2019年9月18日(水)

マイペース、遅咲きの新人王 ロッテ・石川歩(上)

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2015/1/10 7:00
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「夢を持って続けていければ、『プロ野球選手になれるぞ』ということは伝えたい」

2014年11月26日、NPBアワーズでの記者会見。富山県出身者として初めて新人王に選出された石川歩(26)は、地元の子どもたちへのメッセージを問われてこう答えた。

高校時代まで無名。「野球もうまくなかった」と語る

高校時代まで無名。「野球もうまくなかった」と語る

サッカー好きだった少年が…

「僕は富山にいた高校時代までは、そんなに有名でもなかったし、野球もうまくなかった」。マウンドさばきと変わらないひょうひょうとした穏やかな口調。その分だけ、思いがこもった。

13年のドラフトで巨人との競合の末にロッテがドラフト1位で指名した東京ガス出身、186センチの長身右腕。ルーキーイヤーの昨季はパ・リーグの新人では唯一、規定投球回数をクリアし、2桁勝利(10勝)に到達した。新人王という称号まで手に入れ、一気に花開いた感もあるが、プロ入りは25歳。マイペースで一歩一歩進んできた遅咲きの野球人生だ。

本格的に野球を始めたのは小学3年生。野球好きの幼なじみに誘われて、魚津市のスポーツ少年団のチームに入った。それまでサッカーが好きだったという少年が「野球がおもしろい」と感じるようになるまで時間はかからなかった。ほかの子よりも遠くまで投げられる。打球も飛ばすことができる。そうなれば、おもしろくないわけがない。

最初の守備位置はライトだったが、4年生になるとピッチャーの練習を始めた。1学年上の選手が2、3人しかおらず、「自分がやるんだろうな」と思っていた通り、5年生からは主戦投手となり、以降はマウンドが定位置となった。

県立高で「富山一」目指す

魚津市立西部中でも野球部で野球を続け、県大会では上位に進出した。高校は私立からの誘いもあったが、「家から近いし、野球もできる」という理由で県立滑川高に入学した。

1956年の春夏、01年夏の甲子園に出場した同高に進んだものの、「本気というよりは、漠然と甲子園を意識していた」。一番の思い出は、自らを追い込んだ2年秋から3年春にかけての鍛錬だ。全体練習に加えて、体幹強化やランニングなどの自分で考えたトレーニングをこなしたことで、130キロ台前半だった球速は140キロを超えるように。支えていたのは「県内のピッチャーには負けたくない」という思いだ。

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