコにとっての「ボールプレーヤー」とは職業にとどまらない。生き方そのものを指している。

(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊9月15日掲載〕

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