/

ピエヒVW前会長 辞任して伝える革新のDNA

欧州自動車最大手フォルクスワーゲン(VW)のフェルディナント・ピエヒ監査役会長(78)が4月25日、辞任した。高齢の王様が突然、本命の世継ぎを考え直すと言い出し、家臣たちはいさめたが、王様は聞く耳を持たず、城外に出て行った――。ドイツのメディアはVWで起きた「お家騒動」を舞台劇のように伝えた。しかし、VWの名車「ビートル」開発者の孫で、トヨタ自動車や米ゼネラル・モーターズ(GM)と競う世界販売1000万台の基盤を築き、数々のピンチをしのいで20年以上にわたってVWグループ・オーナー家の家長として君臨した人物だ。このドラマはピエヒ氏の自作自演であり、VWにとって重大なメッセージが隠されている。

二人三脚でブランド育てた腹心社長の続投巡り争い

今回の騒動は、来年末が任期のマルティン・ヴィンターコーン社長(67)の続投を巡る争いだ。ピエヒ氏が独誌シュピーゲル(4月10日、電子版)に「ヴィンターコーン氏とは距離を置いている」と語った。メディアへの登場が極端に少なく、モーターショーなどでもめったに口を開かないが、ピエヒ氏に目をつけられて無事だったグループの幹部はほとんどいないからVW社内は大騒ぎになった。

ピエヒ氏は、ビートルを開発したフェルディナント・ポルシェ博士の娘ルイーズ氏と、夫で戦中のVW工場を切り盛りしたアントン・ピエヒ氏の息子。幼いころから身近にクルマがあり、祖父にあこがれてエンジニアの道を選んだ。ポルシェ、アウディで開発に携わり、1988年にアウディの社長、93年にVWの社長に就任し、2002年からVWの最高意思決定機関の監査役会で会長を務めた。「血管にガソリンが流れている」と評されるカーガイ(自動車野郎)である。

そのピエヒ氏とアウディ時代から二人三脚でブランドを育てたのがヴィンターコーン氏だ。アウディとVWの社長を歴任したのもピエヒ氏の信頼を裏付ける。07年にVWの社長に就任後、570万台だった世界販売は昨年に初めて1000万台を超えた。14年12月期の税引き後利益は当時の約4倍。VWの社内外では、ピエヒ氏が17年に任期満了で退き、ヴィンターコーン氏に後を託すと誰もが思っていた。

もう一つのオーナーのポルシェ家、事実上の拒否権を持つ地元ニーダーザクセン州などの大株主、ドイツ独特の経営参加の力を持つ労組・従業員の利益を代表する計20人の監査役の多くが反発した。説得できたとヴィンターコーン氏の続投方針を発表し、「謝罪の言葉でもあれば」と考えていた監査役たちに、ピエヒ氏は自身とやはり監査役を務めるウルズラ夫人の辞意を伝える。"確信犯"だ。

VWブランドの乗用車や米国事業の不振が原因との見方

なぜピエヒ氏はこんな形で異を唱えたのか。本人が大いに語ればいいのだが、この人の場合、そうはいかない。わずかな情報を紡いでドイツのメディアが伝えたのは、VWブランドの乗用車の不振だ。二輪車から大型トラックまで12のブランドを持つグループの6割の台数を売るが、前期の利益はアウディの半分にも満たない。ヴィンターコーン氏は昨年、この中核ブランドで大規模なコスト低減計画を発表している。

米国事業も深刻だ。VWは1980年代に現地生産から撤退していたが、世界販売1000万台を目指したヴィンターコーン氏は「米国で早期に100万台」を目標に再挑戦。この新工場で作るモデルの売れ行きが振るわず、昨年の米国販売は前年比2%減の59万台。売れ筋の多目的スポーツ車(SUV)を投入するなどこれも慌ただしくてこ入れに動いている。

93年にピエヒ氏がVWの社長になった状況を振り返ると、ヴィンターコーン氏がVWのアキレスけんを守れていないのがわかる。当時はドイツ統一の新車ブームが去り、VW乗用車はコスト高にあえいでいた。販売不振で米国の現地生産から撤退した後、北米事業を担ったメキシコ工場が苦戦。前任のカール・ハーン元社長が買収したシュコダやセアトも重荷となった。

 ピエヒ氏は、アウディで四輪駆動の「クワトロ」、ターボ・直噴のディーゼルエンジン「TDI」を世に送り出し、アルミニウム車体による軽量化にも道を開いた。GM傘下のオペルにもかなわなかったと述懐するアウディのクルマをメルセデス・ベンツやBMWに対抗してたたき直した。その手腕で再生を託されたのが当時のVWだったわけだ。

