発売まで残り1年 ブラウザー内製か否かで分かれた道
iモードと呼ばれる前(3)

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2015/4/26 6:30
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■松下はブラウザー内製を決断

「ACCESSの鎌田さんにすぐ会いたい。実はあまり時間がないんだ」

三菱電機 マイコン・ASIC事業統括部 マイコン第三部 開発第一グループマネージャ(当時)の清水徹氏(写真:長尾純之助)

三菱電機 マイコン・ASIC事業統括部 マイコン第三部 開発第一グループマネージャ(当時)の清水徹氏(写真:長尾純之助)

1997年末。NTTドコモからブラウザーを搭載する携帯電話機の製造依頼を受けた三菱電機の濱村正夫は、電話口でこう叫んだ。

「ACCESSは、仕事上の付き合いがありますから、すぐ連絡できます。でも、そんなに急いでどうしたんですか」。電話の相手は濱村の慌てぶりに、思わずこう聞き返した。清水徹。兵庫県伊丹市にある三菱電機 マイコン・ASIC事業統括部 マイコン第三部で開発第一グループマネージャ(当時)を務める男だ。

「ケータイにACCESSのブラウザーを載せる話がある。新しい情報サービスをNTTドコモが始めるんだ。清水君の部署にも無関係じゃない。いよいよ32ビットマイコンの出番かもしれないぞ」

濱村からの思わぬ言葉に清水は息をのんだ。自分達が手塩にかけて育ててきたマイコンが携帯電話に使われるとなれば、願ってもない朗報だ。それだけではなかった。清水はこの日がやって来ることをうすうす察していた。濱村の話と自分をつなぐ不思議な因縁に清水は興奮を抑え切れなかった。

■思いがけぬ出会い

清水とACCESSとの付き合いは、約1年前の1996年11月にさかのぼる。ある昼休み、清水は社内の打ち合わせスペースで新聞を読んでいる同僚を見掛けた。

「清水さん、ACCESSって会社、知ってる? 三菱電機のインターネットテレビにブラウザーを供給したらしいよ」。同僚は新聞を清水に差し出した。「ウチのM32Rも、こういうベンチャーに持ち込んだら面白い用途が見つかるかもしれないよね」

シリコンバレー帰りの同僚は、伸びをしながら言った。大企業との協業が大きな成果を生むとは限らないことを、彼は米国で痛いほど思い知らされてきた。

清水はハトが豆鉄砲を食ったような顔をした。「ACCESSなら知ってるよ。大学時代の後輩で鎌田っていう人間がいるから」。

何気なく清水が返したひと言に、同僚は慌てた。「え、ホント? だったらすぐ電話しようよ。面白いことになるよ。きっと」

面食らった清水は、ただ言われるまま、鎌田富久に電話した。確かにACCESSの名前は知っていたし、消息を気に掛けてもいた。しかし、直接連絡を取ろうとしたことは大学を去ってから一度もない。思えば、大学院で鎌田と同窓だったころから、10年が過ぎようとしていた。

電話口に出た鎌田は、昔と変わらない抑えたトーンで開口一番こう言った。「清水さんのところって、DRAM混載マイコンの開発をやってるんですよね」。

実は鎌田も、先輩の清水が開発に携わったLSI(大規模集積回路)に興味を持っていたのである。

■用途探しに奔走

当時の清水は、業界で初めてDRAMを混載した32ビットマイコン「M32R/D」の用途探しに頭を悩ませていた。清水はこのマイコンのCPUコアである「M32R」の開発者だ。機器の用途に応じてメモリーやアナログ部品を混載し、M32Rを横展開させるのが清水の役目だった。その一つがM32R/D。DRAMの混載によって機器の小型化や低電力化に貢献することを狙ったチップである。しかし、32ビットマイコンの高い処理能力を必要とする機器はなかなか見つからなかった。

清水には、M32R/Dの用途に関して忘れられない思い出がある。1996年2月。米国で開催されたLSI設計回路技術の国際会議「ISSCC(International Solid-State Circuits Conference)」で、清水はM32R/Dの前身になったDRAM混載マイクロプロセッサーの発表の壇上に立った。慣れない英語での講演が終わってほっとするのもつかの間、1人の日本人男性が清水に近づいて来た。

「面白い発表でした。もう一ひねりしたら、すごく良いモノができそうですね」。物腰柔らかく、こう言い残してその場を後にした男は、ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の取締役開発部長(当時)だった久多良木健。その謎めいた言葉が何を意味するのか、この時の清水には見当がつかなかった。

1999年3月にSCEが「プレイステーション2」向けDRAM混載グラフィックス処理LSIを発表したとき、初めて清水は久多良木の発言の背後にあったものを理解した。

久多良木との出会いがすれ違いに終わった一方で、鎌田との再会は清水に大きな実りをもたらした。当時鎌田は、PDAに載せるブラウザーを開発していた。このブラウザーを動かすために三菱電機のM32R/Dはうってつけだと、清水と会う前から鎌田は目を付けていた。

■携帯電話に載せたい

旧交を温める間もなく、2人はビジネスのパートナーになった。2人が10年ぶりに顔を合わせてから半年後の1997年の中ころ。清水と鎌田は、M32R/DとACCESSのブラウザーを搭載するPDAの試作に取り組んでいた。夏を直前にしたこの日も、清水は定例の打ち合わせで東京・水道橋のACCESS本社を訪れた。打ち合わせが終わり、大阪の伊丹に戻るため身支度を始めた清水を突然、鎌田が呼び止めた。

「清水さん、いいもの見せましょうか」。鎌田は清水を手招きし、自分のノートパソコンを開いた。「これ、携帯電話機を想定して作ったブラウザーのプロトタイプなんです。これから売り込みをかけようと思ってまして」

電子メールやニュース、画像コンテンツなど、大量のデータがブラウザー上に次々に映る。

「へぇ、こんなのがケータイに載るんだ」

(写真:長尾純之助)

(写真:長尾純之助)

これだけの情報を携帯電話でやりとりする時代が来れば、いずれ16ビットマイコンでは処理が追い付かなくなる。M32Rのような高性能のCPUコアが携帯電話機に載る日も、そう遠くない。清水は確信した。鎌田はブラウザーの動作に必要なメモリー容量なども少しだけほのめかした。先輩と後輩だからこそできた会話だ。

既に手帳をカバンにしまった後の清水は、その内容を細大漏らさず記憶にとどめた。たとえ手帳を持っていたとしてもメモを取れる雰囲気ではなかった。帰りの新幹線で清水は、鎌田のブラウザーを携帯電話機に載せるには、M32Rにどのような改良が必要かを書き留めた。ケータイの電池はDRAMではもたない。SRAMを使おう。開いたノートの真っ白なページは、瞬く間に清水のアイデアで満たされていった。

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