サッカー独代表の戦術、名は広がらずとも影響大きく
スポーツライター 木崎伸也
ドイツで、はやりそうで、はやらなかったサッカーの戦術用語がある。それは「プログレッション(Progression)」。「ポゼッション(Possession)」を意識した用語で、発案者はドイツ代表のスカウト主任、ウルス・ジーゲンターラーだ。
このヨアヒム・レーウ監督の右腕は、2014年ワールドカップ(W杯)の開幕直前、ドイツ代表が「ポゼッション」から脱皮し、「プログレッション(前進)」に取り組んでいることをメディアの前で宣言した。
■ポゼッションを進化、縦に速く攻める
「ボールを保持し続けるには、絶え間ないアクションが必要だ。しかし、ブラジル北部の暑さの下では、動けば動くほど体力を消耗する。ドイツはポゼッションサッカーによって大きく前進したが、それを見つめ直すことが求められた。新たに導き出されたのは、単なるポゼッションを進化させた、スピーディーで常にゴールに向かうポゼッションだ」
「私たちはこれを『ボールプログレッション』と呼んでいる。単なるボールポゼッションはブラジルでは正しいレシピにはならない。ボールを失わないようにしながらも、縦に速く攻めることが重要だ」
レーウが04年に、ユルゲン・クリンスマン監督からの誘いでドイツ代表のコーチになって以来、ドイツは戦術の近代化に挑み続けてきた。
まずは3バックに慣れていた選手たちに4バックのラインディフェンスをたたき込み、全選手にボールの動きに応じて立ち位置と体の向きを修正することを教えた。いわゆる「ボールオリエンテッド」の守備である。
06年W杯後、レーウがコーチから監督に昇格すると、次は攻撃のモダン化が始まった。パスを出したら前に走る「パス&ゴー」を徹底し、1人当たりのボールタッチ時間の短縮にこだわった。
その結果、10年W杯で低い位置からのカウンターがおもしろいように決まり、イングランドやアルゼンチンから4点を奪って、2大会連続で3位になることができた。
■独リーグの新たなスタンダードに
レーウはそれで満足せず、スペイン代表とバルセロナをお手本にポゼッションサッカーにチャレンジする。エジルら若手の技術を生かし、どの国と対戦しても敵陣に押し込めるようになった。だが皮肉なことに12年欧州選手権では、準決勝でイタリアのカウンターに沈み、タイトルには手が届かなかった。
そういう紆余(うよ)曲折を経てレーウたちが行き着いたのが、「カウンター」と「ポゼッション」を融合させた「プログレッション」なのである。速いだけでも、遅いだけでもない。状況に応じて攻撃のスピードを変化させるサッカーだ。
ドイツが「プログレッション」を重視したサッカーで、見事に14年W杯を制したことで、この戦術用語は流行語になる……と思われた。しかし、ドイツ人たちは、それほど戦術に興味がないらしい。メディアがこの用語に飛びつかなかったため、それ以降ニュースで目にすることはほとんどなくなった。
日本ではFC今治の岡田武史オーナーが目をつけ、クラブの指針のひとつにしているが、本国ドイツではお蔵入りしつつある。
とはいえ、その概念が消えてしまったわけではない。用語自体ははやらなかったが、「カウンター×ポゼッション=プログレッション」というスタイルはドイツリーグにおける新たなスタンダードになりつつある。
レバークーゼン、アウクスブルク、ホッフェンハイムといった若手監督が率いるチームは、まさに「プログレッション」を実践し、昨季のドイツリーグで大躍進した(それぞれ4位、5位、8位)。
■速攻が可能かどうか、より直感的に
「プログレッションサッカー」の台頭により、サッカーにおける「定義」も変わり始めた。
たとえば従来、サッカーの局面は次の4つに分けられてきた。
【従来の分け方】
(1)マイボールのとき
(2)相手ボールのとき
(3)ボールを失った瞬間
(4)ボールを奪った瞬間
3と4はいわゆる攻守の「切り替え」の瞬間だ。
だが最近ドイツでは、こういう分類ではなく、次の分け方が一般的になりつつある。
【最新の分け方】
(1)マイボール&敵の陣形が整っている
(2)マイボール&敵の陣形が崩れている
(3)相手ボール&自分たちの陣形が整っている
(4)相手ボール&自分たちの陣形が崩れている
従来、攻守が入れ替わる「トランジッション」が重視されてきたのは、ボールを奪った瞬間はチャンスになりやすい、と考えられていたからだ。もちろんそれは間違いではないが、例外もある。もしボールを奪ったときに相手の陣形が整っていたら、速攻で崩すことは難しい。
そこで「ボールの保持」の有無に加えて、「組織の秩序」の有無を盛り込んだのが新しい分類法だ。これによって「速攻できるか・できないか」が、より直感的にわかりやすくなる。
■相手陣形が整っていたときの攻め方は
相手の陣形が崩れているときは、どんな状況だろうと、ゴールに最短時間で迫ればビッグチャンスになりやすい。相手のパスをカットしたとき、シュートのリバウンドを拾ったとき、セットプレーからのカウンターなど、いろいろな状況がありうる。
逆に陣形が整っていたら、ただの速攻では崩すのが難しくなる。いわゆる遅攻をせねばならず、別の手が必要だ。
こういう分類をすることで、前に行くべきか、行かざるべきかを判断しやすくなる。「前への意識」が前提にあり、まさに「プログレッション」的思考だ。意味なくボールをまわす「ポゼッション」とは一線を画す。
では「プログレッションサッカー」では、相手が陣形を整えているときは、どう攻めるのだろう?
当然、監督によっていろいろな方法論があるが、14年にドイツで発売された戦術書『Matchplan FUSSBALL』(ティモ・ヤンコフスキ著)にいくつかの基本が書かれている。
・意図的なリズムチェンジ
・DFラインを越える飛び出し
・クロスもしくはスルーパス
・斜めのアクション(斜め方向のランニング+縦パス、縦方向のランニング+斜めのパス)
・1対1の仕掛け
・少ないタッチでのコンビネーション
■攻守両側に求められる数秒の約束事
同書によれば、標準レベルのチームは組織が崩れた状態から、整った状態にするまでにおよそ10秒かかる。よりレベルの高いチームであれば6~8秒だ。
つまり、マイボールになったときに相手の組織が崩れていたら、そこから10秒以内にフィニッシュに持っていくべし、ということだ。これは「10秒ルール」と呼ばれている。
逆に守る方の約束事としては、「ボールを失ってから、5秒間だけ全力で奪い返そうとする」という守備法が、強いチームのスタンダードになりつつある(ドイツではゲーゲンプレッシングと呼ばれている)。
つまり、攻める方にとっても、守る方にとっても秒数が大切ということだ。いくつかのクラブでは、練習場に電光表示のカウントダウン計を置くようになった。
日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督は、縦に速いサッカーを求めている。おそらくレーウ監督の「プログレッションサッカー」と似たイメージを持っているのではないだろうか。
ネーミングのセンスは受け入れられなかったが、その中身は本物である。なにせW杯のタイトルをもたらしたのだ。レーウが10年がかりでたどり着いた哲学は、日本にとっても大いに参考になる。
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