岩田社長失った任天堂 直面する3つの課題
ジャーナリスト 新 清士

11日、任天堂の岩田聡社長が亡くなった。岩田氏は、任天堂のカリスマ経営者として大きな役割を担ってきた。2014年1月には、同社が今後10年かけて取り組むテーマとして、「人々のクオリティ・オブ・ライフ(生活の質)を楽しく向上させる」と宣言し、次々と新しい戦略を推し進めている最中だった。
山内氏のアイデアを現場で具現化
岩田氏は、任天堂を家庭用ゲーム会社として育て上げたワンマン経営者の故・山内溥氏から指名され、後任として02年に42歳で社長となった。ハル研究所という外部の企業での実績を買われ、山内氏の後ろ盾の下、任天堂にまったく新しい風を呼び込んだ。04年に携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を、06年に家庭用ゲーム機「Wii」を発売し、どちらも大ヒットさせた。
05年に山内氏が相談役に退いた後も、要所要所で経営に関与していたとされる山内氏から岩田氏への信頼は絶大だった。山内氏の「鶴の一声」を、社内にも社外にもわかりやすい戦略に落とし込み具現化していくのが岩田氏の役目だった。
任天堂が自社サイトで公開している「社長が訊く」のインタビュー記事から、岩田氏と山内氏との関係の深さが見てとれる。自社のゲームやハード機に関してトップに直接質問するコラムだが、ニンテンドーDSが上下2画面になった理由を、岩田氏は「山内さんが2画面にものすごくこだわった。とにかく2画面にしてくれという要望があった」と語っている。「山内さんの情熱がなければ、ニンテンドーDSはあの形をしていない」(岩田氏)

発売当時、無謀とも思われた2画面のゲーム機を結果的にヒットさせたのは、山内氏の要望に、岩田氏を含む現場が是が非でもと応えた結果だった。3DSに裸眼立体3D機能を搭載したのも、山内氏が「飛び出せへんのか?」と話したことが理由の一つと語っている。
11年2月に3DSを発売した後、販売は予想以上に不振で8月には2万5000円から、1万円の値下げを行うという異例の価格改定を行った。ハード事業の赤字化は不可避だったが、それよりも台数の普及を優先した。ある機関投資家によれば、「この決定にも山内氏の鶴の一声があった」という。その後、3DSは、現在までに5000万台を超える大ヒット商品となった。
岩田氏が進めていた戦略変更
13年9月に山内氏が亡くなったことで、任天堂は長年続いたトップダウン体制が終焉(しゅうえん)を迎えることとなった。否応なしに、新しく変わらなければならない状況に直面したのだ。社長として後を引き継いだ岩田氏は、山内氏亡き"新生"任天堂の道筋を付けたいという思いが人一倍強かっただろうと推察される。
そこで、岩田氏は14年、既存の戦略から大きくかじを切った。
14年2月に同社ホームページで公開した「株主・投資家の皆様へ」と題した社長メッセージで、「これまでの10年に最も力を入れてきたのは、年齢・性別・過去のゲーム経験を問わず、誰もが楽しめる商品を提案することでゲーム人口を拡大するという基本戦略」としていた。

それを、任天堂がこれからの10年で挑戦することは、「人々のクオリティ・オブ・ライフを楽しく向上させるプラットフォームビジネス」と定義し直した。単なるゲーム会社ではなく、新しい事業領域にも挑戦するとしたのだ。そのため、自社の持っているゲームのブランドの積極活用や、健康事業への参入も明らかにしていた。
そして、15年3月には、DeNA(ディー・エヌ・エー)との資本・業務提携も発表、これまで否定していたスマートフォンへの参入も決めた。5月には、米テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」運営会社のユニバーサル・パークス&リゾーツと提携し、「マリオ」などキャラクターを使ったアトラクションを共同開発することで基本合意している。
ゲーム市場は、家庭用ゲームよりもスマホゲームが主流となるなど逆風が吹いている。任天堂は、岩田氏が掲げた新戦略によって、既存の家庭用ゲームという枠組みを超えたブランドになろうと、様々な新しい手を打っていた最中だった。しかし、岩田氏はその成果を見届けることなく、道半ばで去ることになった。
今後、任天堂が直面する3つの課題
今回、任天堂は岩田氏というカリスマを失った。その影響は計り知れない。直面する問題にどう対処するのか。課題は大きく3つある。
一つ目が後継者。同社をビジョナリーとしてけん引してきた岩田氏の戦略を、誰が経営者として引き継いでいけるのかという問題だ。今回、専務取締役である竹田玄洋氏および宮本茂氏が繰り上がる形で、暫定的に両氏がトップを務めるが、後任の社長は決まっていない。
竹田氏は、Wiiなどハードの設計を専門としてきたが、任天堂の事業戦略全体に関与した経験がほぼない。宮本氏は「マリオ」を産み出した天才的なクリエイターとして、長年同社のゲーム開発を引っ張ってきており、ゲーム開発のカリスマだ。しかし、その能力が経営者に向いているという評価は見聞きしない。今は、岩田氏に代わる最適な次の経営者が白紙の状況にある。
2つ目の課題が、スマホ向けのゲーム展開だ。3月に発表したDeNAとの資本・業務提携は、岩田氏が社内の反対の声を押し切る形で実現したという。6月29日には、任天堂の関連会社がポケモンのパズルゲーム「ポケとる」をこの夏にスマホで展開すると発表した。任天堂ブランドのタイトルを使った初めてのスマホゲームである。ただし、このゲームは今年2月にすでに3DS向けにリリースしていたものの移植版だ。DeNAと開発を進めている新作スマホゲームが、岩田氏亡き後も任天堂のなかで、重要度を維持できるかは未知数だ。

新型ハード機が3つ目の課題だ。来年にも情報が発表される新ハード「NX」についても不透明さが増した。新型ハードは据え置き型なのか、携帯型なのかも明らかになっていないが、新ハードを投入する時期として来年は容易な時期ではない。据え置き型の「WiiU」が世界販売台数で約1000万台なのに対し、ソニー・コンピュータエンタテインメントが「プレイステーション4」を2000万台以上も販売するなど、特に海外で差が広がっている。携帯ゲーム機市場は、ますますスマホにシェアを奪われつつあり、この状況は来年になっても変わりはない。こうした逆風の中、岩田氏亡き後で、画期的な提案ができるのか。
窮地に立たされた任天堂だが、このままじり貧で消えていくとは考えにくい。過去、任天堂は危機の時期にこそ、新しい成長の種を見つけ、乗り越えてきたからだ。
そもそも、山内氏が社長に就任したのは22歳で、先代社長の急逝によるものだった。岩田氏が社長に就任したのも、42歳。家庭用ゲーム機「ゲームキューブ」が売れず、苦戦しているまっただ中だった。危機に直面しても、それをアイデアによって、発想を転換し、サプライズを生み出し乗り越えてきた。
岩田氏の意思を継承しつつ、直面している課題を乗り越え、新しい任天堂の姿を見せてくれる――。岩田氏を惜しむ世界中の任天堂ファンは、そう信じているに違いない。