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「都立の星」の甲子園 国立高・元ナインに聞く(中)

捕手・川幡氏「頭脳野球でなく泥臭く。勝たねばの気負いなし」
国立高が甲子園に出場した時の捕手、川幡卓也さん。現在は電通新聞局専任局次長

都立国立高校のエース・市川武史さんの女房役だった捕手の川幡卓也・電通新聞局専任局次長(52)は甲子園でも都大会同様、攻めの気持ちで臨んだ。市川さんは「すべて川幡の組み立て通りに投げていた」と話し、当時の2人の息はぴったり合っていた。そして35年たったいまも気の合う関係は変わらない。それぞれ野球チームに所属し、市川さんはマラソンにも挑戦。川幡さんは週末に10キロ走ることを習慣としているそうだ。

――対戦したことのない高校との試合で、相手校のデータがないなか、どのようにリードしていましたか。

「相手の打者の体格や振り、構えをもとに、いくつかの打ち取るパターンを持っていた。打者も一巡すれば特徴もわかる。1球目にインコースを投げて最後はカーブという具合に。監督も歴代、捕手に任せてくれていた」

「ただ、サインを出しても投げるのは投手。武史がサイン通りに投げたことが大事だ」

――市川さんのピッチングにはどのような特徴がありましたか。

「コントロール抜群。カーブの切れもいい。当時の武史は超勝ち気な性格だった。印象的だったのは甲子園での箕島戦。予選で打たれたことのなかった(打者の手元で小さく変化する)ムービング・ファスト・ボールで本塁打を打たれたことはショックだった。普通は同じ打者に同じ球をもう投げないものだが、お互いあうんの呼吸で次の打席も同じ球を投げた。結局、ヒットを打たれたけどね」

箕島戦、先制すればどうなっていたか

――箕島は強かったですか。

「予選の上位校と比べて極端に実力が違うとは思わなかった。本塁打を打たれたとき以外は押されていたという印象はない。四回まで互いに無得点だったし、予選でも決まったことのないトリックプレーも決まり『勝っちゃうんじゃないの』ともマジで思っていた」

川幡さんのサイン通り市川さんが投げる。2人の息はぴったり合っていた

「予選の準々決勝以降は勝つ要素と負ける要素のどちらが出るか、という違いだったと思う。予選では勝つ要素のほうがまさっていたが、甲子園では負ける要素が出てしまった。全く歯が立たない相手ではなかった。先制点を取っていれば、試合はわからなかったと思う」

「予選でも都立ということで油断していただろう相手校に対し先制点を取ることで心理的なプレッシャーを与え、あとはどんどんストライクをとって的を絞らせない手法をとった。三回に先制の2点を取った準決勝の堀越はまさにこの術中にはまった感じだった」

――国立が進学校だったこともあり「頭脳野球」といわれていました。

「特別なことはやっていない。ただ、勝ち進むうちに『頭脳野球』と呼ばれるようになって、対戦相手も『すごく頭を使っているのではないか』と思ってくれたようだ(笑)」

「むしろ泥臭い野球だった。奇をてらわず絶対に失敗しない野球。バントの失敗や守備のエラーも少なかった。投手は別だが基本的に国立の打者は打てないという前提。私は5番打者だったが予選ではサインが出ることを想定してチャンスでもバットを振らず(バントで三塁走者を得点させる)スクイズを3回くらいした」

――西東京大会に出場した107校の頂点になった理由は、そういった手堅さでしょうか。

「相手が6点取ったら7点を取り返す、なんていう野球は無理だった以上、やはり武史が相手打線を抑えてくれていたことが大きい」

「当時、無欲の勝利といわれたが、『勝たなくては』とか『頑張らなくては』と思えば思うほど緊張が過度になる。僕らは『負けよう』とは思っていないけど、『絶対に勝たなくてはいけない』といった気負いがなかったのがよかったのかもしれない」

――川幡さんは中学では軟式野球をしていました。市川さん同様、高校では甲子園を目指していましたか。

「一応、甲子園は目指したが行けるとは思っていなかった。当時、都立高普通科の入試は学校群制度だった。硬式野球部があった学校群は少なかった。なかでも都立立川と国立の72群は多摩地区で成績がトップクラス。どうしても入りたくて必死に勉強した」

「ただただつらいと思いながら仲間と一緒に過ごし、同じ目標を目指したことが大事な思い出」

「高校は野球のためにあると思っていたが練習はつらかった。鼻にわざとボールをぶつけて骨折して少しは休みたいと思ったことは多々ある。でも実行する勇気はなかったが……」

嫌だと思った練習は身につかない

――練習がつらいのによくやめませんでしたね。

「野球が好きだから。好き嫌いは理屈ではない。ほかの選手もそうだったんではないか。1年生の夏の予選で負けた翌日から炎天下で水を一滴も飲めずに6時間の練習の日々は嫌で嫌でたまらなかった。練習場に向かう電車で一緒になった武史やほかの選手とグラウンドまで一言も口をきかなかった。話すと無駄な体力を使うから。でも当然だが皆毎日休まず練習に参加していた」

