2019年9月16日(月)

発売まで残り1年 ブラウザー内製か否かで分かれた道
iモードと呼ばれる前(3)

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2015/4/26 6:30
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■ハムレットの心境

試作に携わる技術者たちの葛藤の傍ら、NTTドコモは着々とiモードのサービスインに向けた足場固めを続けていた。1997年11月28日。同社はパケット通信サービス「DoPa(DoCoMo Packet)」の提供エリアを1997年度末までに関東甲信越と全国政令指定都市に拡大すると発表した。iモードに使うデータ通信網を全国に拡張する第一歩である。同社でゲートウェイビジネス部を率いる榎啓一が描いたプランは、確実に形を成してきていた。

インフラの拡充と歩調を合わせ、端末の開発も新たなフェーズに入りつつあった。それまでNECと松下通信工業が手掛けてきたのは、あくまでも技術を検証するための試作機である。携帯電話機の上でブラウザーが動作することを確かめるのが目的で、製品の開発とは別物だった。

1997年の終わりを前に、NTTドコモはいよいよ製品の開発に踏み出そうとしていた。当初の計画通り1998年のクリスマス・シーズンにサービスを開始するには、そろそろ開発に着手しなければ手遅れになる。

この期に及んでも、事業全体を統括する榎にはまだ懸念があった。サービスの根本に据えるコンテンツの記述言語をACCESSが推すCompact HTMLに一本化していいのか、正直決めかねていたのである。Compact HTMLと対立するWAP ForumのHDMLに関心がなかったといえばウソになる。その実力を探るべく、榎は1997年12月に夏野剛や端末メーカーの技術者から成る調査団を、米国サンフランシスコに派遣したほどだ。HDMLを利用した「PocketNet」と呼ぶサービスを、米AT&T Wirelessがサンフランシスコ近郊で実施していたのだ。

夏野らの報告によれば、HDMLにはまだまだ改善すべき点は多いようだ。それでも、フィンランドNokia(ノキア)を筆頭に世界の名だたる携帯電話機メーカーが顔をそろえるWAP Forumの影響力は計り知れない。折悪しくCompact HTMLを強力にプッシュした永田清人は、第3世代携帯電話機の開発部隊に異動してしまった。社内には研究所を中心に、WAPこそが標準になるとのムードが蔓延しつつあった。

「一体どちらを選ぶべきか。まさにハムレットの心境でしたよ」。榎は当時をこう振り返る。

■新たなる参加者

富士通 移動通信・ワイヤレスシステム事業本部 ビジネス推進統括部ソフトウェア部担当部長(端末担当)(当時)の片岡慎二氏(写真:桑原太門)

富士通 移動通信・ワイヤレスシステム事業本部 ビジネス推進統括部ソフトウェア部担当部長(端末担当)(当時)の片岡慎二氏(写真:桑原太門)

1997年末。東京・虎ノ門(当時)のNTTドコモ本社。榎は、富士通 移動通信・ワイヤレスシステム事業本部 ビジネス推進統括部ソフトウェア部担当部長(端末担当)(当時)の片岡慎二を前にしていた。

「実は新しい携帯電話機の企画があるんですよ」。榎のひと言に、片岡は身を乗り出した。

「ネットにつながる携帯電話機です」

榎は、既に心を決めていた。1年後のサービス開始に向け、Compact HTMLを利用する製品の開発を後押しする役目を買って出たのである。スケジュールを遵守するには、事実上Compact HTMLを使うしかない。若干遅れ気味とはいえ、Compact HTMLを使う端末は既に試作が進んでいる。夏野が牽引するコンテンツの開発グループの評判も上々だ。後は榎が腹をくくるだけだった。

実際の製品化となれば、NECと松下通信工業の2社だけではあまりに寂しい。他の端末メーカーを巻き込むべく、榎自らが乗り出した。その1社が富士通だった。榎は携帯電話機にブラウザーを搭載し、コンテンツを配信する企画があることを片岡に告げた。

