「携帯電話でどうやってウェブサイトを見るんですか」
iモードと呼ばれる前(2)

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2015/4/22 6:30
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日経エレクトロニクス
 いまやインターネットを利用する際に、最も身近な端末となったスマートフォン(スマホ)。そのスマホが、米Apple(アップル)の手によって2007年に初めて発売される約8年も前に、携帯電話のインターネットサービスを世界に先駆けて事業化したのがNTTドコモの「iモード」である。「スマホの原型」とも言える、この日本発のサービスの普及は、予想をはるかに超えるペースで進み、1990年代の停滞した日本経済の中で、ひときわまばゆい光彩を放つ20世紀最後の大ヒットとなった。日経電子版創刊5周年企画「『ネット20年』その先へ:iモードと呼ばれる前」(オリジナルは日経エレクトロニクスに2002~2003年掲載)では、iモードを事業化にこぎ着けるまでの技術者たちの奮闘を描いた開発物語の連載第2回をお届けする。

1997年8月。後に「iモード」と呼ばれるサービスは、アイデアの域を脱し、目に見える形を表し始めた。

8月1日。NTTドコモは携帯電話機向けのコンテンツの企画開発を手掛ける「ゲートウェイビジネス部」を新設する。データ通信事業を推進するための新部署「モバイルコンピューティング推進本部」の一部という位置付けである。

総勢150人の推進本部の中で、わずか20人が所属する小所帯だ。それでも同部を率いる榎啓一にとっては願ってもない援軍だった。携帯電話機向けのコンテンツ配信サービスを立ち上げようと孤立無援で奮闘してきた榎に対し、ようやく専属の部下があてがわれたのだ。リクルートから転身した松永真理を筆頭に、やる気にあふれた気鋭の人材が顔をそろえた。

8月8日。NTTドコモは、携帯電話を使ったパケット通信サービス「DoPa(Docomo Packet)」をインターネット接続に利用できるように拡張した。いわばNTTドコモがプロバイダーとなって、携帯電話網経由でユーザーをインターネットにつなげるサービスである。携帯電話へコンテンツを送り届けるインフラの基礎が、早くも実用段階に突入したわけだ。

コンテンツを表示する端末も、実現への青写真が描かれた。端末の設計に責任を持つNTTドコモ 移動機技術部 主幹技師(当時)の永田清人は、ACCESSのブラウザーの採用を決め、試作機の開発を承諾する。永田が所属する移動機技術部は、ゲートウェイビジネス部と話し合い、パケット方式の採用で意見の一致を見た。試作を持ち掛ける先として、DoPa対応の携帯電話機を製造した松下通信工業とNECが挙がったのは、ごく自然の成り行きだった。

■いよいよ動き出す

松下通信工業 パーソナルコミュニケーション事業部 開発技術部 ソフトウェア2課 係長(主事)(当時)の加藤淳展氏(写真:周慧)

松下通信工業 パーソナルコミュニケーション事業部 開発技術部 ソフトウェア2課 係長(主事)(当時)の加藤淳展氏(写真:周慧)

「へぇ。ACCESSを使うんだ」

1997年8月上旬。松下通信工業 パーソナルコミュニケーション事業部 開発技術部 ソフトウェア2課 係長(主事)(当時)の加藤淳展は上司に呼び出された。NTTドコモ 移動機技術部から入った依頼に対応しろという。8月22日に、携帯電話機向けのブラウザーを開発したACCESSと3社で会う機会を設けたいとのことだった。加藤はACCESSという会社があることを聞きかじっていた。ワープロやテレビ向けのWWWブラウザーで実績のある会社らしい。

加藤の担当は携帯電話機のソフトウエア開発の取りまとめである。当時、携帯電話機で業界のトップシェアを走っていた松下通信工業の中でも、ひときわやりがいを感じる立場だ。折しも1カ月前の7月に、同社は携帯電話機の累計出荷台数1000万台に一番乗りしたばかりだった。出せば売れる状況の中で、NTTドコモからの依頼はさして珍しくなかった。

上司によると、「ブラウザーを載せた携帯電話機を試作してほしい」という話らしい。そう聞いても加藤はさほど驚かなかった。2カ月ほど前から、永田をはじめとする移動機技術部のメンバーより、同様の企画をにおわせるヒアリングを何度か受けていたからだった。ブラウザーを搭載するために用意できるメモリー容量は最大どのくらいか。マイクロプロセッサーの処理能力はどこまで高められるのか。こうした具体的な質問に対して、ヒアリングの場や電子メールで回答する機会が日を追うごとに増えていた。

実は、松下通信工業の内部でも、携帯電話機向けのブラウザーについて検討が始まっていた。俎上(そじょう)に載せたのは米Unwired Planetが売り込み攻勢をかけるHDML言語のブラウザーだ。欧州向けのGSM方式の携帯電話機に使えないかと、UPのブラウザとサーバーの技術を調査していた。

こうした動きの只中で、加藤は時代の流れを感じていた。NTTドコモからの依頼は、加藤には半ば当然に思えた。

■ACCESSって、米国企業?

