東は山梨、西は岡山 「終の住み家」で人気急上昇
移住で手に入れる、リタイア後の快適生活ガイド(1)
最近の移住事情を象徴する言葉が「安・近・短」だという。安は「安い」ではなく「安心」や「安全」の安。自然災害が少ない、インフラが整備されている、総合病院があるなどだ。
続いて近。一旦は海外に移住したものの、言葉が通じない、日本の暮らしや孫が恋しいなどの理由で帰国してしまう人は少なくなかった。一方、離島や僻地は不便な生活や濃密な人間関係が煩わしい、昔の仲間に会えないといった不満もくすぶる。結果として、自宅からの交通の便がいいエリアを希望する人が増えている。
最後の短。数日から数カ月の短期ステイ、あるいは都市と田舎を往復する2地域居住など、暮らし方の選択肢が広がっている。背景には、人口減少時代を迎えて都道府県が移住者獲得に本腰を入れ、官民が協力して移住ビジネスに取り組んでいることが挙げられる。
こうした状況を反映し、NPO法人ふるさと回帰支援センターが毎年発表する「ふるさと暮らし希望地域ランキング」などでは、「安・近・短」を満たすエリアに移住希望が集中している。特に人気急上昇中なのが、東の山梨県と西の岡山県だ。
今回は、山梨県に移住したシニアの生活事情を紹介しよう。

【北杜市】 八ヶ岳の大パノラマの中、実り多き第二の人生

杉藤則正さん、成美さん夫妻が川崎市から北杜(ほくと)市に移住して11年が過ぎた。高台に立つキャビン風の自宅の大きく取った窓から見える南アルプス連峰は、手を伸ばせば届きそうなほど近い。
愛犬と旅した楽しい思い出のある八ヶ岳南麓で土地を探していた2003年秋。大パノラマの中、現在の自宅前に広がる田んぼで黄金色の稲穂が風に揺れている様子に心を動かされ、移住を決めた。
観光地は仕事を見つけやすい
退職金は出たものの、ライフプランを考えると則正さんが年金を受け取り始めるまで月20万円を稼ぐ必要があった。しかし「果たして田舎に仕事があるのだろうか」という不安は杞憂に終わる。「観光地の多い山梨は就労機会が多い。業務内容を選ばなければ仕事の口はそこそこある」と則正さん。
とりわけ中高年女性のニーズは高い。道の駅の体験工房の羊毛フェルト体験に参加したところ、物作りの面白さに魅せられ、今や教室で4人のスタッフを束ねる立場になった成美さんはその好例だろう。
則正さんも仕事をしていたが、年金生活に入った現在は地元の農家の人と共同で、2反(たん)5畝(せ)(約0.25ha)の田んぼにコシヒカリを育てている。収穫をした米は等分するが、則正さんの取り分だけで白米にして優に300kgはあるという。一方で、以前から興味を抱いていた犬の飼養相談や、狂犬病予防の集合注射への同行などボランティア活動にも取り組む。
着々と地域のネットワークを広げているお二人だが、難しいのは同じ北杜市でも居住地区によって移住者への対応が違うことだという。移住者も町内会に招き入れ役員を任せる地区もあれば、資源ごみの回収など地区のサービスの対価として協賛金を受け取るのみで、原則移住者は蚊帳の外という地区もある。
「私の場合はまずは挨拶を心がけ、周囲の状況を把握しながら徐々に交流を始めた。地域で人手が足りない時に手を上げれば、それで地元の人から認めてもらえるという面もある」(則正さん)。
10分もクルマを走らせればスーパーや病院にたどり着く。成美さんの両親も岐阜県から隣の小淵沢町に呼び寄せたお二人は、「今はインターネットで何でも買えるし、田舎暮らしで不自由していることは何一つない」と口を揃えた。
【山中湖村】 九州から生家を移築した古民家で暮らす

富士山が眼前に広がり、少し歩けば青藍色の湖水をたたえる山中湖を一望できる。竹森健一さん、なつゑさん夫妻は8年前からそんな山中湖村の別荘地に暮らす。
なつゑさんは東京都内の実家に母親の介護に通っており、そのまま残してある川崎市内の家の様子も時折は見に行く必要がある。山中湖村を選んだのは首都圏からの交通の便の良さからだった。
無人となった生家を移築
自宅は明治時代に建てられた古民家だ。福岡県太宰府市から健一さんの生家を移築した。両親亡き後、無人となった生家をどうするかは悩みの種だった。定年後に一旦は太宰府に戻ったものの、家の片付けだけで手いっぱい。太宰府と川崎を往復する生活は経済的にも体力的にも負担が大き過ぎた。
兄弟や親戚に生家の土地を売却することを納得してもらう一方で、移築を前提に古民家の再生を支援するNPO(非営利組織)に相談。そこで設計士や解体業者、建築業者に出会う。山梨県の建築業者だったことから、県内の土地を物色する中で今の土地にたどり着いた。
玄関を入ってすぐのリビングは吹き抜け天井で、年代を感じさせる太い梁が組まれている。広間の書院造の床の間には設計士の提案で丸窓が設けられ、障子を開くと富士山が顔をのぞかせる。
生家から持ち込んだ古道具、古い着物や襦袢(じゅばん)の端切れを使ったなつゑさん作のパッチワークが屋内の随所に配され、まるでインテリア雑誌を見ているようだ。「長男なので跡取りは当然と思っていた。こういう形で生家を引き継ぐことができてよかったと思う」と健一さん。
夏場は敷地内の家庭菜園でキュウリやナスを栽培する。周辺の移住者と互いの家を行き来しながら、地元の登山やゴルフなど趣味の会に加入し、地域のボランティア活動にも熱心に取り組む。「移住者だからこそ地元の人と積極的に交流する必要がある。地元の人は困った時頼りになるし、有益な情報ももたらしてくれる」と健一さん。
「畑に大工仕事に薪作りに、とにかくやることが多過ぎる」と言うご主人の傍らで、週1ペースで実家通いを続けるなつゑさんは、「私は丸の内や銀座をぶらぶらするのも大好き。ここでの静かな時間と両方を楽しめる今が一番幸せかもしれない」と笑顔で話してくれた。
(日経マネー 森田聡子)
[日経マネー2015年4月号の記事を基に再構成]