元アスキー社長に聞くインターネットの光と影  西和彦さん(58)
戦後70年 わたしたちの軌跡(3)

2014/12/31付
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 日本でパソコンが家庭に広く行き渡るきっかけとなったのは、1995年の「ウィンドウズ95」日本語版の発売だ。使い勝手が飛躍的に高まり、ネットワーク機能を追加したことで、インターネットの普及と相まって、急速に利用者を増やしていった。パソコン黎明(れいめい)期の1977年にパソコン専門誌「月刊アスキー」を創刊した西和彦さん(58)にパソコンやネットが私たちの暮らしに与えたものを聞いた。

元アスキー社長の西和彦さん

元アスキー社長の西和彦さん

――「月刊アスキー」創刊時、パソコンの将来をどう見ていましたか。

僕の子供の頃、コンピューターといえば計算機だった。それにアルファベットや漢字を入れれば電動タイプライターの代替品になるかなというのが最初の印象だ。60年代に日本の通信社などでテレタイプが使われ、ケネディ大統領暗殺を伝える衛星中継や東京五輪カラー放送などが続いた。家庭とオフィス両方で情報の受け取り方も少しずつ変わっていった。

アスキーを創刊した頃、高価なパソコンは安くさえなれば売れるだろうと考えていたが、そうではなかった。任天堂が83年に発売した「ファミリーコンピュータ」は約1万5千円。それでも全員が手にした訳ではない。誰もがパソコンを手にする時代になるには、ネットワークにつながる必要があるんだと気付かされた。

■「世界中の情報が無料」の驚き

――「ウィンドウズ95」発売が日本では大きな転機と言われています。

誰もが世界中のあらゆる情報を無料で見られるという驚きは大きかった。インターネットは人間の好奇心をものすごく刺激したと思う。文章を書いたり、計算をしたりという理由であの頃パソコンを買った人はいないでしょう。社会現象のようになったのは、マイクロソフトとパソコンメーカーの巧みなマーケティングが成功したからだとは思いますが。

発売と同時にウィンドウズ95を買い求める人々(1995年11月23日午前零時過ぎ、東京・秋葉原)

発売と同時にウィンドウズ95を買い求める人々(1995年11月23日午前零時過ぎ、東京・秋葉原)

かつて日本最大級のパソコンショップがあったビルは現在、AKB48劇場などが入る(東京都千代田区)

かつて日本最大級のパソコンショップがあったビルは現在、AKB48劇場などが入る(東京都千代田区)


――インターネットが当たり前の時代に生まれ育った今の若者と接する中で、それ以前の若者との変化を感じることはありますか。

ネットのおかげで好奇心が満たされ、あらゆる知識を得られるようになった。例えば知識や知恵は世界中の経済格差や教育格差の解決に役立つなど、素晴らしい豊かさをもたらしてくれている。一方でネット世界に没頭し、ゲームやおしゃべりなど非生産的な活動に時間を費やす人がいることは残念だ。人間は考える時間を減らしてはいけないと思う。

10代のネットへの接続時間はパソコンよりスマホが長いといった調査がある。今や大学生が卒論をスマホで書くことすら珍しくない。僕らの世代にとっては「何を考えているんだ」となるんだろうけど、彼らにとっては常識。今更使用を制限することは不可能だ。

今の若者たちが私たちの世代と決定的に異なるのは、一生に知り合う人の数だろう。ツイッターやフェイスブック、LINE(ライン)といった交流サイト(SNS)のおかげで桁違いの人たちと常時やりとりをしている。悪口を書けばアーカイブで残る時代なので、コミュニケーションの取り方も徐々に変わってくるだろう。

■試される人間の知恵

――今後、情報やテクノロジーは社会をどう変えていくとお考えですか。

データをインターネット上に保存し、必要に応じて引き出して使う「クラウド」。これにパソコン、スマホ、タブレット、テレビの全てがつながり、どれでも情報の送受信ができるようになる時代が5~10年後には到来するとみている。どこにいても同じ情報のやりとりができ、異なるのは画面の大きさだけ、という状況だ。

どんな時代でも言えることだが、文明の進歩には光と影の両面がある。例えば自動車は極めて便利な発明だが、交通事故や排ガスの問題が起きてきた。今では負の側面を補う技術が開発されている。今は過渡期。どうなるかは分からないが、人間の知恵と時間が解決していくだろう。

(聞き手 社会部 鱸正人)

西和彦(にし・かずひこ) 1956年生まれ。77年に月刊誌「アスキー」を創刊。79年米マイクロソフト副社長。米マサチューセッツ工科大客員教授などを経て、尚美学園大教授、須磨学園学園長。

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