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アガシに思う、錦織のウィンブルドンでの勝ち方

テニスコーチ ニック・ボロテリー

テニスのウィンブルドン選手権は四大大会の中でもとてもユニークな場所だ。当日券を買うためにテントで野宿して10~15時間も待つなんて、全豪オープンや全仏オープン、全米オープンではないことだ。最近、スポーツの大きなイベントは企業の広告のために運営しているのか?と思わせるものが目につくが、ウィンブルドンは明確に「伝統を守るため」に運営されている。

92年全英、コーチとして四大大会初V

アンドレ・アガシ(左)のウィンブルドン優勝がコーチとして初の四大大会制覇だった=IMGアカデミー提供

広告の看板がなく色が統一された会場の雰囲気、ボールボーイ、ボールガールの準備や態度、芝の調整……。すべてに細心の注意が払われている。様々なルールがあり、おきて破りは許されない。一番有名なのは、試合中の「Quiet, please(お静かに)」だろうか。テレビで見ると、ポイントとポイントの間、シーンとしているのがわかるだろう。これと正反対なのは全米オープン。「Noise, please(音をたてろ)」と言わんばかりだ。これもニューヨーク名物となっている。ウィンブルドンと全米、これは四大大会の中でも両極端だ。

僕がコーチとして初めて勝った四大大会が、ウィンブルドンだった。センターコートで1992年のアンドレ・アガシ(米国)の優勝の瞬間を迎えた。22歳だった彼にとって四大大会初制覇。四大大会の優勝は選手と同様、その選手を育てたコーチにとっても、キャリアとして大きい。新しい扉が開いた場所なんだ。

実は、1勝することすら期待せずに臨んだ大会だった。アガシは直前までゴルフばかりしていて、練習はハードコートで15分打っただけで、芝コートのウィンブルドンに向かったのだから。少しずつ、少しずつ試合を勝ち進み、最後はビッグサーバーのゴラン・イワニセビッチ(クロアチア)をフルセットで下して優勝した。このとき、恒例の男女シングルス優勝者同士のダンスの相手がシュテフィ・グラフ(ドイツ)。後に2人が結婚するなんて、当時は誰も想像すらしなかったよ。

アガシと通じる錦織の天性のプレー

アガシは芝で勝つとは思われていなかった。そもそもウィンブルドンが嫌いだった。17歳で初出場した87年、アンリ・ルコント(フランス)にひどい負け方をし、「芝は牛のものだ」と私に告げると、88~90年の3年間は出場しなかった。91年から気が変わったが、その理由は分からない。それがアガシだ。今でこそ、恵まれない子供のための学校を建て、コート外でも尊敬を集める人材だが、当時はとっても変わっていた。

アガシのプレースタイルは芝では不利だ。錦織圭もそうだが、彼らの「試合を読む目」「フットワーク」「ラケットさばき」は誰も教えることができない、天性のものだ。しかし、キラーサーブと呼べるような、ビッグサーブはない。女子のセリーナ・ウィリアムズ(米国)を見ても分かるだろう? 戦況が不利になったとき、調子の悪いとき、一発ドカンでポイントを奪える武器があるというのはものすごいアドバンテージだ。しかもそれで20ポイントもとれたら、どれだけ心理的にも楽か。

それがないアガシは1ポイントごと、せっせと考え、動かないといけない。ボールがはねず、エースが決まりやすい芝ではより不利になる。芝がまだ青々としている第1週をどう勝ち抜くかがカギだ。

錦織は予測不能なプレーする選手

2週目に入ると、サービスライン、ベースライン周辺の芝ははげ、ダート状態になる。そうなると、コート状況は全く違ったものになる。アガシのようなストローカーにもチャンスが出てくる。目の前の1戦に集中して、第1週を上手に戦えたのがよかった。

アガシは2006年に引退するまでに四大大会のシングルスで計8度優勝した。「芝」「クレー」「ハード」とすべてのサーフェス(表面)の四大大会を制した初めての男子選手でもある。しかし、92年のウィンブルドンに勝つ前に、他の四大大会で3度も決勝戦で負けている。これは王者になるために必要なプロセスというもの。

今回は負傷棄権したけれども、アガシと似たタイプの圭の四大大会優勝に至る道のりも、ビッグサーブを持つミロシュ・ラオニッチ(カナダ)らと比べて、ずっとタフなものと思っておいてほしい。でも忘れてほしくないのは、圭ほど予測不能なプレーをする選手はいないということ。

体が小さい少年だった13歳のとき、フロリダ州の僕のところに来たときからそうだった。たぶん、小さい体のハンディーをカバーするために、自然と身につけてきたんだろうと思う。皆さんがそれほど圭に期待しなくなったころ、何かしでかすかもしれないよ。

黒人初の全英覇者と始めた普及活動

もう一つ、今年のウィンブルドンでは亡くなった僕の親友、アーサー・アッシュ(米国)のことも覚えておいてほしい。75年、黒人男性で初めてウィンブルドンを制した。僕はコーチを始めた直後の58年、15歳の彼に出会ってから、気があった。人種差別と戦い、プロ選手の地位向上、テニスの普及に貢献した人物だ。彼ほど知的で、穏やかで細やかな人間はなかなかおらず、手術で感染したエイズウイルスのために49歳でなくなることがなかったら、米国大統領にもなっていたんじゃないか、というほどの人物だった。

彼がウィンブルドンを制して40年目の今年、彼と始めた都市部の子供たちにテニスを広める活動が認められて、白人では初めて、僕は黒人テニス殿堂に選ばれた。セレモニーは僕の住むフロリダ州である。それも楽しみだ。

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