松下洸平 歌詞の世界と自分をリンクさせるのが難しい
松下洸平インタビュー(上)
朝の連続テレビ小説『スカーレット』(2019年度後期放送)で、戸田恵梨香が演じる主人公・喜美子のパートナー・八郎を誠実に演じ切り、一躍注目を集めた松下洸平。内からにじみ出る静かな存在感を示すことができたのは、長年舞台の上で磨いてきた確かな演技力の賜物だろう。

09年にブロードウェイミュージカル『GLORY DAYS』で初舞台を踏んで以来、八郎そのままの生真面目さで俳優業に打ち込んできた。18年、舞台『母と暮せば』で文化庁芸術祭・演劇部門新人賞。同作とミュージカル『スリル・ミー』で第26回読売演劇大賞の優秀男優賞と杉村春子賞を同時受賞。その演技力は折り紙付きだ。
最近は、バラエティにも進出。今年1月から『ぐるぐるナインティナイン』(日本テレビ系)の人気コーナー『ゴチになります!』にレギュラーとして参戦。ちゃめっ気たっぷりで親しみやすい一面を見せている。もともと画家を目指していただけあって画才もあり、雑誌『ダ・ヴィンチ』ではイラストとエッセーを連載。なんとも多才な人物だ。
そんな全方位でパーフェクトな活躍を見せる彼に、音楽家の顔が加わる。これまでも楽曲制作やライブなどを地道に続けてきたが、8月25日に『つよがり』でシンガーソングライター・松下洸平としてメジャーデビューした。表題曲は、松尾潔がプロデュースと作詞を手掛けた、愛しながらも宿命にあらがえない男が心の中で泣くように切なく歌うラブソングだ。
34歳になった今だから歌える歌
「松尾さんが手掛けたCHEMISTRYやEXILE、JUJUさんなどの曲を聴いて泣かされた世代なので、書いていただけると分かったときはうれしかったですね。ただ、誰かが書いた詞を歌ってレコーディングした経験がなく、曲を最初にいただいたときは歌詞の世界と自分をリンクさせるのがすごく難しいなと感じました。
ヒントになったのは、松尾さんが『今の松下洸平にしか歌えない曲を作った』』と言ってくださったこと。34歳という年齢や、このキャリアだから歌える歌なんだと思うと、余計な肩の力が抜けて等身大で歌える気がしてきたんです。松尾さんの作る大人な世界観や、いい意味での未練がましさが色気になっていると感じたので、今の僕が歌うことで出るセクシーさが表現できればと思いながらレコーディングしました。
松尾さんのディレクションは、うまく歌うためというより、感情にフォーカスしたものが多かったように感じました。ストーリーがしっかり見えるように、1番は少し抑えて歌い、感情のマックスはDメロのラスト『あなたのこと/愛する資格はない』という歌詞に持ってきてはどうだろう、などと起承転結をしっかりと作るイメージを共有していただいて。
『つよがり』というワードの歌い方1つをとっても、どう歌うのが1番ぐっとくるか、レコーディングしながら絶妙なラインを探っていきました。言葉通りに強く歌いすぎると『かえって感情が見えにくくなるかもしれないね』とアドバイスをいただいたり。逆に抑え目に歌ったときは『強がってるね。いいよ、いいよ。泣けるよ』と褒めていただきました(笑)」
カップリングの2曲は、作詞作曲も松下自身が手掛けた。「縛られた今を/脱ぎ捨ててみようよ」「今夜は全て忘れなよ」と、心を解き放つように歌いかける軽快なアップチューン『STEP!』。「どれくらい会ってないかな(中略)君の住む街が今/隣の国みたいに遠いな」と歌い出す『みんなが見てる空』は、会いたくても会えない切ない距離感を埋めるように語りかける。
この2曲は、今年の1月から3月にかけて開催した「KOUHEI MATSUSHITA LIVE TOUR 2021 HEART to HEART」ですでに披露している。俳優として多忙を極めるなか、その合間を縫って制作した楽曲に、松下はどのような思いを込めたのだろうか。

