ノーベル賞の原点は「親父の日曜大工」と中村氏の実兄

2014/10/10 15:50
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日経デジタルヘルス
 今回の「CEATEC JAPAN 2014」に医療用裸眼3Dモニターを出展したエフエーシステムエンジニアリング(FASE=「FASEの医療用裸眼3Dモニター、脳神経外科手術で利用 」参照)。松山市に本社を置く同社の創業者で、ブース説明員を自ら務める中村康則氏の弟は、CEATEC初日夜を境に"時の人"となった。2014年のノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏、その人である。康則氏は4人兄弟(男3人、女1人)の長男で、修二氏より2歳年上。幼少時の思い出や修二氏との現在の関係、LED(発光ダイオード)と医療分野の関わりなどについて、会場で話を聞いた。

中村修二氏の兄、エフエーシステムエンジニアリングの中村康則氏。出展ブースの前で

中村修二氏の兄、エフエーシステムエンジニアリングの中村康則氏。出展ブースの前で

毎年、ノーベル賞の時期になるとひそかに期待はしていたんですが、いつもダメで。今年も9割方ダメじゃないかと思っていました。

受賞を知ったのは、新聞記者の方からの電話を受けて。「修二さんのノーベル賞受賞、ご存じですか?」と言われて驚きました。発表があった(10月)7日夜は、CEATECの後に飲みにでも行こうかと思っていたのですが、取材攻勢でそれどころではなくなりました。

修二と電話で話ができたのは、その日の夜10時すぎです。向こうの時間だと朝の5時すぎでしょうか。それまでなかなか電話もつながらなくて。開口一番、「おめでとう」と言いました。「親父(故・友吉氏)が喜ぶな」と。会話はそれくらいです。向こうもすごくバタバタしている感じだったし、すぐに電話を切りました。

■電力会社の技術者だった父の"薫陶"

小さい頃は、兄弟げんかが絶えませんでした。でも修二はやっぱりよくできましたよ。特に算数が得意だった。親父との共通の思い出があるんです。親父がよく算数の文章問題を作って、兄弟でその回答を競わせた。修二はそういうのを夢中になってやって、後に文章読解力なんかにつながったと思います。

親父は四国電力に勤める技術者で、変電所の保守なんかを担当していました。日曜大工をしている姿が記憶に残っています。溶接とか配管とか、自分でやってしまうんですよね。修二もそういうのを覚えて。自分で手を動かしてモノを作ることが、苦にならない性分なんでしょうね。楽しんでやっている様子でした。

うちは4人兄弟の全員が理科系。これも親父の影響です。修二は電子工学で私はIT(情報技術)系と、選んだ分野は違いましたが。

■弟の専門分野からは距離を置こうとしたものの…

修二が(日亜化学工業に入社し)研究に没頭し始めたのは20代後半から。それでも、お袋が病んで身体が不自由になってからは、週に1度ほどは徳島から何時間もかけて(実家のある愛媛に)見舞いに来てました。いつも身なりなんかは全然気にしていない感じで。もう少しまともな格好をしろよ、なんて言ってました。

当時、修二がどんな研究をしているのか、詳しいことは知らなかった。ただ、何かすごいことをやっているんだということは伝わってきました。

その後、修二がLEDの世界でああいう存在になったので、私はあえてLEDが関わる分野とは距離を置いてきたんです。でも今や、LEDを使いこなさないと流れについていけない時代。うちの会社が力を入れている医療の世界でも、LEDは欠かせません。検査装置や照明、手術室のインフラなど、応用はとても幅広い。これからも医療の世界でLEDの活躍の場はますます広がっていくでしょう。

多忙な修二ですが、今でも年に1度は実家に戻ってきます。うどんとかラーメンとか。そんなものを好んで食べてますね。(談)

(日経デジタルヘルス 大下淳一)

[日経テクノロジーオンライン 2014年10月10日掲載]

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