2019年4月20日(土)

「もう一花咲かせたい…」 崖っぷち棋士に聞く
熊坂学五段、引退の危機脱せるか

2015/1/31 6:30
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 いま、将棋ファンから熱い声援を受けるひとりのプロ棋士がいる。規定の成績をあげられなければ今年度限りで強制引退に――。崖っぷちで戦う熊坂学五段(37)だ。1月29日、仙台市で話を聞いた。

1月9日、王座戦の対局にて(写真提供・日本将棋連盟、撮影・梅)

1月9日、王座戦の対局にて(写真提供・日本将棋連盟、撮影・梅)

今年度の熊坂五段は好調だ。昨年度までは勝率3割台が続いていたが、今期は森内俊之竜王(当時)を破る金星をあげ、6連勝も記録。ここまでの成績は13勝10敗で、年度内にあと4勝(1敗は可)すれば、37歳という若さでの引退を回避することができる。

熊坂五段は今期の好調の要因をこう語る。「一昨年の秋に母が亡くなりました。それがきっかけというわけではないですが、去年の2、3月に、『あと1年、悔いのないように指そう』と。もちろん、C級2組に戻れる(引退を回避できる)のが一番いいですが、そう甘くないとは思っていました。それがたまたまNHK杯予選を抜けて、初めて(テレビ対局の)NHK杯にも出られて。今は『駒を前に前に』と意識していて、それがいい方向に働いているのではないかと思います」

去年から、背中を押してくれる存在が増えたという。「昨年春、地元の仙台で教室(『杜の熊さん将棋教室』)を立ち上げて、最初は10人くらいだった生徒さんが、ありがたいことに今は20人くらいまで増えました。そんなわけで、生徒さんたちにいいところを見せたいと。最後の悪あがきじゃないですが、地元出身の棋士が頑張っているところを見せたい。森内さんに勝った後の教室では、生徒さんが興奮して話しかけてくれました。頑張ってという見えない力を受けています」

熊坂五段は2002年、棋士養成機関である奨励会の三段リーグを13勝5敗の2位で抜け、24歳でプロ入り(四段昇段)を果たした。それまでの三段リーグではあまり昇段争いに絡めず、26歳までという年齢制限による強制退会もちらつく中、この時は「最初で最後のビッグチャンス」をモノにした。四段昇段を決めた後、「喜びを爆発させたのを覚えています。喜び過ぎて今に至るんですけど」

晴れてデビューしたが、プロの世界は甘くなかった。デビュー直後に所属する順位戦C級2組で苦戦し、わずか3年で陥落。10年以内に規定の成績を残さなければ引退となってしまう「フリークラス」という立場になった。「どこか緩んでしまっていた。危機感がなかったんでしょう。落ちた時のことは、もう覚えていません。一生懸命指した記憶はあります」

「次々若い新四段の子が入ってくる中で、(C級2組への復帰が)そう簡単でないのはわかっていました。上がれる確率は相当低いだろうと。ただ、どこかでもう一花咲かせたいと思っていました」。07年、親しい後輩の伊藤真吾五段がプロ入りを果たした際は、「おめでとう」の言葉を言わなかったという。伊藤五段は三段リーグの次点(3位)2回による、フリークラスでのプロ入りだった(現在はC級2組)。フリークラスの厳しさを知るからこそ、声をかけられなかった。

07年に結婚し、10年秋、第1子誕生を機に東京から地元・仙台に居を移した。「母の命が短いのはわかっていて、両親に子供の顔を見せたかった。高校を出て東京に移りましたけど、棋士になったらいずれ地元に戻るつもりでした」

仙台への転居から間もなく、東日本大震災が起こる。「私と妻と子供は一時、避難所で暮らしました。母が病気で家から出られなかったので、水を運んでやったりとか、ささいなことでしたが親孝行できたのはよかったと思います」

昨春、仙台で将棋教室を立ち上げた理由を聞いた。「もともと地元で何かしたいと思っていました。一昨年に母が亡くなり、少しは動けるようになったので」。教室は級位者中心だが、早くも有段まで伸びた子もいるという。だが「プロ棋士を育てる、という考えはあまりありません。地方から(奨励会のため東京や大阪に)通う大変さは知ってますから。もちろん、将棋は広めたいです」

迎えたフリークラス編入後10年目の今年度。熊坂五段は突如活躍を見せる。「指す戦型も変えてないし、研究もあまり……。本当に何も変わっていないんです。持久戦になりがちだったのが、隙あらば仕掛けてどうか、となったくらいで」。森内竜王(当時)戦についてはこう振り返る。「タイトルホルダーとの対局はプロになって初めて。大御所やレジェンドの方と指すのは子供の頃からの夢でした。羽生世代の森内さんに勝てるなんて思ってなかった。玉砕覚悟でした」

今年度も残りわずかとなり、10年の期限が目前に迫ってきた。意外なことに、フリークラス脱出に必要な成績の星勘定はずっとしていなかったという。「数えたのは昨年のクリスマスに王位戦で負けてからです。それまでは、(対局が2局ずつ連続で入ることが多かったため)連勝なら楽になる、連敗したらオシマイ、というくらいでアバウトに考えていました。(仙台から上京して1日2~3局ずつ指した)奨励会の頃に戻ったみたいな感じで。奨励会なら6連勝で昇級できるんですが」

人生を左右する勝負が続く。そのプレッシャーはどれほどのものか。「対局前日は意外と寝れてます。負けたら寝れないです。勝ったときはすぐ寝れたり、興奮してやっぱり寝れないこともあります。妻は詳しいことはほとんど知りません。崖っぷち、ということは知ってますが」

インタビューに答える熊坂学五段(29日、仙台市)

インタビューに答える熊坂学五段(29日、仙台市)

今年度、残る棋戦は竜王戦と、早指しのNHK杯予選。特に、1日最大3局を戦えるNHK杯予選が重要になりそうだ。「NHK杯は初戦が勝負と思っています」。初戦の相手は、早指しを得意とする大平武洋五段に決まった。同い年で、プロ入りも同期。「よく一緒に遊びました。運命的ですね。このハードルが……。もちろん、その後の相手もきついですが」

改めて、今後の対局への意気込みを聞いた。「いまは連敗中なので、まずは一つ勝って(悪い)流れを断ち切りたい。最後まで、勝っても負けても、自分らしくというイメージを持って臨みたい。自分の持ち味はガッツを出して指すところ。才能はないですが、一生懸命将棋を指す姿勢で……。最後の2、3月、頑張りたいと思います」

言っても詮無いことと承知の上で聞いた。今の調子なら、あと何年かあれば、たとえ今年度ダメでも、遠からず規定の成績をあげられるのではないか、と。

熊坂五段はすぐ首を横に振った。「今回(今年度の好成績)はたまたまです。(『最初で最後のチャンス』をモノにした)三段リーグの時もそう。ワンチャンス(をつかめるかどうか)……。そういう運命なんですかね」

(文化部 柏崎海一郎)

熊坂五段が1月9日に三枚堂達也四段と戦った、王座戦1次予選決勝の小暮克洋さんによる観戦記は、2月1日から本紙朝刊に掲載

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