健康のため譲れない眠り 「必要睡眠量」はどう測る
前回は睡眠時間も遺伝するという話をした。遺伝要因が強いことで知られる身長や知能などにはやや及ばないが、睡眠時間の長短もまたれっきとした体質の1つなのだ。ただし、睡眠時間のすべてが遺伝子の支配下にあるわけではない。私たちの睡眠時間は、基本的な生命活動を営むために必要なコア部分(必要睡眠量)と生活習慣や環境に影響される可変部分の二重構造からなり、遺伝的影響が大きいのは必要睡眠量だと説明した。
慢性的な睡眠不足は深刻な"現代病"だ

必要睡眠量は健康生活を維持するために欠かすことのできない睡眠の屋台骨であり、他の休養法では代償の効かない「譲れない眠り」である。睡眠不足の影響は甚大である。短期的には翌日の眠気や倦怠(けんたい)感、能率低下、交通事故などのヒューマンエラーの主要な原因となり、中長期的には生活習慣病やうつ病、認知症などのさまざまな疾病のリスクを高める。慢性的な睡眠不足は深刻な"現代病"と言えるのだ。
そのため、必要睡眠量の調節メカニズムは脳科学と医療の両面から大いに関心が寄せられてきた。自分の必要睡眠量を知ることは、何時間眠れば心身ともにリフレッシュされ、翌日に向けてフル充電されるのか知ることにつながるからだ。こころと体に優しい生活設計ができるはずである。しかし、睡眠時間の長さに関わる遺伝子探索を難しくしている技術上の課題があることも前回触れた。鍵となる必要睡眠量を測定するのが大変なのだ。
ドラえもんの四次元ポケットから取り出した睡眠時間判定機に「アナタノヒツヨウスイミンリョウハ5ジカンデス」「ジョギングヲシテモ6ジカンイジョウハムリデス」などとご託宣を受ければ諦めもつき、効くか分からない快眠グッズに小遣いを浪費せずに済むはずだが、いまだそのような小道具が登場したことはない。子供にウケそうもない地味なマシンなので致し方ないのだが。
ちなみにドラえもんの小道具には睡眠関係のものも多い。過去には、1錠のめば1時間で10時間分の睡眠が取れるようになる"睡眠圧縮剤"とか、予定を言いつけて目に貼ると眠りながら仕事をこなせるようになる"居眠りシール"などきわめて実用的なツールが登場している。それだけの科学力があれば、睡眠判定機など簡単に作れるだろうに……。しかし、そもそもそのような便利な道具があれば判定機も不要だと気付いた次第である。閑話休題。

