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軽さが武器の「山の神」 マラソンで世界へ
陸上 青学大・神野大地

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2015/3/23 7:00
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 2020年東京五輪まであと5年。その大舞台でメダルを狙うホープたちがいる。長いようで短くもある5年という時間。彼らはどのような青写真を描き、自らの夢を実現させようとしているのか。それぞれの競技で次代を担う選手たちの横顔を追った。

神野は1月の箱根駅伝往路5区を驚異的なタイムで駆け抜けた=共同

神野は1月の箱根駅伝往路5区を驚異的なタイムで駆け抜けた=共同

箱根の山上りは、ときに人々の記憶に鮮烈に残るランナーを誕生させる。今年1月の東京箱根間往復大学駅伝(箱根駅伝)で、標高差864メートルの5区をまるで平地のように駆け抜けて、人々の目をくぎ付けにしたのが青学大の神野大地(21)だった。コース変更があったため単純比較はできないが、1時間16分15秒は、12年に東洋大の柏原竜二(現・富士通)がマークした1時間16分39秒を24秒上回る驚異的なタイム。青学大を初の総合優勝に導いた功労者の一人は164センチ、43キロの小さなランナーだった。

「山の神」誕生に偶然の出会い

偶然の出会いがなければ「3代目・山の神」は誕生していなかったかもしれない。10年夏の菅平高原(長野県上田市)。青学大とちょうど同じ時期に合宿をしていたのが中京大中京高だった。

中学生から大学生まで何百人ものランナーが練習していた草原で、ひときわ目立っていたのが同高2年生だった神野だったという。「ピョンピョン跳ねるようなダイナミックな走りが目に焼き付いてね。彼のいる場所だけに日が差しているような感じがしたんだ」。青学大陸上競技部の原晋監督は目を細めてそう述懐する。

中京大出身で、中京大中京高の監督とも懇意だった原監督は、その日のうち宿舎にあいさつに訪れた。初めて対面した神野に対しての第一声は「君、本当に小さいね」だった。当時、神野は160センチ、38キロぐらい。同高監督はその可能性を認めながらも「小学生みたいに体が小さくて、まだまだですよ」といっていた。

神野(右)は原監督が「タイムではなく、自分の将来性を説明してくれて誘ってくれたのがうれしかった」と振り返る

神野(右)は原監督が「タイムではなく、自分の将来性を説明してくれて誘ってくれたのがうれしかった」と振り返る

それでも「いいランナーは、走っている姿が大きく見えるもの」と原監督。相手の目をしっかりと見て話をする神野の姿勢にも好印象を持った。「将来、絶対に伸びると思った」と確信した同監督は、青学大進学を勧めたのである。当時、目立った成績はほとんどあげておらず、入部基準は満たしていなかったにもかかわらずだ。

「タイムではなく、自分の将来性を説明してくれて誘ってくれたのがうれしかった。最初に声をかけていただき、迷うことなく青学大に進学することを決めた」と神野は振り返る。菅平の草原を軽やかに駆け抜けていた"原石"は、こうして原監督に見いだされたのである。

そんな神野が本格的に陸上で長距離に取り組み始めたのは、中学で陸上部に入部してから。小学校のときは野球をしていてエースだった。「左利きなので投手をやれ、と。でも、速球で打者を抑えるのではなく、僕のボールは遅すぎて打てない。そんなタイプの投手だった」

中学進学後も当初は平日は陸上、週末はクラブチームで野球という"二足のわらじ"を履いていた。だが、体が小さく野球では徐々にベンチを温めることが多くなっていく。「限界を感じた」という神野は中2の夏から陸上の長距離一本に絞って、走ることに熱中した。

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