VW乗用車、シュコダ、セアトの起死回生を狙ってプラットホーム(車台)の共通化を進める。エンジニアリングでコストを下げる手法はヴィンターコーン氏が進める「バウカステン(積み木)」というモジュール戦略のルーツだ。3万人が余剰といわれたドイツの国内工場では週休3日制のワークシェアリングを採用、労組や従業員の理解を得た。メキシコ工場にリーン生産システムを導入し、調達、販売も荒療治した。

ピエヒ氏にはお見通しなのだ。ヴィンターコーン氏は社長業と兼務してきたVW乗用車の責任者の職を今夏にBMW出身のヘルベルト・ディース氏に任せる。社長在任中の失点には違いない。しかしグループは拡大し、好業績を維持している。長年の腹心を切る理由としてはやはり酷な気がする。

騒動のさなか、フランスのルモンドがピエヒ氏と交流がある有識者の見方としてこう書いている。「ピエヒ氏は合理的に動いている。ヴィンターコーン氏が戦略的なビジョンを描けないのをとがめているのだろう」。ドイツのメディアに比べるとあけすけだが、ピエヒ氏の真意はこのあたりにありそうだ。

「自動車メーカーの社長は技術者でなければならない」

VWでは社長自らがステアリングを握り、走ってから発売のゴーサインを出す。トップ自らクルマ作りを率先垂範する何とも頼もしいエピソードも、ピエヒ氏から見れば当たり前のこと。VWの社長退任時にピエヒ氏は自伝に社長の条件を書いている。「自動車メーカーの社長は、開発でも生産でもいいから技術者でなければならない。付け焼き刃ではないクルマへの情熱を持たねばならない。そして10年先を考えられなければならない。自動車メーカーの社長には、ファンタジーを膨らませる土台となる技術が必要なのだ」

たとえばVWがバジェットカーと呼ぶ新興国需要を見込む格安車構想がある。ヴィンターコーン氏は「VWが作るのはインドのタタ自動車の『ナノ』のようなクルマではない」と言いながら、スズキとの資本・業務提携がこじれ、実を結んでいない。中国のパートナーと検討を進めるが、思ったように質とコストが両立しないという。そして最新技術を見てもハイブリッド車燃料電池車などもトヨタはVWの先を走っている。

ポルシェ博士はビートルで有名だが、1900年代の初頭に自ら開発したレーシングカーでレースに出場し、電気自動車(EV)やハイブリッド車を作り、航空機のエンジンも手掛けた。誰も考えていないビジョンを描き、テクノロジーで形にしていった祖父の姿。ピエヒ氏はそれがVWのDNAとみている。

ピエヒ氏はVWの50.7%の議決権を握るポルシェSEの大株主。シュピーゲル誌には「妻は会長にならない」と同族支配へのこだわりを否定していた。米グーグルが自動車開発に乗り出す時代だ。業界の常識からは出てこないアイデアを描ける後継者がいないかとじりじりしているのは想像に難くない。

VWの社長就任直後、ピエヒ氏はGM出身の調達担当役員が古巣の機密情報を持ち出したという産業スパイ事件に巻き込まれ、矢面に立った。会長時代にはポルシェの買収攻勢を受け、リーマン・ショックがなければとっくに会長の座を追われていたかもしれない。2年の任期を残して辞めても痛くもかゆくもない。衝撃的な辞任劇でVWのリーダー像を伝えたのだとしたらピエヒ氏らしい。

5月5日の定時株主総会にこれまで議長だったピエヒ氏の姿はなかった。夫妻の代わりに2人のめいが監査役となったが、ピエヒ氏は「自動車の経験が少ない」と反対したという。会長の後任は決まっていない。DPA通信は「ノーサイド」と言いたげなヴィンターコーン氏の言葉を伝えた。「ピエヒ氏はこの50年間の自動車業界を形作った比類ない企業家、技術者、大胆な予見者だ」。ピエヒ氏は晩節を汚した裸の王様か。それとも将来を見通したビジョンの人か。答えがわかるまでもう少し時間が必要だ。

(欧州総局編集部次長 後藤未知夫)

すべての記事が読み放題
有料会員が初回1カ月無料

関連企業・業界

セレクション

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

新着

注目

ビジネス

ライフスタイル

フォローする
有料会員の方のみご利用になれます。気になる連載・コラム・キーワードをフォローすると、「Myニュース」でまとめよみができます。
新規会員登録ログイン
記事を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した記事はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン
Think! の投稿を読む
記事と併せて、エキスパート(専門家)のひとこと解説や分析を読むことができます。会員の方のみご利用になれます。
新規会員登録 (無料)ログイン
図表を保存する
有料会員の方のみご利用になれます。保存した図表はスマホやタブレットでもご覧いただけます。
新規会員登録ログイン