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パリダカ疾走 15年目 ラリードライバー・三橋淳(上)

世界一過酷な自動車レースと呼ばれるダカールラリー(通称パリダカ)。三橋淳(44)はこの過酷なラリーの魅力に引かれ、挑み続けている。1月に開催された大会の市販車部門で2年連続5度目のクラス優勝。各メーカーが競い合う総合優勝に比べれば目立たないが、「今後もチャンスがあれば、やれる限りのことを続けたい」と前を向く。

アンデス山脈の麓を走る難コースは呼吸をするのも一苦労

ドライバーたちが車の整備する難所

ダカールラリーの舞台は南米だ。2015年はアルゼンチンのブエノスアイレスからチリ、ボリビアを回り再びアルゼンチンに戻ってくる。アンデス山脈の麓を走るコースは時に標高4000メートルを超え、雲一つない空はひたすら青い。富士山より高い土地では呼吸をするのさえも一苦労だ。

実は三橋は、アフリカから南米に移ったことでコースの過酷さが増したと感じている。01年に初めてダカールラリーに参加した時には「アフリカの大地を走る難しさはあった」。一方、南米は荒野というイメージには遠い。ラリーが行われる場所は人が寄りつかない荒れ地でも、その周囲には街があり、インフラもそろっている。その代わり、「難易度の高いコースを設定して、ラリーのサバイバル感を演出している」。

15年に加わったボリビアのウユニ塩湖周辺のコースもその一つ。標高3700メートルほどに位置するこの区間では技術者の支援、整備が禁止され、ドライバーたちが、車の整備をしなければならない難所だった。

一瞬の気の緩みが事故につながり、リードが瞬く間になくなる怖さがある。1時間のリードがあったとしても、1つのトラブルでそれがふいになるかもしれない。三橋は苦笑いを浮かべつつ、「アフリカで走っていた時は前半に大差がつけば、だいたいはそのままゴールできた。今は最後まで気が抜けない」という。

今年の大会、一つの区切りの気持ちで

7月に45歳になるのを前に迎えた今年の大会。「一つの区切り」という気持ちで挑んでいた。30歳でダカールラリーに初参戦してから15年が経過。40代半ばになると、なかなか肉体的にも状態を上げていくのは難しくなる。勝てば5度目のクラス優勝はなんとしても成し遂げたいものだった。

ライバルは同じ「トヨタランドクルーザー200」に乗るトヨタ車体2号車のチームメート。レース用の最低限の改造しか許されない市販車クラスなので、両車の間に性能の差はない。気が抜けない勝負になると思っていた。

ところが、開幕を前に三橋は体調を崩してしまう。気管支炎を患い発熱。そのため、集中して運転しているつもりでも、ベストの走りにはほど遠い。序盤戦は2号車に先行を許す苦しい展開だった。3日目に2号車がラジエーターを破損するトラブルに見舞われ、1位となることができたが、それがなければどうなっていたか分からなかった。

加えて、中盤戦でステアリング系を破損するなど、何度か自身もトラブルに見舞われていた。目標としていた5度目の優勝を素直に喜びつつも、三橋は「こんなにミスしたラリーは初めて」と反省。これを今後の糧にするつもりでいる。(敬称略)

〔日本経済新聞夕刊3月16日掲載〕

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