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独サッカー、ホッフェンハイムが起こすメンタル革命

スポーツライター 木崎伸也

今やサッカーは「総合力」の時代だ。ピッチ内でサッカーの技術を磨くだけでなく、ジムにおけるフィジカルトレーニング、データ分析、食事、睡眠など、ピッチ外の取り組みが勝敗を左右するようになってきた。

そのひとつが、メンタルトレーニングだ。たとえばドイツ代表が2014年ワールドカップ(W杯)で優勝したとき、メンタルトレーナーのハンス・ディーター・ハーマンが選手たちをサポートしていた。

ゴムボートで海に出て冒険家から話

ハーマンは常々「ミスから学ぶ重要性」を説いており、ドイツが準決勝でブラジルに7-1で快勝したときも、その教えが後押しのひとつになった。

ドイツはその約2年前、W杯予選のスウェーデン戦で苦い経験をしていた。4-0にリードを広げながら、そこから4失点して引き分けてしまったのだ。だからこそブラジル相手に4-0になっても油断せず、FWのクローゼが「さらにゴールを狙おう。でも、得点が生まれても絶対に喜んではダメだ」と注意を呼びかけたのだった。

大会前、ドイツは冒険家のマイク・ホルンを合宿地に招いた。極限状態に置かれた人間の心理を話してもらうためだ。舞台設定にもこだわり、選手たちはライフジャケットをつけてゴムボートで海にこぎ出し、ホルンが所有するヨットに乗って話を聞いた。日本だったら海に落ちることを心配する声が上がるかもしれないが、彼らはチームとしての共通体験を優先したのである。

大会後、ハーマンはこう語った。「決勝の舞台に立ったとき、『人生でW杯に優勝できる唯一のチャンスだ』と考えられる選手と、『悪いプレーをしたら、世界中に見られてしまう』と考えてしまう選手がいる。前者の思考を育むことが大事なんだ」

コンピューターゲームでトレーニング

かつてドイツサッカー界では、気持ちを高めるのは自己責任で、メンタルトレーナーは不必要と考えられていた。

その既成概念を打ち破ったのが、04年にドイツ代表監督に就任したユルゲン・クリンスマンだ。ハイデルベルク大学のスポーツ心理学者だったハーマンを抜てきして、メンタルトレーニングを一任。ドイツが自国開催の06年W杯で3位に躍進すると価値観が一変し、ブンデスリーガのクラブが次々にメンタルトレーナーを導入した。

たとえばフランクフルトは07年夏の合宿に、ハンドボール代表選手からメンタルトレーナーに転身したイェルグ・レールを招請。木の上に張ったロープを1人の選手が歩き、チームメートたちが命綱を支えるといった体験プログラムが行われた。もちろん「2部に落ちない」というメッセージもこめられている。

ただし、あくまでこういう取り組みは、モチベーションアップやチームワーク構築が目的で、従来のメンタルトレーニングの枠組みを出ないものだ。前進を好むドイツ人たちが、それに満足するはずがない。彼らはすでに新たな手法に挑んでいる。

それは「コンピューターゲームを使ったメンタルトレーニング」。ドイツ1部のホッフェンハイムは、ソフトウエア会社のSAPと手を組み、次世代のシステムを開発した。

このシステムを理解するには、まず心理学の基礎を知らなければならない。

ホッフェンハイムのメンタルトレーナー、マイヤー氏

速い思考と遅い思考、両方を鍛える

4月27日、ミュンヘンで開催されたSAPのイベントにおいて、ホッフェンハイムのメンタルトレーナー、ヤン・マイヤーはこう説明した(ちなみにマイヤーは、ハーマンと会社を共同経営している)。

「ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの理論によれば、人間の思考には『速い思考』(fast thinking)と『遅い思考』(slow thinking)がある。前者はいわゆる直感的な思考で、潜在意識で処理されるので負荷はかからない。一方、後者は論理的な思考で、負荷がかかるため疲労を感じる。サッカーにおいては、この2つの思考を速めることが大切だ」

マイヤーはカーネマンの有名なクイズを引き合いに出した。「バットとボールを足して1.10ドルだったとしよう。バットはボールよりも1ドル高い。では、ボールはいくら?」

カーネマンによれば、多くの人が「速い思考」により、「ボールは0.10ドル」と答えるそうだ。

だが、それは間違い。「遅い思考」でじっくり考えれば、「ボールは0.05ドル」であることがわかる(バット1.05+ ボール0.05=1.10ドル)。

こういう特性をしっかりと理解したうえで、「速い思考」と「遅い思考」の両方のレベルアップに取り組まなければならない。

たとえば、陸上選手のアサファ・パウエルは100メートル走の世界記録保持者だったにもかかわらず、大舞台になると決まってタイムが落ちた。その原因を探ると、大舞台のときは通常時よりストライドが約20センチ短くなっていたことがわかった。勝ちたいという思いが、無意識にフォームを狂わせていたのである。「速い思考」を改善していれば、五輪で金メダルを取ることができたかもしれない。

ホッフェンハイムが進化版システム

ホッフェンハイムの場合、両方の思考にアプローチしながらも、特に力を入れているのが「遅い思考」のスピードアップ。まずチームが導入したのは、「ウィナー・テストシステム」と呼ばれる1970年代に開発された判断力や集中力を鍛える手法だ。

たとえばコンピューターの画面に写真が一瞬だけ映し出され、そこに何があったかを答えるといった遊び感覚のトレーニングで、主に企業向けの能力開発に用いられてきた。ホッフェンハイムはそれをサッカーに応用し、トップチームの選手たちに対して、週に1、2回のペースで「ウィナー・テストシステム」をやることを義務づけた。

GKのオリバー・バウマンは、ビルト紙の取材でその効果を絶賛した。「まるで携帯のゲームをやるような感覚。集中力に加えて、周辺視野を鍛えることもできる。GKとしての能力が高まったことを感じている」

ホッフェンハイムとSAPが共同開発したヘリックス

そして今、その進化版をホッフェンハイムとSAPがつくり出した。コードネームは「ヘリックス」。180度の大きなスクリーンに、選手を模した人形が映し出され、実際にピッチで起こりうる課題をクリアしていくという「脳トレ」だ。

敵がオフサイドのポジションにいるか? 自分たちが数的優位なのか、それとも数的不利なのか? 選手は身ぶり手ぶりで、回答を示していく。ゲームと融合した、まさに次世代のメンタルトレーニングだ。

プレーのスピード、思考の速さが鍵に

現代サッカーでは、プレーのスピードアップが必須になっている。

たとえばドイツ代表は、06年W杯においては選手がボールを受けてから離すまで平均約2.9秒かかっていたのが、14年W杯では0.9秒まで短縮することができた。単純計算すれば、プレーが3倍速くなったということだ。こういうスピードアップのためにも、思考の速さが鍵になってくる。

18年W杯に向けて、メンタルトレーニングを含めたピッチ外の競争がさらに過熱していきそうだ。

(敬称略)

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