「これまでは、PDAに携帯電話機をつないでWWWサイトを見るっていう発想だったでしょ。でもそれだと携帯電話機の販売台数がそれほどは伸びない。今はPDC機が絶好調だからいいけれど、これがいつまでも続くとは思えない。でも携帯電話機そのものがネット端末に変われば話も変わる。ものすごい数で売れると思いますよ」

榎の目が輝く。「ACCESSって会社、ご存じですか」

「ええ、知ってますけど…」

「ぜひ一度、会ってみませんか」。榎は片岡に、1998年冬のボーナス・シーズンには製品を発売したいと伝えた。

「じゃ、よろしく」。榎はこう言って立ち上がり、ポケットベルを片手に広末涼子が微笑む1998年のカレンダーを、あいまいな表情を浮かべる片岡に手渡した。

■間に合わなければ置いていく

1997年の末。大阪・尼崎にある三菱電機の携帯電話機開発部門。同社 通信システム統括事業部 移動通信端末事業センター 技術第一部長(当時)の濱村正夫に、営業部門から1本の電話が入った。NTTドコモから連絡を受けた営業担当者からだった。電話口の向こうで、営業担当者はNTTドコモの意向を淡々と伝える。ブラウザーを搭載する携帯電話機の開発の企画があるという。通信方式はパケットだと聞いて、濱村はとっさにつぶやいた。

三菱電機 通信システム統括事業部 移動通信端末事業センター 技術第一部長(当時)の濱村正夫氏(写真:周慧)

三菱電機 通信システム統括事業部 移動通信端末事業センター 技術第一部長(当時)の濱村正夫氏(写真:周慧)

「パケットか……」。濱村は武者震いした。汚名を返上する絶好のチャンスだ。三菱電機はNTTドコモが全国へ展開中のDoPaに対応する携帯電話機を手掛けていた。しかし開発が遅れに遅れ、NECと松下通信工業に製品化で先を越された。その開発を担当していたのが濱村だった。

「パケット技術で今度こそ他社に勝ちたい。ぜひやらせてください」。

早速濱村は上司に嘆願した。しかし、上司の反応は冷ややかだった。

「ブラウザーを搭載した携帯電話機に、一体どのくらいの将来性が見込めるのか」。そのひと言で済まされてしまう。もう1つ、濱村の足かせになる要因があった。予算だ。既に1997年は終わりを迎えようとしていた。開発が本格化する1998年度の予算は、その大枠が固まりつつあった。今さら予算を組み直すことなどできない。新たな案件向けの開発費の捻出なんて、どだい無理な話だ。

濱村は粘った。どうしてもやりたかった。誰も試みたことがない開発と聞けば、なおさら技術者の血がたぎった。

「来年度、携帯電話機を予算以上に売ってみせます。予算を上回る売上高を見越して開発費を使わせてください」

濱村は、ブラウザーを組み込んだ携帯電話機の将来性に魅力を感じた営業担当者とともに、再び上司に願い出た。いわば開発費の前借りである。しかも担保は単なる口約束。そんな突拍子もない資金繰りが、社内のルールで通るわけがない。無茶な理由付けだと濱村も分かってはいたが、ほかに上司を説得する理屈が見当たらなかった。

「仕方ないな。そんなにやりたいのなら、まぁ何とかするよ」

濱村らのあふれんばかりの熱意と強引な説得に対し、上司は苦笑いを浮かべて降伏した。

濱村をここまでさせた理由は、実はもう1つあった。社内で聞きかじった話だ。今回の企画を持ち掛けたNTTドコモは三菱電機に大きなプレッシャーをかけたという。開発に参加するメーカーは、実は4社ある。その中で最後発は三菱電機と名指しされた。他社がスタートを切ったのはしばらく前で、かなり出遅れているらしい。それでももし、発売に間に合わなければ、他社の販売を優先し、三菱製品は置いていくとNTTドコモの担当者は暗にほのめかした――。

この話を聞いた濱村は、腹の底からふつふつとわいてくる闘志を抑えることができなかった。

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