2019年2月19日(火)

東大寺長老・森本公誠氏、祈りに込めた「互恵の精神」(戦争と私)
戦後70年インタビュー

2015/8/5付
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東大寺長老の森本公誠氏は、戦没者の追悼法要などを営んできた。イスラムの要人とも交流し、国際平和を祈る宗教者の思いを聞いた。

――70年前、終戦前後の体験を聞かせて下さい。

「軍人だった父の異動のため朝鮮の京城(現ソウル)などを転々とした後、広島で小学1~4年を過ごしました。この頃は、朝鮮出身者への差別やいじめを目にすることが多く、子供心に疑問を感じたこともありました。通っていた中島国民学校は今の平和記念公園の南側。原爆の爆心地のすぐ近くでした」

森本公誠(もりもと・こうせい)氏 東大寺長老 兵庫県生まれ。15歳で東大寺に弟子入り。京大でイスラム研究に取り組み、14世紀の歴史家、イブン・ハルドゥーン著「歴史序説」を翻訳するなどイスラム研究者としても活躍。イスラム圏の要人とも交流を続ける。81歳。

森本公誠(もりもと・こうせい)氏 東大寺長老 兵庫県生まれ。15歳で東大寺に弟子入り。京大でイスラム研究に取り組み、14世紀の歴史家、イブン・ハルドゥーン著「歴史序説」を翻訳するなどイスラム研究者としても活躍。イスラム圏の要人とも交流を続ける。81歳。

「退役していた父が再び臨時招集を受けた関係で、1945年3月に奈良に転居し、その約4カ月後に原爆が投下されます。広島の家の近所の子供や友人はほとんど亡くなりました。私が生き残ったのは、本当に運だったと思います。終戦は奈良で迎えました」

――父親は戦犯として裁かれたそうですね。

「父は一時、フィリピンの捕虜収容所の所長をしており、捕虜を虐待したと言われたのでしょう。B級戦犯として懲役20年の判決を受け、十数年間、巣鴨拘置所に収容されました。大黒柱を失った我が家の生活は一気に苦しくなりました。大変ひもじい思いもしましたが、しっかりと生きなければ、広島で亡くなった友人たちに申し訳ない、と感じました。家計への負担を考え、高校進学を諦めようと思っていた頃、東大寺に弟子入りすることになりました。東大寺は学問寺で勉強を続けられると聞かされました。学問寺という言葉に魅力を感じました」

――京都大に進学後、イスラム研究を志したきっかけは。

「『鬼畜米英』と強調していた教師が、戦後は『米国万歳』とばかりに態度を一変させた。神だった天皇陛下が人間宣言し、国家神道が崩壊した。価値観や正しさが右から左に大きくぶれることに不信、疑問を感じました。京大ではマルクス主義など左翼思想が盛んになっていて、級友から『宗教は役立たない。時代遅れだ』と批判されることもありました。本当にそうだろうか。仏教をほかの宗教の視点から見てみたい、という思いでイスラム研究に興味を持ちました」

――2004年に東大寺の別当(住職)に就任し、04年にイラク戦争万国犠牲者追悼琵琶楽法要、05年には終戦60周年万国戦没者慰霊法要を行ったのは、どんな思いだったのですか。

「01年9月11日の米同時テロを経て、米国がイラク戦争を始める直前の03年1月、外務省から派遣されイランへ講演に行きました。出国の前日、イランの要人に『帰国すれば2月から1カ月間、世界平和を祈る修二会(しゅにえ=お水取り)に参加する』と伝えました。するとその要人は『(開戦は)その頃が危ないのではないか』と応じました。実際、修二会が終わった後の3月20日に米国がイラク戦争を始めました」

「当時は小泉政権下でイラク特措法ができたほか、イラクで日本人外交官2人が殺害されるなど戦争による犠牲者を出しました。派遣された自衛隊に犠牲者が出なかったのは幸運といえるのでは。イスラム研究者として、イスラム圏の要人らと交流してきた身としては胸を痛めるばかりでした。そんな時期に別当に就任したので、やはり平和への祈り、それも国家の枠を超えた祈りの場を持ちたいと思いました」

イスラム圏の要人とも交流し、国際平和を祈る東大寺長老の森本公誠氏 

イスラム圏の要人とも交流し、国際平和を祈る東大寺長老の森本公誠氏 

「東大寺は華厳宗の大本山。華厳経の世界観は多くの多様な人々を包括する普遍的なものです。日本だけでなく世界中で戦争のない時代が来るようにとの願いを込めて、これらの法要を企画しました。いずれも8月14日の夜に行い、関西駐在の各国総領事も招待し、多くの方が臨席してくれました」

――戦後70年をどのようにご覧になっていますか。

「明治維新から終戦までが77年、ソ連も約70年で崩壊した。世界史的に見て70年というのは大きな節目に当たります。革命のような能動的な要因によるにしろ、敗戦のような受動的要因によるにしろ、新たに築かれた国家体制は70年も経つと社会環境の変化からかひずみを生じ、その克服が革命や敗戦を経験しない新たな世代の権力者に委ねられます。ちなみに日本は千数百年の歴史のなかで2度大きな敗戦を経験しました。1度目は663年の白村江の大敗です」

「戦争の悲惨さを体が覚えている世代が減る一方で、現政権が現在の憲法の理念を逸脱しているとの批判がある安保法制を制度化しようとしています。それは果たして国民の望んでいることなのか。主権在民の真意が改めて問われます。宗教は、命を大切にするということが1番の眼目です。我々宗教者は平和を祈る。祈ることが何になるのかと言われるかもしれないが、祈り以外に何があるのかとも思います。祈りが戦争の悲惨さを癒し、祈りの心が敵対する人々に浸透していけば、双方が『国益』という名のパンを互いに分け合う心も生まれるのでないか。祈りとともにそのような相互依存、つまり互恵の精神の推進に貢献することが、戦争と平和を巡る宗教者の立場だと思います」(聞き手は大阪社会部 倉辺洋介)

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