現在進行形の「ビートルズ」 新たな伝説生んだ一夜
ポール・マッカートニー、49年ぶり日本武道館公演
「ヒサシブリ、ブドーカン!」「ナツカシー」。元ビートルズのポール・マッカートニー(72)が4月28日、1966年にビートルズの一員として公演して以来、49年ぶりに日本武道館(東京都千代田区)のステージに立った。2時間にわたって28曲を歌い切った。終演間際、ポールが自ら「レジェンダリー・ナイト」と叫んだように、1万人のファンが歴史的なコンサートに酔いしれた。
開演時間の午後6時半が近づいても、武道館の前は入場を待つ人たちでごった返していた。入場口に向かう列は、いったん武道館から隣の科学技術館まで牛歩で進み、大回りして武道館まで引き返してくるという大行列。筆者が2階席にたどり着いたときは7時15分になっていた。待ちかねた客席からウエーブが巻き起こる。いったい何周回っただろう。開演を促す拍手が高まっては静かになる。
場内暗転。時計を見たら7時55分だった。スポットライトを浴びながら、おなじみのバイオリン型のエレキベースを手にしたポールが登場。歓声と拍手に何度かうなずき、ガッツポーズを見せる。ギター、ギター兼ベース、キーボード、ドラムというバンドの面々が所定の位置についたのを確かめ、おもむろに歌い始めた。
ビートルズ初期のヒット曲「キャント・バイ・ミー・ラブ」だ。23日に見た東京ドーム公演は「マジカル・ミステリー・ツアー」で始まり、この曲は3曲目だった。意表を突くスタートに客席は大歓声でこたえる。
「コンバンハ、トウキョー。ブドーカンへ、ヨウコソ!」。ポールが日本語で叫ぶ。最新アルバム「NEW」から「セイヴ・アス」、ビートルズ時代の「オール・マイ・ラヴィング」と続けた後、「ワン・アフター・909」が始まった。ビートルズのラストアルバム「レット・イット・ビー」の曲だ。筆者が2013年11月に見た東京ドーム公演や、5日前の東京ドームでもやらなかった珍しい曲だ。サプライズの選曲に、観客は大興奮である。
ポールは上着を脱いでエレキギターに持ち替え、「レット・ミー・ロール・イット」を始めた。ウイングス時代のアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」に入っていた曲だ。観客は「レット・ミー・ロール・イット・トゥー・ユー」の大合唱。こちらも負けじと声を張り上げる。客席を見渡すと、全曲歌えるぞ、と顔に書いてある人ばかりで、何だかうれしくなってくる。
「ナツカシー」。別のエレキギターに持ち替えたポールが日本語で一言。さらに「ここに戻ってこられてうれしいよ」と英語で付け加えて次の曲を始めた。「ペーパーバック・ライター」だ。そう、66年の武道館で演奏された11曲のうちの1つである。美しいコーラスはすべてバンドのメンバーがこなした。
ポールは13年11月に続いて昨年5月にも来日したが、体調不良で全公演をキャンセルしていた。今回は4月21日の京セラドーム大阪を皮切りに、23、25、27日に東京ドームのステージに立っている。この日が日本ツアーの最終公演だ。
23日の東京ドームでは、バックネット裏の席から、野球でいえば外野手の守備位置にいるポールを見た。生身の姿は豆粒のようだから、どうしても巨大スクリーンに目が行く。それにドーム球場の常として、音もそれほど良くはない。近年の音響技術の向上は目を見張るものがあるが、それでもドームの音はドームの音である。
しかし、武道館は音響技術向上の恩恵を相当に受けている。日ごろの取材で体感していたつもりだが、ドーム公演を見た直後だからか、この日は改めてそれを痛感した。とにかく音がいい。埋もれがちなキーボードをはじめ、各楽器の音がクリアに聞こえる。ポールのバンドはこんなに良かったのかと今さらながら感心する。

武道館のステージにはスクリーンがなかった。ステージが見づらい角度の席にいる人たちのために、両端にスクリーンが設けられてはいたが、アリーナ席や1階、2階の中寄りの席の観客にとっては、そのスクリーンは見えづらい位置にあった。つまり、大半の観客は、生身のポールの姿を見つめていた。最も遠い客席からも、豆粒ではなかったはずだ。
演奏の音が良く、観客は音楽と自分の姿に集中している。そういう状況に敏感に反応したのか、この日は調子が良かったのか、ドームで聴いたときより、ポールの声は2段階ぐらいパワーアップしているように聴こえた。23日のドーム公演は、日本語のしゃべりが多く、相撲の四股を踏んでみせるなど、エンターテインメントに徹する姿が印象に残った。客席も笑顔が絶えなかった。ドーム公演が楽しいショーだったとすれば、この日の武道館は質の高い音楽コンサートといった趣である。
素晴らしい演奏と絶好調のボーカルに聴きほれているうちに、曲がどんどん終わっていく。ふと我に返った。ポールが49年ぶりに武道館で歌う姿を見て感傷に浸るはずだったけど、そんなヒマはなさそうだぞ、と。

感傷的になれる場面ももちろんあった。例えば「ブラックバード」を歌い終えた後、ポールが「ユー・ワー・オンリー・ウエイティング・フォー・ディス・モーメント?」と歌詞をそのまま引用して客席に語りかけたとき。「みんな、この瞬間を待ち望んでいてくれたんだね?」といった意味だろう。
さらに「ツギハ、セカイハツコウカイ!」と叫び、これまでライブでやったことがないビートルズ時代の隠れた名曲「アナザー・ガール」を演奏してくれたとき。全観客に配られていた無線機能付きリストバンドが「レット・イット・ビー」で一斉にオレンジ色に光り、ポールが感動の面持ちで「ワオ、ユー・アー・ソー・クール!(格好いいね)」と言ってくれたときも。
個人的に最も感傷のメーターが上がったのは、月並みだが「イエスタデイ」だった。66年の来日時はまだ3歳だったが、後にテレビで放送された武道館公演の「イエスタデイ」を見て「こんなに美しいポップスがあったのか」と子ども心に衝撃を受けた。それからビートルズのアルバムを聴きに聴いた。ギターやキーボードを弾き、作曲のまねごとも始めた。あのころの自分がよみがえる。いま何の因果か、音楽担当の記者をやっている。
人それぞれだろうが、そんな種類の感傷を求めて武道館に足を運んだオールドファンはかなりの数に上ったのではないか。66年の来日公演を生で見たという筋金入りの先輩諸氏も少なくなかっただろう。
しかし、少なくとも筆者はなかなかノスタルジーに浸り切れず、すぐに目の前の現実へと引き戻された。いろいろ理由は思い当たるが、最大の理由はパフォーマーとしてのポールの充実ぶりであろう。現在と未来しか見ていないような彼の勢いと若々しさを目の当たりにして、後ろ向きの感傷を期待した自分が少し恥ずかしくなった。
終演は9時53分だった。「レジェンダリー・ナイト」と叫んだポールは「マタアイマショウ、トウキョー。マタネ。シー・ユー・ネクスト・タイム」と言ってステージを後にした。
13年秋の東京ドームでは、もうポールを生で見る機会はないかもしれないとの思いで涙が出そうになった。しかし、今回は肩透かしを食らった。良い意味で。49年ぶりに武道館で演奏する「元ビートルズ」を見に行ったら、49年分パワーアップした現在進行形のビートルズを見せつけられたのだ。「マタネ」は本気に違いない。恐れ入りました。
(編集委員 吉田俊宏)
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