詰みゲー、千日手…人気女流棋士が語る当世将棋言葉
山口恵梨子女流初段

今春、白百合女子大学を卒業した山口女流初段。樋口一葉をはじめとする近代文学を学ぶ一方、2011年にこの連載「ことばオンライン」にも登場した山本真吾教授のもとで新語、特にネットスラングを研究した。卒論の題は「日常で使用される将棋用語の考察」。江戸時代に多く生まれた将棋由来の日常語は、現代でも新たな意味を帯びて変化しているという。
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■「詰んだ」のはどっち?
中学から10年間女子校に通ったんですけれど、6、7年前から「テスト詰んでる。もうダメだ」「終電詰んだ」とか「どうにもならない」という意味でクラスでよく聞いていたんですよ。「詰む」は将棋用語。「将棋の言葉を使うんだ」と思いました。しかも、なぜかいわゆる「ギャル系」の女の子が使っていましたね。
SNS(交流サイト)では、フェイスブックやブログよりもツイッターで使われていて、ネットスラングでもある「詰んだ」が最近、辞書(「三省堂国語辞典」第7版)に載ったと聞いて驚いています。
派生語の「詰みゲー」という言葉もよく耳にします。ラストまでたどり着けない難しいロールプレイングゲーム(RPG)のことを指し、動画サイトの「ゲーム実況」で自分が遊んでいるゲームへの「つぶやき」から生まれたようです。
この場合の「詰み」はゲームを詰ませるのではなく、自分が詰んでしまうことを意味しています。「こりゃ無理だ」と投了してしまう感じで、一般的な詰むの使い方と逆になっているのが面白いですね。
将棋用語の「持ち駒」は、相手の駒を取って自分の手持ちにすることです。日常語でも「自由に使える部下や手下」という意味で使われますが、最近では、就職活動で「選考に残っている企業」の意味で使われています。エントリーしている企業すべての選考に落ちたときに「持ち駒がなくなった」とか言うのです。
■戦後、存亡の危機に
世界中に将棋に類似するゲームがありますが、自分が取った駒を再利用できる「持ち駒」があるのは日本の「将棋」だけです。戦後、GHQ(連合国軍総司令部)が将棋を「戦争ゲーム」とみなして禁止しかけた時に、升田幸三先生(実力制第四代名人)が「(日本の)将棋では取った駒も敵味方の区別なく活用している。駒を取り捨てる(=殺す)チェスの方が問題だ」と抗議して、その話は立ち消えになったそうです。誰も死なないというのが将棋の一番いいところなんです。
■恋愛話にも応用

