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現状維持は退歩 チームも選手も変化してこそ

FC今治で仕事を始めてから、うちのクラブの育成部門に入りたいという応募は県外からもあったりする。「どうしてですか?」と尋ねたら「サッカー選手だけでなく、人間としても、きちんと育ててくれそうだから」と親御さんから返ってきたりする。もし、それが本当ならうれしいことだし、そういうイメージはクラブの特色として大事にしたいとも思う。「サッカーだけを教えるクラブじゃないぞ」と。ただし、小学生に関して県外からの応募は基本的にお断りしている。やっぱり、育成年代では、子供は親御さんと一緒に暮らすことが大事だと思うからだ。

いろいろな人のアイデアや考えを採り入れながら、FC今治で最上のものをこしらえていきたいという岡田氏

「進化は変化の中にある」

もう一つ、FC今治に関心を寄せてくれる大きな理由に「岡田メソッド」の存在がある。何か新しいことに岡田はチャレンジするらしい、それは今までの方法論とは少し違うらしい――そんな噂を耳にして、その新しいメソッドで自分も鍛えられたいということなのだろう。

今治で試行錯誤しながらメソッドを製作するのは「変化」を求めてのことだ。スポーツの現場にいると「進化」という言葉をよく聞く。企業にとってもイノベーションは非常に重要なキーワードで、選手もメディアも「進化」を強調する。やることなすこと、すべてが進化に直結するのがベストなのだろうが、世の中、そうそうおいしい話は転がっていない。万端の準備を整えてやったことが無駄になることだってある。商品開発の現場などでは、むしろ失敗に終わることの方が日常茶飯事かもしれない。

私は「進化は変化の中にある」と思っている。進化だけを狙い打ちしても、そうそう当たるものではない。変化を求めて「あれも」「これも」とやっているうちに進化の芽がやっとのことで見つかるような気がしている。

怖いと思うのは進化しないことを恐れて新しいことにチャレンジせず、結果的に現状維持を選択することだ。スポーツの世界で現状維持は退歩を意味するから、とどまっていること自体が確実にダメな方向にチームや選手を追いやってしまう。また指導者としても立ち止まったら終わりである。新しいシーズンの最初のミーティングで、選手たちをグッと引き付ける新しいものが自分にあるか、今でも不安になる。

らせん階段のようなケースも

ある企業が「縦割りの組織ではダメだからフラットな組織にした」と思ったら、しばらくして事業部制が復活したりする例がある。部外者から見たら「なんだ、結局、一巡して同じところに戻ってきただけじゃないか」と思うかもしれないが、私にはそういう変化を求める姿勢にも意味があると思っている。最初からずっとその場にいたのと、一巡して戻ってきたのとでは意味が違うと思っている。上から見たら元に戻っているかもしれないが、横から見たら一段上に行っている、らせん階段のようなことが起こっていることもある。

完璧な組織も仕組みもこの世の中にはない。サッカーのシステムもそうだ。「4バックがいい」「いや、3バックだろ」「1トップかな」「3トップもありかも」と監督たちは皆、自分のチームにあったシステムを追い求め続ける。そういうトライを無駄だと切り捨てたら本当にチームとか組織というものはよどんでしまうものだ。

この年になって新たな発見次々

振り返ると、日本サッカーが代表チームを含めて「アジア最強」の名をほしいままにするようになったのは指導者養成と育成年代の指導に力を入れたからだった。そこに今、私は非常な危機感を抱いている。制度としては残っているし、立派な教則本もある。しかし制度設計の当初にあった「心」は消えかかっているのではないかと。別な言い方をすれば、ある種のマンネリに陥っているのではないかと。

大きな組織ほど、過去にうまくいっているものを変化させるのにはリスクが伴うので勇気がいる。だからこそ、我々のような、ある意味、失うものは少ない、小回りの利くクラブが"実験"をやってみたい。そこから得られるものが有効だと認められたら、今治以外にも自信を持って広げることができるだろう。

U-17(17歳以下)の日本代表監督だった吉武博文がメソッド事業本部長になり、私やスペイン人のコーチも含めて、みんなとディスカッションしながらやっているが、つくづく「俺は甘かった」と思う。この年になって新たな発見が次々に出てくるからだ。自分なりにサッカーを系統立てて勉強してきたつもりだったが、まだまだ奥も幅もある。

新たな発見の一つが「言葉は大事だ」ということ。もちろん、これまでも自分なりにサッカーというものを咀嚼(そしゃく)して、言葉に置き換えて選手にコーチしてきたという自負はある。でも、私たちが今、新たにつくっている言葉は、これまで私が使ってきた言葉とはまるで違うものだ。その言葉を聞けば、全員が同じ絵を頭の中で描け、同じように反応できる、というものだ。「ポゼッションがどう」とか「ブロックディフェンスがどう」とか、そんな手あかにまみれた切り口ではない。

開発中でもあるし、メソッドにも関わることなので、今はあまり詳しくはいえないが、例えば、イヌイットには「雪」を表現するのに何種類も言い方があると聞く。日本人にもそんな感性があるのは俳句の季語などを見れば分かることだ。

サッカー、言葉の種類極端に少なく

ところが、サッカーに関しては「ドリブル」「パス」とか、言葉の種類が極端に少ない。パスにしてもせいぜいロング、ミドル、ショート、強い、弱い、くらいしか形容するものがない。スペイン人やスペインで指導経験のある今治のコーチたちと話していると、そこがまったく違う。パスを形容する言葉が仰天するほど多いのだ。用途、目的、意図、いろいろな意味がその言葉には塗り込まれており、さすがにパスが命の国だけのことはあるとうならされる。そういう表現をうまく日本語にしていくだけでも日本のサッカーは変わってくるような気がしている。

あるいは、試合中にCBが周りに敵がいない状態でボールを持ったときに、どういう言葉をかけるか。今の日本では「フリー」とか「持って上がれ」ということになる。確かに、フリーの状態ならドリブルで自分が持って上がればいいのだが、不器用なCBには、それはかなりの負担になる。それでドリブルするよりも、マークが付いているボランチにわざわざパスをしてカットされてカウンターを浴びたり、むやみにロングパスを前線に蹴り込んだりすることになる。

人の力束ね、それ以上の力引き出す

そういう選手に、フリーのときにボールを持って上がる行為について「ドリブル」以外の言葉を見つけられたらどうなるか。本人を含め周りの選手も何をすべきかを理解して対応すれば、それまでの不細工なものではなくなるかもしれない。

監督時代に「経営セミナー」にかり出されて講演することがあったけれど、今、自分がオーナーという立場になって経営の大変さを本当に実感するようになった。しかし、つらいだけでなくわくわくもしている。自分がやりたいことを本当にやれているからだろう。

メソッドづくりにしても、クラブ経営にしても、思うことは、自分ひとりには大した力はないということ。代表監督をやっていたころも年下のJリーグの監督に「おまえならどうする」と質問することは平気だった。こけんに関わるというようなプライドは自分にはまったくない。どこかに自分と違う意見の人間はいないかな、と常に探して話を聞いて回ったり、本を読んだりするのが好きな性分は昔から変わらない。

そうやって、いろいろな人のアイデアや考えを採り入れながら、最上のものをこしらえていきたいと思っている。監督時代もそうだったけれど、人の力を束ねて、束ねた以上の力を引き出す、それが私の役割だ。

(FC今治オーナー、サッカー元日本代表監督)

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