必要睡眠量は普段の生活では割り出せない
本人にしっかりと日々の睡眠時間を記録してもらい、そのデータから必要睡眠量を割り出すことはできないのかというご質問を受けることが多いが、事はそう簡単に運ばない。残念ながら、現時点では在宅で記録した睡眠パターンから必要睡眠量を割り出す試みは成功していない。
普段の生活では、残業やレジャー、夜勤など社会的ニーズに合わせて恣意的に睡眠時間を延長・短縮できる。このような睡眠の冗長性が多様なライフスタイルを支えているわけだが、同時に必要睡眠量の推定を困難にさせている。
サッカーファンであれば、ブラジルでワールドカップが開催されていた時期のご自分の睡眠パターンを思い出していただきたい。睡眠記録が時期や環境によっていかに大きく影響されるか思い当たるはずである。あの1カ月とその後の1カ月、同一人物のものとは思えないほど睡眠パターンは異なっているはずである。こと、ブラジル人ともなれば躁(そう)から鬱(うつ)にスイッチしたような変貌ぶりであろう。また、照明や室温、湿度、ベッドパートナーの睡眠習慣などさまざまな要因の影響を受けて睡眠時間は変動する。
経験的な「満足できる睡眠時間」でもダメ
必要睡眠量を測定するにはこれらの"雑音"を取り除き、十分に長い期間(少なくとも1~2週間)にわたって自然発生的な睡眠時間を観察する必要がある。実験室で必要睡眠量を測定するときには、周囲からの刺激をシャットアウトした環境(隔離実験室)で毎日最低12時間消灯して眠れるだけ寝てもらう。日中の運動量も最低限に抑え、食事も標準必要摂取カロリーと栄養素量に調整にする。そのような生活を何日も続けていると、当初は睡眠不足のリバウンドにより長時間寝ていた人でも睡眠時間は徐々に短縮してくる。
普段の生活をしながら必要睡眠量を割り出せれば楽なのだが、これはミッション・インポッシブル。だって目覚ましにも、スマートフォンにも、子供にも、ペットにも、カーテンから差し込む朝日にも邪魔されずに寝たいだけ寝るなどという優雅な生活は、普通のサラリーマンや主婦には望むべくもないから。ましてやそれが1週間…。例えば私の場合、「3日間好きなだけ寝倒した」それすらいつであったか全く思い出せない。
経験的に感じている「私なりの満足できる睡眠時間」を答えてもらっても、たいがいは精密な測定結果からずれてしまう。睡眠不足後の爆睡体験など極端なイメージが邪魔をするからである。
必要睡眠量は週末にやりがちな寝だめよりも短いのが普通である。現代人の多くは蓄積した睡眠不足を抱えており、それを解消するには何日もかかる。週末2日程度の寝だめでは睡眠不足を完全に解消するのは難しい。えっ、2日で眠気はとれる? それは自覚的な眠気が消えただけであり、代謝やホルモン分泌への影響などは残存していることも明らかになっている。時間をかけてゆっくりと睡眠不足を解消しないと真の回復は得られないのだ。
小手先のテクニックで睡眠不足は補えない
多くの実験ボランティアで必要睡眠量を測定してみると面白い事実が見えてきた。例えば、20~30代の男性ボランティアを調査したところ、普段の睡眠時間には3時間程度の開きがあった。一方で彼らの必要睡眠量を調べて見るとその個人差は2時間。すなわち睡眠時間のばらつきの3分の2は必要睡眠量の差だった。残り3分の1(1時間)が環境要因によって生じていた。
一般的に睡眠時間の違いは環境の影響が大きいと思われてきたが、実際には必要睡眠量の役割が大きいことが分かったのだ。睡眠遺伝子たちよ、結構頑張っているではないか。体が求める睡眠時間に大きく逆らって生活することは難しい。小手先のテクニックで睡眠不足を補うことはできないのだ。
もう少し踏み込んで、睡眠時間の長短に関わる具体的なメカニズムとは何であろうか。幾つかの有力な神経伝達物質の遺伝子多型が睡眠時間に関連していたとか、ある種の時計遺伝子の突然変異を有していると短時間睡眠になるとか、ユニークな研究結果が報告されているがいまだ解明の道のりは遠い。ただ間違いなく言えるのは、細胞、ホルモン、自律神経、代謝など多岐にわたる生体機能が総動員されて睡眠時間は決定されており、各パーツの機能の違いが積み重なって睡眠時間の大きな個人差が形作られているという点だ。
ここでは一例だけ挙げよう。睡眠に深く関わるホルモンである副腎皮質ホルモン・コルチゾールや成長ホルモンを一卵性双生児で測定してみると、一見して分泌パターンが非常に似ていることが分かる(下図)。顔だけではなくホルモン分泌までソックリとは、実に遺伝子の力を感じるではないか。では二卵性双生児ではどうか。遺伝子の共有度は兄弟と同じなのでそれなりに似ているものの、一卵性双生児に比べて細かい違いが目立つ。この違いの1つひとつが睡眠時間の個人差につながっているのだ。

長時間睡眠が必要な人はそれだけでハンディがある
冒頭で慢性的な睡眠不足は深刻な"現代病"だと申し上げた。「睡眠不足は自己責任であって病気じゃないだろう」「自己管理がなっておらんからだ」などという反論もあろうかと思うが、いやいや、必ずしもそう一方的に断ずることはできない。
多忙な現代社会では、体質的に長時間睡眠が必要な人はそれだけである種のハンディキャップを背負っていると言えまいか。同じ分量の仕事や家事をこなし、同じ就床時間を確保しても、必要睡眠量が長いが故に十分な疲労回復ができず心身の不調に陥っている人がいれば、それは立派な"生活習慣病患者"である。遺伝的に糖尿病リスクを抱えている人が周囲と同じ食習慣を守っていても発症してしまうのと何の違いがあろうか。前者は精神力で克服できますか。
かように睡眠時間というのは気合いだけでは御しがたい"体質"なのである。当初の予想よりも小さいとは言え、必要睡眠量2時間の開きがもたらすインパクトは大きい。1時間通勤の往復分、映画なら丸々一本、麻雀なら半チャン2回はこなせる時間だ。
今回解説したように、必要睡眠量の個人差がどのようなメカニズムで生じるのかその詳細は明らかになっていない。しかしこれまでの研究から、少なくともその一部は私たちの祖先が自然淘汰をくぐり抜けるために採った生き残り戦略に関連していることが明らかになっているらしい。その戦略は睡眠の長さや深さ、そして加齢変化にも関係し、また快眠スキルのヒントにもなっているのだ。これは次回のテーマとしたい。

1963年、秋田県生まれ。医学博士。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所精神生理研究部部長。1987年、秋田大学医学部医学科卒業。同大精神科学講座講師、同助教授、2002年米国バージニア大学時間生物学研究センター研究員、米国スタンフォード大学医学部睡眠研究センター客員准教授を経て、2006年6月より現職。日本睡眠学会理事、日本時間生物学会理事、日本生物学的精神医学会評議員、JAXAの宇宙医学研究シナリオワーキンググループ委員なども務めている。これまで睡眠薬の臨床試験ガイドライン、同適正使用と休薬ガイドライン、睡眠障害の病態研究などに関する厚生労働省研究班の主任研究者を歴任。『8時間睡眠のウソ。日本人の眠り、8つの新常識』(川端裕人氏と共著、日経BP社)、『睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン』(編著、じほう)などの著書がある。
[Webナショジオ 2014年8月7日付の記事を基に再構成]