2019年7月18日(木)

「例の件、絶対に社外に漏らすな」
iモードと呼ばれる前(4)

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2015/4/30 6:30
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日経エレクトロニクス

 いまやインターネットを利用する際に、最も身近な端末となったスマートフォン(スマホ)。そのスマホが、米Apple(アップル)の手によって2007年に初めて発売される約8年も前。携帯電話のインターネットサービスを世界に先駆けて事業化したのがNTTドコモの「iモード」である。「スマホの原型」とも言える、この日本発のサービスの普及は、予想をはるかに超えるペースで進み、1990年代の停滞した日本経済の中で、ひときわまばゆい光彩を放つ20世紀最後の大ヒットとなった。日経電子版創刊5周年企画「『ネット20年』その先へ:iモードと呼ばれる前」(オリジナルは日経エレクトロニクスに2002~2003年掲載)では、iモードを事業化にこぎ着けるまでの技術者たちの奮闘を描いた開発物語をお届けする。

1998年4月。東京・品川。京浜急行・青物横丁駅の前には、昔ながらの商店街がにぎわいを見せている。改札を抜けて10分。立ち並ぶ住宅の間に台形状の巨大な建造物が姿を現す。松下電器産業・マルチメディアセンター(当時)の近未来的な外観は、下町情緒の漂う中でひときわ異彩を放っていた。

「うわー、大盛況やな」

松下電器産業のマルチメディアセンター(当時)

松下電器産業のマルチメディアセンター(当時)

松下電器産業 マルチメディア開発センター 情報グループ 情報第3チーム 主席技師(副参事)(当時)の田中康宣は、会場に足を踏み入れるなり、我知らず口走った。100人近い参加者で混み合った場内に身を潜らせる。

この日、インターネットの標準化団体W3C(World Wide Web Consortium)は、この場で「W3C Mobile Access Workshop」を開催した。田中はこれまでにも何度かW3Cのワークショップに参加した経験があったが、今回ばかりは場内の熱気が違って見える。

ブラウザーを搭載する携帯電話機の試作が佳境に入り、多忙の最中にあった田中だが、この場にだけは駆け付けずにはいられなかった。何しろ、携帯電話機向け記述言語の標準の座を争う2つの陣営の代表が直接相まみえるのだから。

会場で配られた冊子には、そうそうたるメンバーが発表者として名を連ねている。WAP陣営からは、WAP フォーラム、米Unwired Planet(当時)、フィンランドNokia(ノキア)といった主要なメンバーが軒並み顔をそろえた。田中らが肩入れするCompact HTML側では、生みの親であるACCESSの取締役副社長 研究開発担当の鎌田富久が登壇する予定だ。

NTTドコモ(当時)の夏野剛氏(写真:柳生貴也)

NTTドコモ(当時)の夏野剛氏(写真:柳生貴也)

そしてもう1人、NTTドコモが送り込んだ夏野剛は後に田中の度肝を抜く。そんなこととはつゆ知らず、両陣営の勢いを見極めようと身構える田中は、会議の開始を固唾を飲んで待った。

■携帯メーカー5社が協力

会議はWAP陣営の講演で幕を開けた。Unwired PlanetのPeter Kingが壇上に立つ。題目は「Technical Issues with the Wireless Web」。

「携帯電話機は、バッテリー容量やCPUの能力、メモリー容量に制限があるツールだ。そのまま既存のインターネットにつなげることは経済的なメリットに乏しく、無意味とさえいえる。HTMLではモバイルの世界になじまない。WAPのように携帯電話機の特性に合わせた独特な仕組みが必要不可欠だ」

Kingは拳を振り上げてまくし立てた。米国人らしい堂に入った態度に、聴衆はぐいぐいと引き込まれた。発表が終わると、会場からは詳細な説明を求める質問が矢のように飛んだ。

後を受けて演台に登った鎌田の背筋もまた、鋼のようにピンと伸びていた。「Compact HTML for Small Information Appliances」と題し、携帯電話の世界にもあくまでもオープンな標準規格が必要だと主張する。HTMLの優位性を語る鎌田からにじみ出る自信は、事実に裏打ちされていた。鎌田がW3Cの会議で初めてCompact HTMLのアイデアを語ったのは1年前の1997年2月。そのころと比べると、何もかもが違う。Compact HTMLはもはや絵に描いたもちではない。1998年末の製品化に向け、対応する携帯電話機の開発が粛々と進んでいる。