「今はピアノを弾きながら作ったメロディーを基に、自宅のPCで『こんなイメージにしたい』というのを人に伝えられるくらいまでアレンジしたデモ音源を作ることが多いですね。そのデモをアレンジャーさんなどに聴いていただいて、さらに話し合いながら曲をブラッシュアップしていくんです。今回の2曲もそうやって作りました。
『STEP!』は、僕がこれから音楽活動を本格的に行う上で、ライブで確実に盛り上がれる曲が欲しくて作ったものです。舞台をやっていて思うのは、こういうご時勢ですが、ライブの楽しさって同じ空間、時間を共有できることだなと。お客さんと僕の思いが重なる、最大限に一緒にいることを楽しめる曲にしたくて、作っているときはライブで楽しんでくれているお客さんの姿を思い浮かべながら書きましたね。
年始のツアーは、アーティストとしての松下洸平をお披露目するみたいな意味合いがあったので、当然ながら『STEP!』を聴いたことがあるお客さんはほぼいませんでした。それでも曲が始まると、声が出せないという制限のなかで、その代わりに一生懸命に手を挙げてくださった。『ああ、僕が見たかった景色はこれだな』と思ったし、これで声が出せるようになったら最高だなって。いつか来るその日まで、この曲をとても大切にしたいと思いました。
『みんなが見てる空』は、昨年の自粛期間中に作りました。あの時期、人に会えなかったから生まれた曲ではあるけれど、その時のことを歌に込めるというよりは、もっと大きな曲にしたいと思っていました。
『今は会えないけど頑張ろう』という感覚は、コロナが収束したらいつしか消えてしまうと思うんですよ。そうではなく、ずっと愛してもらえる曲にしたいと思ったし、10年後や20年後に聴いたとしても、大切な人を思い浮かべて『ああ、会いたいな』と思えるような曲にしたかった。
なので、歌詞を書くときは『ベランダから見える空』や『カーテン揺らした風』といった、日常にある、風景が浮かぶような言葉を意識して選びました。夢を持って上京して故郷の家族にしばらくは会えない人や、離れて暮らす友人、大事なパートナーなどを思い浮かべていただけたらうれしいですね」
挫折となった1度目のデビュー
松下の手掛けた2曲は、いい意味で華美な装飾を排したポップスで、誰が聴いてもすっと耳になじむタイプの楽曲だ。このシンプルなポップスを作ることは一見簡単そうだが、奥が深く一朝一夕では難しい。それを可能にしたのは、長年の蓄積だ。
彼は08年に洸平という名義でデビューした経歴を持つ。2枚のシングルでリリースはストップしたが、その後もシンガーへの思いは諦めず、制作を続けてきた。1度目のデビュー時は、「自分の行くべき方向性が定まらず迷ってばかりいた」と振り返る。
「トントン拍子にデビューが決まったこともあって、いざデビューをしてからは、音楽性も含めすごく迷っていましたね。好きな音楽ははっきりしていたし、大きなステージで歌うという理想像は鮮明でした。だけど、そこに到達するにはどんな楽曲が必要で、どんなパフォーマンスが最適なのかはイメージできていなかったんですよね。
年齢的にも、20歳、21歳でしたから、歌詞も自分のことばかりで(笑)。そういう曲があってもいいと思いますが、そのことばかり考えていた気がします。いざ表現する側になったとき、何が求められているんだろうかと深く考える余裕が当時の僕にはなかったんでしょうね。技術面でも、思うように声が出せないとか、自分の中でバランスが取れないジレンマを抱えて悔しい気持ちがありました」
松下がシンガーソングライターを志したのは、10代の時にたまたま見た映画『天使にラブ・ソングを2』がきっかけだという。この話は、彼のファンの間では知られているが、画家である母の背中を見て育ち、自らもアートの道を進もうと心に決めていた少年が一夜にして心変わりしたというのだから、よほどの衝撃だったに違いない。
「芸術の道を志していましたが、音楽はずっと身近にありましたね。中学ではダンスをやっていたので、R&B/ヒップホップは特によく聴いていました。ビヨンセがいたデスティニーズ・チャイルドやアッシャーがすごく盛り上がっていたし、そのあと少ししてクリス・ブラウンもデビューして。今、レジェンドと呼ばれる人たちがシーンを席捲していたときで、音楽的に影響を受けました。
それとは別に、親が好きだった玉置浩二さんやサザンオールスターズなどのJ‐POPや、スティングやエリック・クラプトンなど長く愛される洋楽も家ではよく流れていました。それら全てが僕の音楽的な素地を作ったと思っています。
そういう環境で育ったので、ゴスペル音楽をメインにした『天使にラブ・ソングを2』を見たことも、17歳の僕にとっては特別なことではなかったんですが、映画を見る前の日までは、美術の仕事がしたくてその夢だけを追いかけていたのに、スクリーンで楽し気に歌っている人たちを見たら感動して、不覚にも涙が出ました。そして、『こんなふうに気持ちよく歌えたら楽しいだろうな』『自分もやってみたい!』と強く思ってしまった。それまで人前で歌ったことはなかったし、楽器も弾けないのに、歌手になるんだと心に決めてしまいました(笑)。
翌日、母に思いを伝えたら、『いきなりそんなことを言うなんて、何があったの?』とすごく驚かれました。当然ですよね。きっと母は、僕が同じ道を選んだことを密かに喜んでいたとも思うので、『なりたいと言ってなれる職業ではない』『考え直したらどうか』と何度も衝突しました。
それでも、僕の意思は固く、高校卒業後は音楽の専門学校に通うことにしました。専門学校に通う前までは、歌手になるという夢は僕だけのもので、1人でいろいろと想像を巡らせているだけでした。でも、学校には同じ目標を持つ人、音楽を共有し夢を語り合える仲間がたくさんいた。
今思うと、それが僕にとってすごく大切なことだったんだなと。仲間と一緒に夜な夜な練習したり、路上ライブではアカペラで歌ったりしました。友達と一緒に深夜のクラブに出演したこともありましたね(笑)。そうした経験の全てが大切な財産ですし、なにより『今、僕は歌っているんだ!』という実感が得られた。とにかく楽しかったですね」
※後編「この気持ちを曲で残せたらとの思い途切れず」でも、引き続き音楽への思いを聞く。

(ライター 橘川有子)
[日経エンタテインメント! 2021年9月号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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