NEC 第三パーソナルC&C事業本部 モバイルコミュニケーション事業部 第二基礎開発部 技術課長(当時)の西山耕平氏(写真:栗原克己)

NEC 第三パーソナルC&C事業本部 モバイルコミュニケーション事業部 第二基礎開発部 技術課長(当時)の西山耕平氏(写真:栗原克己)

同じころ、NEC 第三パーソナルC&C事業本部 モバイルコミュニケーション事業部 第二基礎開発部 技術課長(当時)の西山耕平は、上司からNTTドコモ向けの新しい開発案件への対応を命じられる。NTTドコモの移動機技術部からの依頼が、巡り巡って西山の部門に割り振られたのだった。

当時、西山の業務は携帯電話機の開発ではなかった。西山が所属する部隊の使命は、通信技術を使った新しい分野の機器の開発である。米Motorola(モトローラ)の双方向ポケベルサービス「ReFLEX」向けの端末を手掛けたり、ボイスメールを圧縮してデータ通信網で送る仕組みを構想するなど、常に新しいビジネスの種を追い求めていた。反面、携帯電話機の開発に携わったことはなく、 NTTドコモの移動機技術部との接点は皆無に等しかった。

「ACCESSってシリコンバレーの企業ですか?」

上司から概要を聞いた西山は、おもむろに尋ね返した。全く聞き覚えのない社名だ。西山の頭に一抹の不安がよぎる。以前、シリコンバレーのソフトウエア開発企業に、仕事を依頼したことがあった。納期の遅れやバグ取りに悩まされ、海外企業との共同開発の難しさが骨の髄まで染みていた。ACCESSは日本の会社であると聞き、西山はひとまず胸をなで下ろす。

「でも、携帯電話でどうやってWebサイトを見るんですか?」

西山は、それを可能にする試作機を自分で作るのだと知りながら、思わずこう聞いてしまった。当時の携帯電話機のディスプレーといえば、せいぜい横7文字の文章を2行くらいしか映せない。電話番号や名前の表示しかできない画面で、一体何を見せようというのか。西山にはまるで想像ができなかった。

■なるほどね。そういう感じかぁ

8月22日。NTTドコモからの指示に従って松下通信工業の加藤は、神奈川県の三浦半島にある横須賀リサーチパーク(YRP)を訪れた。緑が濃い山間の研究所で、加藤は永田に紹介され、ACCESSの取締役副社長 研究開発担当(当時)の鎌田富久と初めて出会った。

「頭の良さそうな人だなぁ」。鎌田の立居振舞を見て加藤は思った。

「通信方式はDoPaの『シングルスロット』、つまり9600bps(ビット/秒)でインターネットに接続します」。移動機技術部の担当者が今回の開発の主旨説明を始めた。既に大まかなサービスの概要や通信の暫定仕様は固まっていた。想定するマイクロプロセッサーの機種やメモリー容量、画面に表示する文字数と行数など、ACCESSのブラウザー「Compact NetFront Browser」の要求仕様を鎌田が補足する。

「なるほどね。そういう感じかぁ」。加藤はその一つ一つにうなずき、要点を書き留める。

鎌田の話が一段落すると、永田が割って入った。「今後の日程ですが、まずは以上の条件を満たす試作ブラウザーの詳細仕様を来月中に固めて下さい。その後、年度末の3月をメドにブレッド・ボードを試作して、来年の6月ころにはサーバーとセットで交換対向試験までやりたいと考えてます。結構ギリギリのスケジュールですけど、これを守らないとかなり厳しいことになる。1998年冬のボーナスシーズンに端末を発売できないとまずいですから」

「なるほど、来月ですか」。加藤はスケジュール帳をめくる。

加藤は、1カ月というスケジュールがいかにむちゃな要求であるか、この時点では理解していなかった。当日NTTドコモから説明された仕様は、これから詰めていく用件を大まかになぞったものにすぎなかった。その数百倍もの約束事をACCESSと協力して決めていかなければならないことを、後に加藤は痛いほど知ることになる。

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