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「不健康社員」を見逃さない 疾患リスクを防ぐIT

「命を守るシステム」の勘所(上)

日経コンピュータ
従業員を事故や病気で失うリスクは、極めて大きな経営課題だ。この課題解決を主導するのにふさわしい部署は、実はシステム部門である。プライバシーを守りつつ、社員の健康情報をデータベース化。放置すれば命に関わる「高リスク従業員」を発見し、治療を促す。命を救う仕組み作りにおいて、システム部門が果たすべき役割は大きい。

今、働かないで、いつ働くのか。ある40代の男性従業員はそう考えていた。プロジェクトリーダーとして多くの部下を抱え、自らも仕事に邁(まい)進する。だから、少々体調が悪くても病院に行こうとはしなかった。そんな男性に会社から一つの通知が来た。

 「あなたは重篤な疾患の発症リスクが高い。重症化防止プログラムを受けて下さい」

東京都江東区に本社を構える線材メーカー大手のフジクラは、5万人を超える従業員の健康データを集め、心筋梗塞や脳梗塞など命に関わる疾病リスクが高い「高リスク従業員」を抽出できる健康管理システムを構築中。一部運用を始めた。冒頭の従業員はリスクの高さで「全従業員中トップ10」と判定された。

年1回の健診だけでは不十分

社員の健康管理に、企業が積極介入する時代が到来しつつある

同プログラムに沿って疾患リスクの説明を受けてわずか2週間後、男性は発作的症状を覚えた。いつもなら「病院に行くほどではない」と我慢してしまうところだが、リスクの説明を受けていた男性は自ら119番。病院に搬送され、適切な治療を受けることができた。処置が遅れれば、命に関わるほど重症化していたという。

フジクラは、放置すれば命の危険が伴う高リスク従業員を漏らさず見つけ出すため、従業員の健康データを徹底して収集・分析している。人事・総務部 健康経営推進室の浅野健一郎副室長は「年1回の法定健診やメタボ検診のデータだけでは十分でない」と語る。健診には異状が現れない、"隠れ高リスク従業員"を見逃してしまうためだ。例えば血圧は、健診ではリラックスした環境で測定するため、職場より数値が低めに出ることがある。

フジクラの各事業所には血圧計や体組成計などをいつでも使えるよう設置してある。ID機能付き歩数計をかざすと測定データは健康管理システムに登録される。このシステムにより、フジクラ本体約3000人の従業員のうち5%がパニック値(緊急異常値)に当たる高血圧症者であることが判明した。

従業員の健康管理は経営リスク

「関越バス事故が一つの契機になった」。岐阜県に拠点を置くトラック運送大手、西濃運輸 人事部長の石井勇執行役員は語る。2012年4月、高速ツアーバスが関越自動車道を走行中、防音壁に衝突した。乗客7人が死亡、乗客乗員39人が重軽傷。原因は運転手の居眠りで、過労運転も疑われた。

トラック運送業界では一般に、法定の健診やアルコール検知を除けば、健康管理は運転手個人に任せている。だが業界こそ異なるものの、関越バス事故は、運転手の心身の異常が大きな事故リスク、ひいては経営リスクにつながることを見せつけた。

企業が運転手の健康管理に積極的に介入しないと、真の安全を保てないばかりか、企業経営そのものを揺るがしかねない。西濃運輸は2012年9月、一つの決断をした。発症が即事故につながる心臓疾患や脳疾患、睡眠時無呼吸症候群のリスクが高い運転手は、治療が終わるまで別の業務に強制的に配置替えするという決断だ。「西濃運輸には『安全は全てに優先する』という労使の共通認識があり、労働組合も了解してくれた」(石井氏)。

西濃運輸は全国の従業員の健診データを余さず収集・分析している。高血圧や高血糖、睡眠時無呼吸症候群の疑いがある従業員、約60人を抽出。再検査や治療を経て、2013年度は最終的に10人の運転手を配置転換した。

「健診を受けないと賞与減額」も

これまで、法定健診を除けば個人任せ、健康保険組合任せだった従業員の健康管理に、積極的に介入する企業が増えてきた。

こうした企業の多くは、トップが明確な経営理念の下で、リーダーシップを発揮している。2013年度から「健診を受けない従業員とその上司の賞与を減額」というユニークな取り組みを続けているローソン。その背景には、当時CEO(最高経営責任者)だった新浪剛史氏が、立て続けに従業員の葬儀に参列し、遺族の境遇に触れたことがあった。

