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「救えたはず」なくせ

見つめ直す 阪神大震災20年 第1部 備え(中)

2011年の東日本大震災。多くの医療関係者が大きなショックを受けていた。被災地や周辺の医療機関の患者受け入れ能力を把握し、救急隊の振り分けに生かす広域災害救急医療情報システム(EMIS)が十分に機能しなかったからだ。

3・11で機能せず

EMISは阪神大震災を機に誕生。一部の医療機関に集中するなどした患者の情報が共有されず、限られた医師らを有効に活用できなかったことを教訓に作られた。都道府県などがデータベースを管理し、医療機関が入力するなどして情報を共有。兵庫県で導入され全国に広まった。

病院の受け入れ能力のデータを見ながらEMISを使った訓練をする医師ら(神戸市中央区の兵庫県災害医療センター)

だが、東日本大震災では、システムをよく知らない例があったり、通信状態が悪いといったケースなどが発生。東北の被災地の多くの医療機関が被災状況やどの程度の患者に対応できるかの情報を発信できなかった。

約20年前の「あの日」。兵庫県西宮市の兵庫医科大学病院では多くの患者の来訪に備えた。だが、訪れたのは200人ほど。受け入れ規模が約3分の1の市内の病院には倍の患者が訪れるなどした。「あちこちに同様の事態が起きた病院があった」。EMIS誕生につながった背景を太城力良副理事長は話す。

「救い得る命」をどう救うかの課題を投げかけた阪神大震災。全国でも医療・救急体制の見直しは進むが、「想定外」の要素を持つ大災害の前に万全な対応は難しい。

震災後には災害派遣医療チーム(DMAT)も誕生。救急医療の知識を持つ医師が現場に向かえれば多くの命が救えたのではとの反省から設けられた。日本DMATには3月末時点で、全国で医師、看護師ら8327人が登録する。

「想定外」次々と

ただ、被災の程度によっては現場入り自体が遅れることや、多くの被害者が即死状態で助かる見込みがない場合もある。東日本大震災の津波災害や広島市の大規模土砂災害などではDMATの活躍の場は限られた。

8月中旬。神戸市中央区の兵庫県災害医療センターで、車の多重事故を想定したEMISの訓練が行われた。画面には病院の受け入れ可能患者数や被災状況が並ぶ。医師らは真剣な表情で救護計画を練り上げる。

「停電時、自家発電で稼働は十分か」「通信がつながらない場合の対処は」……。懸念は尽きない。「救えたはず」を一つでも減らすため、関係者の模索は続く。

「72時間」の意識浸透

神戸市消防局の救助関連資料によると、震災発生時の1月17日に救出された人は604人、うち80.4%が生存できたが、翌18日には生存率は28.5%、19日には21.8%と下がった。

こうした教訓から災害発生後「72時間」が生死を分ける「壁」として定着。がれきに挟まれた際に体に毒素がたまり、救出後でも死亡の危険があるクラッシュ症候群なども指摘された。

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