――その練習に耐えたことで得たことはありますか。

「ただただつらいと思いながら仲間と一緒に過ごし、同じ目標を目指したことが大事な思い出。最近の話だが、サッカーの練習がつらいといっている息子に自分の反省をこめてこういっている。『嫌だと思った練習は身につかない。練習を楽しいと思え』と。振り返るに、好きで入った野球部の練習を目的意識をもって取り組んでいたら、もっとうまくなっていたのにと思う。しかし、実はこれがなかなか難しい」

――甲子園に出場していいこともあったでしょう。

「優勝してから全国からファンレターが段ボール2箱くらいきた。小学生の女の子が返信用封筒入りで『好きな食べ物は』『好きな野球選手は』といった質問をくれたこともあった。きちんと返事を出した」

「社会人になってからは、初対面でも『あの時の都立国立の甲子園球児』という話題になると、すぐに打ち解けられる。35年たっても覚えていただいている人が多いことはありがたい」

――いまはどのように野球とつきあっていますか。

「野球のユニホームを3つ持っている。息子の小学校のPTAと会社関係など。体力維持のために週末は10キロのランニングを欠かさない」

――電通では新聞関係の仕事が長いようですね。新聞業界をどうみていますか。

「若者の新聞離れや部数減といった課題はあるが、政治や経済からエンターテインメントまでさまざまな分野に正面から取り組んでいる新聞の持つ力はいまだに大きく、貴重なものだ。そのような新聞メディアと我々広告会社がさらなる強固なパートナーシップを組むことで、日本の明るい未来に少しでも貢献できればと思う」

 川幡卓也(かわはた・たくや) 1963年3月5日生まれ。1浪して東京大学理科2類に入学。野球部に入り助監督もつとめた。卒業後電通入社。新聞局中央部・地方部、人事局採用計画部、中部支社メディア局新聞部、中部メディア局次長などを経て、2015年4月から現職。家族は妻と息子2人。
遊撃手・岩村氏「皆が強い気持ちで責任果たし、負けない野球に」
遊撃手で3番打者だった岩村太郎さん。現在は平成立石病院院長

甲子園に出場した都立国立高校ナインのうち5人は野球経験のない初心者だった。遊撃手で3番打者の岩村太郎さん(52)もその1人で中学ではバドミントン部に所属していた。夏の甲子園の都大会決勝では、両チームが無得点で迎えた九回表に先頭打者の岩村さんが安打を放ち先制点のきっかけをつくった。現在は平成立石病院(東京・葛飾)の院長を務める岩村さんは、野球部での経験を院内のガバナンスに生かしている。

――高校ではなぜ野球部に入りましたか。

「6歳のときに心臓の手術をした関係から激しい運動をしないようにしていた。中学でのバドミントン部も練習時間が少なく体に負荷があまりかからないという理由で入った。どちらかというと、運動よりも映画を見たりするほうが好きだった」

「国立に入学したら、入れ代わり立ち代わり教師が『運動部に入れ』という。当初運動部に入ることを考えていなかったが、そんなに言うならと公園での遊びの野球のイメージで入部した。しかしすぐに後悔した。硬球が重くて肘を傷め、長い距離を走るのも苦手。練習についていけない日々で、野球は嫌いだと公言していた」

――退部を考えませんでしたか。

「やめようと何度も思った。しかし、あまりにも部員が少なく、自分がやめたら仲間に迷惑をかけることになる。やめなかったのは、仲間を裏切れないという気持ちからだった」

どんな球でもこい、絶対取ってやる

――3年の夏は予選から遊撃手で打順は3番のレギュラーとして全試合に出場しました。

「入部直後は素人だからいろいろなポジションを経験した。最初、内野ゴロさえもどういう体勢で捕ればいいかわからず、本を買って勉強してみたものの、本で書いてあることと自分の体の動きが一致しない。内野、捕手、外野など投手と一塁手以外をすべて体験した後で、2年の秋から遊撃手が定位置になった」

「バドミントンをやっていたおかげなのか、スナップ(手首の前後の動き)が強くスローイングには自信があった。また、遊びの野球でどこにくるかわからない球を打っていた経験から、変化球にも対応できた。あの当時は、笑い話だが打者がカーブを見逃してベンチに帰ってきても『カーブじゃあ、しょうがないな』といっていたくらい皆、変化球の対応は苦手だった。変化球を打つ練習をしていなかった」

