2019年9月19日(木)

「売れないなんて口が裂けても言えなかった」
iモードと呼ばれる前(6)

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2015/5/7 6:30
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日経エレクトロニクス
 いまやインターネットを利用する際に、最も身近な端末となったスマートフォン(スマホ)。そのスマホが、米Apple(アップル)の手によって2007年に初めて発売される約8年も前。携帯電話のインターネットサービスを世界に先駆けて事業化したのがNTTドコモの「iモード」である。「スマホの原型」とも言える、この日本発のサービスの普及は、予想をはるかに超えるペースで進み、1990年代の停滞した日本経済の中で、ひときわまばゆい光彩を放つ20世紀最後の大ヒットとなった。今回は、日経電子版創刊5周年企画「『ネット20年』その先へ:iモードと呼ばれる前」(オリジナルは日経エレクトロニクスに2002~2003年掲載)の最終回である。

「ぴ、Pちゃん?」

松下電器産業 マルチメディア開発センター 情報グループ 情報第3チームの主任技師(当時)の和田浩美は、企画とデザインの担当者たちを前に、後ろにのけぞらんばかりに驚いた。松下通信工業のイメージ・キャラクターである「Pちゃん」のアニメーション画像を、携帯電話機の待ち受け画面で動かしてほしいとの申し出だった。

「いやいや、そう簡単に言いはりますけどね。私ら毎日、時間が足らへんってヒイヒイ言ってるんですよ」

和田はここ半年、休みといえるほどの休みを取った記憶がなかった。目前に迫った正月も、元日を自宅で過ごせたら奇蹟と思えるほど、仕事は山積していた。

「ほら、かわいいでしょ。鳥です。ピーピー鳴く鳥ちゃんですわ。それとPanasonicのPで、Pちゃんやて。こりゃええわ。ほんま」。担当者は喜色満面で、和田にPちゃんのデザイン画を差し出した。

「まぁ、そう言われると、確かに愛嬌たっぷりやけど…」

和田が遊び心旺盛な人間であることは社内でよく知られている。つい最近も、携帯電話機の待ち受け画面にGIF画像を張るという斬新なアイデアが社内外で大好評を得たばかりだ。次はその画像を動かしてほしいというわけだ。

携帯電話の画面でPちゃんを動かしてほしいという要求が降ってわいた(写真:山田哲也)

携帯電話の画面でPちゃんを動かしてほしいという要求が降ってわいた(写真:山田哲也)

「和田さん、いつも言うてるやないですか。ケータイには顔が必要やって。携帯電話機を起動するたびにPちゃんが動いてれば『このケータイは松下の製品や。ほかのとは違うんやで』って強くアピールできますよ。理屈やなくて、なんか楽しいやないですか。こんなアイデア、きっと他社では出ませんわ。差をつけましょうよ」

「他社との差」。この言葉に和田は弱かった。一瞬にして負けん気がむくむくと頭をもたげ、スケジュールのことなどどこかへ吹き飛んでしまった。

「そやね。ブラウザーも独自開発やし、ウチらはこれまで他社がやってへんことにチャレンジしてきたもんね。よし、やったるわ。きっと誰か、手伝ってくれるやろ。時間はつくるもんやし」

■「誰がやるんですか」

「ほら、Pちゃんやて。どう、動かしてみたくなったやろ」。和田は早速、開発メンバーに話を持ち掛けた。

「へぇ、ほんまかわいいですねぇ。で、誰がやるんですか。ムリムリ、僕は絶対無理ですわ。分かっとる思いますけど」

「……」

和田は、Pちゃんのデザイン画を片手にオフィスに立ち尽くした。部屋の中には各人が必死にキーボードをたたく音だけが響き渡っていた。ただでさえスケジュールは、目も当てられないほど遅れている。今更仕事を追加できるほど、余裕のある技術者などいるはずもなかった。リーダーである和田の申し出とはいえ、できないことはできない。技術陣の反応は恐ろしく冷たかった。

「もうええわ。自分でやる」

開発部隊を率いる立場にあるとはいえ、和田も元来は第一線のソフトウエア技術者である。業務に忙殺される昼間はダメでも、睡眠時間を削れば何とかなる。和田は聞こえよがしに宣言した。

誰もいない深夜のオフィス。和田はねじり鉢巻きでパソコンに向かった。

「久しぶりやなぁ。自分でソースコードを一から書くなんて」

気が付けば、いつしかたくさんのプログラマーを社内外に抱え、人を動かしてモノを作ることが多くなっていた。和田はかつて自分がどれほどソフトウエア作りに入れ込んでいたかを、今更のように思い出した。次第に和田は時間を忘れ、プログラミングの楽しみに没頭していった。