将棋用語で「穴熊」とは、すぐには詰まない最強の囲いを意味する守りの陣形です。これが恋愛の話題で「彼女が穴熊で困ってるんだよ」などと使われています。攻略困難という意味で、ブログやツイッターでも目にします。
「(女性が)穴熊で囲っていたのに棒銀(戦法)で攻められ寄せ切られた」といった例えの言い方もあります。「棒銀」というのは(銀将を棒のようにまっすぐ進めて攻める)シンプルで基本的な攻め筋なので、先ほどの用例は、「堅いガードにもかかわらず、彼の率直な思いに打たれて結婚した」という意味になるんでしょうね。
「一枚上手」という言葉の由来は、役者の看板の序列や相撲の番付という説もありますが、「上手」は棋力の優れた方の指し手を意味する将棋用語なので、「一枚上手」も将棋が語源だと思います。
将棋では上手がいくつか駒を落とす(外す)のがハンディです。働きが強力な駒である「飛車(ひしゃ)」か「角行(かくぎょう)」のどちらかを落とすことは一枚落ちなので、一枚上手はそこから来ているようです。両方落とすのは「二枚(飛車角)落ち」というので「一枚も二枚も上手」の「二枚」は相当な実力差ですね。ネットでは「(サッカー日本代表の)本田圭佑選手と長友佑都選手が欠場で二枚落ち。王将と飛車を欠く事態に」と書かれているのを見ました。でも、王将を落としたら将棋になりません(笑)。
■「高飛車」、イメージ向上で復権
日常語ではあまり良い意味では使われない将棋用語として、飛車を自陣の前方に高く進める「高飛車」があります。(敵陣の王将が最初に置かれる1段目から数えて)5段目から上で飛車を使う攻撃的な陣形は、飛車が逆に相手の攻撃の標的になるので良くないとされ、江戸時代の終わりに将棋では死語になりました。
ところが近年、高飛車の一種である「中座飛車(ちゅうざびしゃ・中座真七段創案)」という戦法が大流行したことなどから、「高飛車」のイメージが向上し、良い意味の将棋用語としてよみがえりました。羽生王座も対談でこの陣形を「高飛車」と呼んでいるそうです。
最近では「高飛車」は、富士急ハイランド(山梨県富士吉田市)が導入したジェットコースターの名前にもなっていますね。日常語でもいい意味が込められるようになってきたのでしょうか。
株や不動産の取引などで成功して急に大金持ちになった人を「成金」と呼びますが、失敗すると再び一文無しに戻るという意味も含まれています。最も弱い歩兵(ふひょう)は敵陣で「成」る(駒を裏返しにし、働きが強くなる)と「金(将)」に昇格しますが、相手に取られると歩に逆戻りすることからきています。
広い意味では銀将などが成っても成金と呼びますが、今の将棋では歩が成ったものは「と金」(「と」は「金のくずし字」)、銀が成ったものは「成銀」と区別しています。また伊豆地方(静岡県)では昭和の中ごろ、よく売れてお金を運んできてくれるサヤエンドウを「成金豆」と呼んだそうです。よく売れたのは一時期だけで、歩に戻ったそうですけど。
■ルール逸脱、あり得ない表現も

「逆王手」という言葉の使われ方も独特です。日常語では、例えば七番勝負で2勝3敗と「王手」された方が勝って3勝3敗と「王手」をかけ返すことを意味します。将棋では、王手をかけると同時に王手を防ぐ手を言います。
将棋のルール通りに日常語を考えると、勝つと同時に負けを減らして3勝2敗にできれば逆王手となるのでしょうが……、実際にはあり得ません(笑)。逆王手というとインパクトが強いので、使いたくなる気持ちはわかります。
「両取り」も日常語と将棋では少しニュアンスが違います。「保険金と生活保護費の両取りで逮捕」などと日常語では「両方取った」という意味で使われます。でも将棋では「次の手で片方は必ず取ることができる手」。取れるのはどちらか1つで、2つは同時に取れません。
将棋ではルールが大事ですが、日常語は感覚的なものを重んじるからなのでしょうね。日常語の「逆王手」も「両取り」もルールとは違っていますが、一般の方の会話の中で将棋用語を聞くのはうれしいです。
将棋では | 日常語では | |
穴熊 | 自陣の隅に王将を潜り込ませて金銀で守る強固な囲い | サッカーでゴール前に人を割いて守備を固めること。恋愛でガードが堅いこと |
千日手 | 同じ手順や局面の繰り返しで勝負がつかないこと | 事態が堂々巡りとなり、決着や解決へと向かわないこと |
歩の突き捨て | 盤上の歩を相手の歩の前に進めて相手に取らせること | 意中の異性にどんどんアタックすること |
将棋で使われている言葉には面白い表現がたくさんあるので、皆さんにも使ってもらいたいですね。例えば「千日手」。同じ手順や局面が繰り返されて勝負が付かないことですが、将棋界の日常会話ではこんなふうに使われています。「この前の恋の悩みはどうなった?」「もう打開できない。千日手だよ」
将棋用語で「歩の突き捨て」も会話に登場することがあるんですよ。意中の異性にどんどんアタックすることです。将棋では相手の陣形を乱すため歩を何枚か突き捨てて開戦します。何の読みもない突き捨ては単に歩を損して形勢を悪くするだけなので、「何も考えずにアタックしてひどく振られる」という意味でも使われています。
将棋とそこから生まれた日常語に親しんでもらうには、まずルールを知る人を増やしていくことが大事ですね。ですから、対局はもちろんですが、普及活動にも力を入れていきたいと思っています。
(聞き手は本多俊介)