鎌田はCompact HTMLを「オープンな規格」と言い切るだけの根拠も手にしていた。1997年末から1998年1月にかけて、鎌田はCompact HTMLを標準規格にするための作業に没頭した。W3Cに標準として認めてもらえるように、Compact HTMLの仕様を詳細に記述した規格案を作成し、共同提案者になってくれる企業集めに奔走した。

ここで鎌田を助けたのが、Compact NetFront Browserの搭載に向けて苦楽を共にしてきた各メーカーの技術者たちだった。自社内でW3Cの窓口になっている担当者に、提案の内容を説明したり、携帯電話機事業担当の取締役などに提案メンバーへの参加を認めるよう根回しをしてくれた。

その努力が実り、NEC、三菱電機、富士通から快諾を得た。ブラウザーの開発ではACCESSとたもとを分かった松下通信工業(当時)も、親会社の松下電器産業(現パナソニック)が名を連ねることになった。

もう1社、鎌田が声を掛けたのがソニーである。当時CDMA方式の携帯電話機を製造していたソニーは、鎌田の提案には直接関係がないにもかかわらず、快くメンバーになることを了承してくれた。鎌田の唯一の心残りはNTTドコモだった。移動機技術部の主幹技師(当時)だった永田清人の異動をきっかけに、鎌田が提案メンバーに一番加わってほしかったNTTドコモの賛同を得る道は途絶えた。

1998年2月9日。NTTドコモの協力は得られないまま、ACCESSほか5社は連名で、W3Cに提案書を提出した。その2週間後、2月24日にW3Cは提案を正式に受理し、WWWサイト上で公開を始めた。

■強烈な援護射撃

W3Cのワークショップの議論の行方を決定的に方向付けたのは、鎌田の次に登場したNTTドコモの夏野だった。さらりとあいさつをし、流暢な英語で弁舌をふるい始める。

夏野は「DoCoMo's Gateway Service」と称し、計画中のコンテンツサービスの概要を惜しげもなく披露した。ネットバンキングやゲーム配信、チケット予約といった具体的なアプリケーションが次々に示される。夏野の説得力あふれるプレゼンテーションと、聴衆を圧倒する不思議な能力に、田中は感動した。夏野が言う通りの時代が来る。そう信じずにはいられなかった。

「ありとあらゆるものがつながっていくこと。これこそ、今後の情報通信社会に求められる課題だ。そのためにはHTMLを使う以外にあり得ない。HTMLを使えばWWW上に存在するあらゆるコンテンツ資産を使える。携帯電話だからといって、WAPのようにプロプラエタリー(専用)な言語では普及は見込めない。今やHTML は加速度的に広まっている。誰でもHTMLで簡単にコンテンツを書ける時代だ」

実は夏野は、以前からさまざまな場でHTMLの優位性を語っていた。NTTドコモに転身する以前から、インターネットビジネスの世界にどっぷり漬かってきた夏野は、HTMLを使わなければ機器の普及はおぼつかないことを肌で感じ取っていたのである。

NTTドコモでゲートウェイビジネス部を率いる榎啓一らも同意見だった。iモードのコンテンツを開発するゲートウェイビジネス部は、既に後戻りが不可能なほど、Compact HTMLの仕様に深くかかわっていた。それなのに鎌田の標準化の提案に乗らなかったのは、彼らの意見が必ずしもNTTドコモを代表するものではなかったからである。社内にはいまだにWAPを支持する声が根強く残っていた。実際この年、NTTドコモはWAPフォーラムへの参加を表明することになる。

もともとNTTドコモの社員でなかった夏野は、そんなことにはおかまいなしだった。講演を終えた後も、夏野の鼻息は収まらない。質疑応答に移るとすぐに、外国人の男性が、英語で質問を投げ掛けた。田中の目には、相手はWAP陣営の1人だと映った。夏野はおじけづくどころか、水を得た魚のように応じ始めた。

次第に両者は興奮し、いつの間にか机を挟んで口角沫(あわ)を飛ばすディベートが始まった。夏野は手馴れた様子で、反論を続ける。どんな反論を仕掛けられても、夏野は全く動じない。攻撃をたくみに擦り抜け、ひと回り大きな声を張り上げて逆に相手をやり込めた。米国で教育を受けた夏野にとって、こうしたディベートはお手のものだ。テーブルに軽く腰を掛け、相手の目を真正面から見据えて語る夏野の姿が田中の目に鮮烈に焼き付いた。

「すごい男がドコモにはいるんやなぁ」。田中が思わず口にしたひと言は、その場にいた聴衆の思いを代弁していた。

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