「一人ひとりが強い気持ちを持っていた。勝ち進むうちに次第に負ける気がしなくなっていた」

――予選では、準決勝で勝利につながるヒットを打ちました。

「準々決勝まではチャンスの場面で打てなかった印象がある。準々決勝で佼成学園を延長十八回引き分け再試合の末に下したが、応援にきていた中学時代の友人から『全然打てないじゃないか』とやじられ、それなら『あした絶対に打ってやるよ』と応じた。翌日の準決勝の堀越戦では、それまで無失点記録を続けていた投手から絶好の場面で打つことができた」

「勝ち進むうちに次第に負ける気がしなくなっていた。普段なら守備でイレギュラーな球が飛んでくると嫌だと思うが、あの時は『どんな球でもこい。絶対取ってやる』という心境だった」

――その強い気持ちを受けて、ピンチでの岩村さんのいい守備もありました。

「打球が飛んでくる方向が予測できた。守備はきたボールに向かっていく気持ちがないとエラーになる。あの大会では一人ひとりが強い気持ちを持って向かっていったのだと思う」

――決勝では勝負を決める先制得点を挙げました。

「駒沢大学高は同じくシード校ではなかったが、絶対に甲子園に行くつもりだったと思う。しかし国立は八回裏に無死二塁というピンチをしのぎ、次の九回表の攻撃となった。先頭打者の私が安打で出塁したが、この時のボールがバットに当たった感触はいまでも覚えている。その後、4番の二塁打で無死二、三塁となり、6番の市川のスクイズで私がホームを踏んだ。さらに7番の適時三塁打で1点追加し、2対0と突き放した」

「九回裏に守りに出るときの球場全体のざわめき、どよめいた雰囲気を忘れられない。私自身もふつふつとたぎるような何ともいえない高揚感、緊張感を覚えた」

――その時のメンバーの様子はどうでしたか。

「言葉少なく、しずしずとグラウンドに散っていった。あまりにも普段通りなので不思議な感じがした。その後、市川が2連続三振を奪い三者凡退であっという間にゲームセットとなった」

「実は決勝戦の前に、勝ってもマウンドに集まらず整列しようと約束していた。しかし、試合が終わった瞬間、気づいたら一塁手も三塁手も市川に駆け寄っていた。私は『あれ?』と思っているうちに出足が遅れてしまった」

「もう一つ約束があった。験担ぎでユニホームを洗わないで決勝に臨もうといっていたのに、当日は皆洗ってきれいなユニホームだった。汚れていたのは私だけだった」

国立高での野球経験は社会人になっても役立っている。院長として職員に対し、組織力の重要さを折に触れ伝えている

甲子園出場は「組織力」のたまもの

――なかなか個性的な選手たちですが、なぜ甲子園に行けたと思いますか。

「うまく歯車があっていた。レギュラーだけでなくベンチも含め皆が同じ方向を向き、同じ気持ちだった。当時は運がよかった、何かが宿ったとしか思えないような奇跡的なことのように思えたが、いまになって数字を見ながら振り返ると、市川が予選5試合を完封勝ちし、守備も鉄壁といえた。特別な練習をしたわけではないが、負けない野球・点を与えない野球がしっかりできていた。そしてチャンスに誰かが打った」

「チームの中で選手一人ひとりが自分がやらなければならないことを、きっちりした責任を果たした結果だといえる。とにかく自分のところにきた球はしっかりさばく。ほかの人のところにきた球はほかの選手がきちんとやってくれるだろうという信頼感があった。だから私も淡々と冷静に自分の仕事ができた」

――その経験は社会人になってから役立っていますか。

「外科医だった父親の影響もあり医学部に入り外科医になった。離島を含めいろいろな病院に派遣されたが、その都度、余計なことは考えずにその場でできることをきっちり身につけることが自分の仕事だと思い、落ち着いた気持ちで修業ができたと思う。どんな環境、状況でも焦らず騒がず黙々と自分のやるべきことをやるということを甲子園出場という、いわゆる成功体験から学んだ」

「国立のような部費が年間9万円程度で練習時間も少ない都立高校が甲子園に行けたことは、『組織力』のたまものともいえる。組織のなかで自分のやるべきことをきちんと理解し工夫してやっていけば全体としての組織力が上がりいい結果に結びつく。病院長になってからは職員に対し折に触れ伝えている」

――「嫌い」と公言していた野球でしたが、岩村さんの人生にいい影響を与えましたね。

「国立で野球をやっていなかったら、つらいことから逃げる根性なしの人間だったかもしれない。辛抱強くなったし、心身ともにタフになったと思っている」

「甲子園に出場して注目されたことで、私も含め皆よく勉強をした。共通1次試験の点数や受験した大学名などがニュースになった時代。確か、東京大学にいった市川も最初の志望校は別の大学だったと記憶している(笑)」

 岩村太郎(いわむら・たろう) 1963年2月19日生まれ。88年3月に日本医科大学医学部卒業後、同大病院第2外科入局。八丈島への医師派遣、埼玉県立がんセンター、平成立石病院外科部長などを経て、2013年4月から現職。専門は消化器外科。家族は妻と娘1人。

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