ネット史に輝く金字塔、「iモード」生んだ運命の出会い
iモードと呼ばれる前(1)

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2015/4/17 6:30
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鎌田はこれまで体験したことのない異常な熱気を感じていた。外気の暑さとは違う、人間だけが発する熱がひしひしと身に迫ってくる。「こんな人がNTTにいたなんて。この人に分かってもらうためには、実際に動いているモノを見せるしかないんじゃないか」。鎌田は永田の威圧感に耐え切れなくなってきた。

「それでは、次回のミーティングで、動いているものを実際にお見せしながら再度提案させてください」。精一杯の力で鎌田はこう切り出した。

「それがいいですね」。永田も賛同した。

会議室に張り詰めていた空気が一気に開放され、2人のソフトウエア技術者のプライドを懸けた闘いはひとまず中断した。

次のミーティングは1997年7月22日の午後1時からと決まった。

■リベンジに懸ける

「あの会議の日、鎌田はNTTドコモから帰ってくると、随分悔しがっていた」と、ACCESS 代表取締役社長(当時)の荒川亨は振り返る。

永田と会った日の晩、早くも鎌田は会社の自室にこもって次回のプレゼンテーションの準備に取り組んだ。鎌田の部屋のあちらこちらには試作ボードや製品のモックアップが無造作に並んでいる。これまで、NetFrontを載せてきたテレビ受像機、ワープロ、PDAといったさまざまな機器の名残だ。

対象が携帯電話機に代わってもNetFrontは問題なく動く、という確信が鎌田にはあった。実際、携帯電話機を想定したWWWブラウザー「Compact NetFront Browser」を開発中で、パソコン上で動かすプロトタイプが既に出来上がりつつある。今日のプレゼンテーションで指摘された点を基に若干の修正を加えれば、永田を満足させられるレベルのデモンストレーションを見せる自信があった。念には念を入れて、電子メール画面のサンプルや具体的なコンテンツ画面を想定したGIF形式の画像も用意することにした。

「絶対に説得してみせる」鎌田の眼は1カ月先を見据えていた。

■「よし。いけるぞ」

「ほぉー」

ノートパソコンのディスプレーに映ったブラウザーを見て、同席者から感嘆の声が漏れた。1997年7月22日。鎌田富久はこの瞬間を待っていた。

「小型情報機器向けCompact NetFront Browser」と題した提案書を、NTTドコモに持ち込んだのが6月25日。携帯電話機にWWWブラウザーが載ると自信満々で主張する鎌田に、渋い表情を見せたのがNTTドコモの永田清人だった。あれから1カ月。自分の話を全く信用しない永田に、試作版を手にした鎌田が再び挑戦するときが来た。

(写真:栗原克己)

(写真:栗原克己)

「小さい画面ですので、少し見づらいですが…」

こう話す鎌田の正面に座った永田は、一見すると不機嫌な面持ちで、少し身を乗り出してディスプレーを見つめる。細くて長い会議室には20人近い同席者が集まっていた。自然に1人、2人と椅子から立ち上がり、小さなノートパソコンの前に鈴なりになった。

画面には「Main MENU」とある。その下にメールやスポーツ情報、天気といったメニューが並ぶ。カーソル・キーで一つひとつメニューを選びながら、鎌田は想定するコンテンツや、サンプルとして用意したGIF画像などを見せる。

(写真:後藤光一)

(写真:後藤光一)

「では、もっと深い階層まで行きます」。鎌田は手を伸ばし、ファンクション・キーや数字キーを押して次々と画面を切り替えていく。メール画面を表示し、あらかじめ入力したメールの文章をスクロールさせる。F1キーを押して画面を1つ前に戻す。一連の動作を繰り返しながら、鎌田は永田の表情を伺う。鎌田の目には明らかに永田が画面に引き込まれていく様子が映った。

「よし。いけるぞ」鎌田の血が躍った。

(写真:後藤光一)

(写真:後藤光一)

「へぇ,本当に動くんだ」。永田は心の中で思わずこうつぶやいた。鎌田の1度目の提案から想像していたよりも、ずっと良い出来栄えだ。

「これだったら榎さんの構想も実現できるかもしれないな」

永田は、白髪の交じる小柄な紳士が、人懐こい笑顔で語った雲をつかむような話を、ぼんやりと思い起こしていた。

■「DoPa」に白羽の矢

「iモードを一から立ち上げた男」、NTTドコモの榎啓一氏(写真:的野弘路)

「iモードを一から立ち上げた男」、NTTドコモの榎啓一氏(写真:的野弘路)

iモードを一から立ち上げた男。それがNTTドコモ の榎啓一である。始まりは1997年1月上旬だった。当時の代表取締役社長である大星公二に呼び出された榎は、分厚い報告書を手渡される。コンサルティング会社のマッキンゼーがまとめたそれには、携帯電話機を使った新しいデータ通信サービスの可能性が事細かに記されていた。

大星の要求はシンプルだった。このサービスを現実の事業にしろというのだ。榎にしてみればとんでもない話である。何しろ、頼れる人間は一人もいない。組織もなければ専属の部下も決まっていなかった。当時の榎の肩書は法人営業部長。大学の専攻こそ理系だったものの、最新技術についての知識は皆無に等しかった。そんな榎にできることは、社内外の識者を探し出し、各人の意見を丹念に集めていくことくらいだった。

最初に榎が目を付けたのは、携帯電話機同士で全角25文字までのメッセージを送受信できる「ショートメール」である。ちょうどNTTドコモは1997年6月のサービス開始に向けて、準備を進めていた最中だった。ユーザー間でのメールのやりとりだけでなく、さまざまな情報をメールに載せて配信サービスを提供できないかと榎はもくろんだ。

発想は悪くなかったものの、程なく榎は壁にぶつかる。ショートメールでは送受信できる文字数が少なく、多数のユーザーからの同時アクセスに耐えられるネットワークの確保に不安があることなどが明らかになってきた。

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