兼任監督に立ちはだかる「壁」の正体

(1/3ページ)
2014/9/14 7:00
保存
共有
印刷
その他

谷繁元信プレーイングマネジャー(43)の下で戦う中日が低迷にあえいでいる。8月はセ・リーグのワーストタイ記録となる月間20敗を喫した。兼任監督で成功した例は野村克也さんらごくわずかだ。どこにその難しさがあるのか。

監督のユニホーム着用、義務でなく

本題に入る前に、数あるスポーツの中でどうして野球の監督だけが選手たちと同じユニホームを着てベンチ入りしているのか、皆さんはご存じだろうか。

野球の起源は1839年、ニューヨーク近郊、クーパーズタウンという町でアブナー・ダブルデー氏の考案により、始まったとされている。そのころは現在のように監督、コーチ、選手がそれぞれ専任だったわけではなく選手が監督やコーチを兼任していた。その名残で現在も監督やコーチがユニホームを着てベンチに入っているのだ。

過去にメジャーリーグではユニホームを着ず、私服で指揮を執ったコニー・マック氏という監督がいた。この人物は1934年、日本にも来ている。あの沢村栄治さんが静岡・草薙球場で伝説の快投を見せたときの米チームの監督でもあった。

実は現在でも公認野球規則において監督のユニホーム着用は義務付けられていない。コニー・マック氏のような変わり種監督が今後現れる可能性も残っているということだ。

さて、本題に戻ると南海時代の野村さんは35歳の70年から兼任監督となり、73年にはプレーオフを制し、リーグ優勝している。古くは同じく南海の鶴岡一人さんが46年から52年まで、7年の兼任シーズンで4度のリーグ優勝を果たしている。

相次ぐミーティングや対戦準備

それほどさかのぼらなければ兼任監督の成功例は見つからず、二足のわらじを履いて戦うことが、いかに難しいかがわかる。

特にデータ分析とミーティングに時間をかける現代野球では監督の仕事も格段に増えており、もはや「兼任」は近代野球においては物理的に無理なのではないか、と私は思う。

皆さんはあまりご存じないかもしれないが、今どきの選手、監督の1日は球場に来て練習し、試合が終わったらシャワーを浴びて帰る、という単純なサイクルではない。

監督の場合、球場入りしたらまず先乗りのスコアラーからの報告書をチェックする。その後、対戦投手の調子や自軍の選手の相性を考えコーチミーティングに入る。そこでコーチからの意見も聞きながら先発野手や打順を決める。

  • 1
  • 2
  • 3
  • 次へ

日経電子版が最長2月末まで無料!
初割は1/24締切!無料期間中の解約OK!

保存
共有
印刷
その他

プロ野球コラム

電子版トップ



[PR]