新国立競技場騒動に見る「64年五輪」の呪縛
編集委員 北川和徳
東京五輪・パラリンピック組織委員会の国内スポンサー集めは絶好調だというのに、大会メーン会場となる新国立競技場の建設は総工費の膨張などで大幅に見直され、大騒動になっている。バスケットボールや自転車競技なども、当初の会場新設計画は頓挫し、東京都以外の既存施設で実施される方向だ。「いったい五輪の資金は十分なの、足りないの」。まったくの両極端なニュースに、そんな疑問を抱く人もいるだろう。
■国の予算で東京に豪華な施設
組織委の予算は実は直接的な大会運営費に限られる。五輪・パラリンピック開催のためだけに必要な施設整備や人員の確保がそれにあたり、最近の五輪ではスポンサー協賛金とテレビ放映権料、チケット販売収入を3本柱に、ほぼすべてを民間資金で賄う。東京大会の場合、招致段階の見積もりでは総額約3000億円。テロやサイバーセキュリティー対策などでこの金額は大幅に上振れしそうだが、それでも今の状況なら黒字化への見通しは暗くない。
だが、大会に向けて競技会場を新たに建設する場合、それは公共事業として財源は国や自治体に頼る。組織委が稼ぐ民間資金とは別の財布となる。この国の財政状況を考えれば、大会のシンボルであるメーン会場の建設費に厳しい目が向けられるのは仕方がないことだろう。
新国立競技場をめぐる騒動を、首都圏から離れた地方の人々はどう見ているのだろう。確かに国立は五輪・パラリンピックのためだけに建設されるわけではない。2019年にはラグビー・ワールドカップもあるし、20年以降も日本最高峰のスタジアムとして、数々のビッグイベントの舞台となるはずだ。
しかし、それは地方にとって直接はなんのメリットもない。ほとんどの国民は20年五輪のために立派なスタジアムが必要になったと思っている。それなのに、国の予算でまた首都東京に豪華な施設が建つことに、地方では不満が募るばかりではないかと心配になる。
■維持管理費など年35億1000万円
五輪に限らないが、ビッグイベントのために公的資金によって整備されるスポーツ施設の最大の問題は、建設費以上にその後の維持費が負の遺産として残されることだ。完成後の新国立の収支はどうだろう。
昨年5月時点の計画通りに建設されることを前提としたものだが、国立競技場を所有・運営する文部科学省の外郭団体、日本スポーツ振興センター(JSC)が発表した資料では、完成後の新国立は維持管理費など支出を年間35億1000万円、収益事業の売り上げからコストを引いた収入を38億4000万円として、毎年3億3000万円の黒字を見込んでいる。ただ、その試算の内訳をみると苦笑いしたくなる数字も少なくない。
コンサートを年12回開催して計6億円、サッカーやラグビーの国際試合など大規模スポーツイベント36回で約3億6000万円の売り上げを見込むのはともかく、一般の運動会のようなイベントにも1日46万円から59万円で44日も貸し出すことになっている。国の施設として誰でも使用できる公共性を求められるということか。これは旧国立の運営実績をそのまま引き継いでいるようだ。
一方で、700万円のVIP室(54室)や10万円から15万円の年間シート(約7000席)を企業や富裕層向けに販売するプレミアム会員事業で20億円以上の売り上げを期待する。こちらはまるで民間がやるビジネスだ。だが、国立だから特定のチームの本拠地になるわけにもいかず、集客力の高いSクラスのイベントはサッカー日本代表の試合など年間8日と設定。完成直後はともかく、そんなVIP室や年間シートが完売するだろうか。
■スタジアムでなく、イベント会場に
しかも、試算通り年間3億円強の黒字が出たとしても、完成後の50年間で大規模改修費が約656億円かかるという。本当の意味で収支をトントンにするには、単純計算で年間13億円以上の黒字が必要な計算となる。
新国立が稼げない施設だとは思わない。収容人員は8万人から減ることになりそうだが、日本の首都東京の一等地にある、屋根付きの全天候対応の最新スタジアム。スポーツに限らずにコンサート会場や見本市会場としても積極的に売り込めば、需要はいくらでもあるだろう。株式会社「東京ドーム」の年間売り上げは800億円を超える。ホテルや遊園地も含む複合施設ではあるが、この10分の1でも売り上げがあれば、改修費くらいは積み立てられるし、建設費の回収にも少しは役に立つ。
ただ、そのためには運営方針の転換が必要となる。公共性重視のもうからないイベントへの貸し出しは不可、Jリーグの特定チームの本拠地になるのも当たり前。イベントを誘致するため世界中に営業をかけ、観客が少ない日本陸上選手権よりも、満員となるアイドルグループのコンサートを優先するような運営が必要となる。スタジアムではなくビッグイベント会場だ。官主導でやっていてはとても無理だろう。
■行政主導のスポーツ環境整備は限界
東京が20年の前の16年夏季五輪招致に名乗りを上げた時、メーンスタジアムは東京・晴海に都立の施設として国の援助をうけながらPFI(民間資金を活用した社会資本整備)で建設する方針だった。当時は国が国立の新設に難色を示したための苦肉の策ではあったが、五輪のような巨大イベントを開催するなら、民間の資金とノウハウを活用するのは今では当然の考え方だろう。20年のメーン会場を半世紀前の五輪と同じやり方で用意することになったのが、むしろ不思議な気がする。
結局、日本のスポーツ行政は半世紀前の五輪の成功体験に今も縛られていると思う。国家的プロジェクトだった1964年大会は、日本の戦後復興を世界に示し、それに伴う大規模なインフラ整備がその後の国の発展につながった。スポーツ界も国を挙げた選手強化策で16個の金メダルを獲得。国の補助金と企業の支援がベースとなる日本の競技スポーツのあり方が決まった。スポーツをする環境整備は国や自治体の仕事という意識が定着した。
そうしたやり方はとうに限界を迎えている。スポーツ界が歓迎するスポーツ庁の設置に水を差すようだが、新国立の建設をめぐる騒動は、その問題を浮き彫りにしている。