恐るべき英才、一転市場を去る 内海喜一氏
市場経済研究所代表 鍋島高明
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内海喜一が米相場の街、日本橋蛎殻町で存在感をアピールするのは明治38年(1905年)のことだ。この年松沢与七、松村辰次郎の買い占め連合軍が米の現物15万石(1石=150キロ)を引き取り、その処分に窮したことがある。内海が兄たちと立ち上げた丸三精米は創業以来、苦戦続きだったが、この時内海はチャンス到来とばかり、変質の恐れがある米6万石を1石当たり3円15銭という安値で引き取り、なんと同12円50銭で...
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