――「ほら見て、Pちゃんが動いたで。私だってできるんや。みんなも、技術者の『ど根性』見せたろうやないの」

和田は赤い目をしばたたかせ、自慢げに出来栄えを開発メンバーに見せて回った。

和田の「ど根性」は、後に業界にちょっとした波紋を広げることになる。Pちゃんを動かすために作製したGIF画像のアニメーション表示機能は、NTTドコモの眼鏡にかない、次世代機の標準機能として採用されるのだ。そんな将来を知るすべもなく、和田はひと仕事を成し遂げた満足感にひたった。

■ヒロスエの手には…

発表会に広末涼子を登場させた(写真:柳生貴也)

発表会に広末涼子を登場させた(写真:柳生貴也)

1999年1月25日。札幌のオフィスでパソコン画面を見つめた和田は、氷のように固まってしまった。画面いっぱいを占めるインターネットのニュースサイトから目をそらすことができなかった。大写しになった写真に広末涼子の笑顔がまぶしい。片手には黒光りする携帯電話機。

この日、東京・原宿にあるイベントホール「QUEST HALL」でNTTドコモは新しい携帯電話サービスを披露するプレス発表会を開催した。満を持しての発表である。「iモード」を世に知らしめる一大イベントだ。

実はiモードを紹介する発表会はこれが2回目である。松永真理が自著「iモード事件」で述懐するように、1度目の発表の出来は散々だった。「会場には人の数より空席のほうが目立ち、座っている人たちの間には白々とした空気が流れている」。

その分、この時のイベントはNTTドコモ始まって以来の華やかさを極めた。会場は400人近い報道陣で埋め尽くされた。最前列には新聞や雑誌のカメラマンがすし詰めで陣取り、最後尾には各テレビ局のカメラがずらりと並んだ。NTTドコモのCMキャラクターの広末涼子が登場するからだ。

NTTドコモ(当時)の松永真理氏(写真:柳生貴也)

NTTドコモ(当時)の松永真理氏(写真:柳生貴也)

早稲田大学に入学が決まった直後の彼女を目当てに、ワイドショーや週刊誌の記者までが押し寄せた。一般の関心を引き付けたい――こう考えたNTTドコモの榎啓一や松永真理の策略はまんまと成功した。広末を前面に押し出して親しみやすいイメージを作り出した。

「……」

会場の熱気を伝える記事を目にして、和田は悔しさに唇をかみ締めずにはいられなかった。写真の中の広末涼子が手にした携帯電話機は、サービス開始に唯一間に合った端末だった。ニュースサイトによれば、2月22日に発売されるという、富士通製の「F501i」である。この日の会見では、NECと三菱電機も試作機を展示したらしい。しかし記事のどこを探しても「松下」(当時)の2文字は出てこない。試作機どころか、社名すら会見で触れられることがなかった。

それもそのはずだ。和田から見ても、自社の開発の進捗状況は、開いた口がふさがらない惨憺(さんたん)たるものだった。和田の周りでは、いまだ取りきれぬバグに、技術者たちが悪戦苦闘していた。それどころかこの期に及んでも、さらに新しい機能の実装が進んでいた。自社で開発中のブラウザーで、各種の日本語文字コードを表示できるようにしようというのである。

NTTドコモの公式サイトで使用する文字コードは「シフトJIS」。これだけでなく、パソコン向けのWWWサイトで使われている「JIS」や「EUC」も表示できたら便利だ。和田らはサイトの文字コードを自動的に判別して対応する機能をブラウザーに盛り込もうとしていた。

当時、和田ら開発陣は、ソフトウエアのコーディングを担当する松下システムエンジニアリング(当時)の札幌支社に缶詰め状態だった。作業は毎日深夜2時過ぎまで続いた。その後は明け方5時まで開いているJR新札幌駅前の居酒屋「白木屋」か「魚民」に繰り出し、夕食をつつくかたわら再び議論に花を咲かせた。

NTTドコモのイベントのニュースに、和田は冷水を浴びせられた気がした。連日の作業でたまった澱(おり)のような疲労が、一段と重くのしかかる。松下通信工業(当時)は、交換対抗試験の段階では他社に先駆けて一番乗りだった。NTTドコモの担当者は満面の笑みで喜んでくれた。それなのに、製品についてはいまだに発売時期を決められる状況ではない。和田はやり切れない思いで、会場の様子を映した写真を見つめ続けた。

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