従業員の健康管理は、経営者の理念や福利厚生という観点にとどまらず、数値化可能な経営リスクでもある。東京大学 政策ビジョン研究センター健康経営研究ユニットの尾形裕也特任教授は、「健康生産性管理(health and productivity management)の名称で、欧米では従業員の健康が経営に及ぼすリスクについて20年近く研究している」(尾形氏)。

図1 ある米金融機関の年間健康関連コスト

ある米金融機関の社内試算によれば、企業が直接的に支払う医療コスト費は4分の1にすぎず、短期、長期の病気欠勤に伴う企業の損失、さらには「プレゼンティーイズム」と呼ばれる、疾患による生産性低下の損失が4分の3を占めるという(図1)。尾形氏は複数の企業と組み、健診データや診療記録(レセプト)など複数の記録をもとに、プレゼンティーイズムを数値化するモデルの作成に取り組んでいる。

漏洩対策、内部統制、BCP(事業継続計画)…。これまで企業の情報システムは、企業を取り巻くあらゆるリスクを可視化し、軽減させる役割を担ってきた。だがその実、企業の根幹である人財を病気や事故で失うリスクについては、見過ごされてきた。

システム部門こそが主導すべし

健康管理は人事/総務や健保の専権事項――そう考えるのは早計だ。健康管理は、社内に散在するデータの統合、セキュリティーなどの面で、システム部門こそ前面に出るべき分野である(図2)。主な役割は三つ。

図2 健康管理システムに求められる機能と、必要な技術・サービス

一つは、散らばった健康データを集約し、使いやすい形で蓄積することだ。国内の大半の企業は、従業員の健康データをバラバラに保管しており、十分に生かし切れていない。例えば年1回の法定健診のデータは事業所単位で管理している。いわゆる「メタボ検診」や、病院を受診した際のレセプトデータは、健康保険組合の管轄。さらに従業員自身も血圧、血糖値、歩数といった日々のバイタルデータを自前で管理している。

これらのデータを従業員単位で一つのデータベース(DB)に集約するだけでも、健康データの使い勝手はグッと高まる。例えば、健診データと日々の血圧を比較することで隠れ高リスク従業員を見つけやすくなる。健診結果を基に産業医が病院への受診を勧めた際、産業医がレセプト情報を参照できれば「受診したかどうか」をモニタリングできる。

プライバシー保護は絶対条件

二つめの役割は、従業員のプライバシーを保護する措置だ。健康データを利活用する上で、従業員のプライバシーへの懸念を解消するのは絶対条件である。健保のレセプトや従業員のバイタルデータは機微情報であり、システムで扱うには同意を取り付ける必要がある。ただ、「精神科に相談した履歴が社内で閲覧可能になり、人事考課に影響するのではないか」といった疑念が生じれば、従業員はそう簡単に首を縦に振らないだろう。

具体的な対策としては(1)個別の健康データにアクセスできる権限を持つ人を産業医に限る、(2)健保が管理するレセプト情報はあいまいなデータに加工してから利用する、(3)人事システムと健康管理システムを切り離し後者には匿名IDを付与する、といった方法があり得る。

健康データの分析を外部企業に委託する際も、データのあいまい化や暗号化は不可欠だ。健保向けシステムを販売するユニバーサル・ビジネス・ソリューションズの高橋重幸代表取締役は「健保に対して『レセプトの生データをそのまま下さい』という分析業者もあるが、これは危ない」と証言する。従業員の機微情報に加え、家族の情報まで渡すことになるからだ。

三つめの役割は、健康に関わる社員の行動を変えることだ。いくら健康データを分析しても、社員の行動が変わらなければ意味はない。健康ビジネスに詳しい野村総合研究所 消費サービス・ヘルスケアコンサルティング部の田口健太主任コンサルタントは、この行動変容を促すことが最も難しいと指摘する。

「従業員のモチベーションを高める策を講じないと、リストバンドを付ける、血圧を書き込むなど、従業員に能動的に動いてもらうことが困難になる」(田口氏)。例えば歩数計の値をランキング表示して社員同士を競わせるなどの工夫が必要になる。

次回からは、実際に社員の健康管理に取り組む企業の事例を紹介していく。

(日経コンピュータ 浅川直輝)

[日経コンピュータ2014年10月30日号の記事を基に再構成]

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