テレビ事業惨敗招いた「垂直統合」と「自前主義」
電子立国は、なぜ凋落したか(3)

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2014/8/7 7:00
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日経テクノロジーオンライン
 日本の電子産業の衰退に歯止めがかからない。特に凋落を一般社会に印象づけたのは、2012年におけるテレビ事業の極度の不振だ。テレビの内需と生産は2010年にピークに達したが、2011年と2012年には壊滅的に急減した。元・日経エレクトロニクス編集長で技術ジャーナリストの西村吉雄氏が、政策・経済のマクロ動向、産業史、電子技術の変遷などの多面的な視点で、電子立国の凋落の真相を解き明かしていく連載「電子立国は、なぜ凋落したか」。第3回は、高精細で薄型のテレビ開発の歴史、テレビを取り巻く環境変化、そして日本企業のテレビ事業の行く末などを検証する。

日本のテレビ業界は伝統的に、画質追求に熱心である。カラーテレビの次のテレビとして、日本では1964年に、「高品位テレビ」の技術開発がスタートした。これが後に「ハイビジョン」と呼ばれる。開発の主体はNHK(日本放送協会)である。

テレビ放送というメディアを前提に、映像品質の優れたテレビを開発しようというプロジェクトだった。1991年から試験放送が始まり、1994年には実用化試験放送となる。家庭向けハイビジョン・テレビの販売も始まった。これらの実績を基に、日本はハイビジョンを高精細テレビの国際標準にしようとする活動を始めた。

■ハイビジョンをめぐるアナログ・デジタル論争

ところがハイビジョンをめぐってアナログ・デジタル論争が起こる。それは「より美しいテレビ」か「より多様なサービス」か、についての日米論争でもあった。サービスを多様化するためにデジタル方式への転換が先にあり、画質をどうするかは後の話、というのが米国の主張である。

米MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボのニコラス・ネグロポンテ所長(当時)は、こう問いかける。「あなたはテレビを見ていて、画像の解像度や画面の形、あるいは動きの滑らかさ、こういったことに不満を言うことがありますか。多分そうじゃないでしょう。不満はプログラムの内容のほうですよね」。

日本側(日本電子機械工業会、現・電子情報技術産業協会)はこう反論した。「ハイビジョンもデジタル技術なのです。伝送方式がアナログだというだけの違いです。世界中で実現したのは日本だけなのです。米国は、ハイビジョンが将来のテレビのデファクト・スタンダード(事実上の業界標準)となることに抵抗があるのです」。

この論争から、テレビ放送のデジタル化の議論が本格化する。結果的に日本では、テレビ放送のデジタル化が、ハイビジョン方式の実用化と連動して実施された。また薄型で大画面のテレビへの移行とデジタル化が、同時期に進行した。そのため、日本の放送テレビ画面は美しい。

サービスの多様化、特にチャンネル数増加には、衛星放送が貢献した。日本で衛星による本放送が始まったのは1989年である。2000年からはデジタル衛星放送も始まる。

■若年層のリアルタイム視聴離れ

地上デジタル放送への政策的取り組みが活発になったのは1996年ごろからである。そこには、先に触れたハイビジョンをめぐるアナログ・デジタル論争が影を落としている。また同時期に、インターネットの民間利用が広まり始めていた。テレビ動画をインターネットで配信する可能性が出てきたのである。

もちろん当時の一般的なインターネット環境は、高画質のテレビ動画配信に堪えられるレベルではない。けれどもそれは時間の問題である。どうせデジタル化するなら、インターネットとの親和性を極力担保する形のデジタル化にすべし、との主張に説得力が出てきていた。その背景には、電話やラジオが結局はインターネットに取り込まれていく実績があった。

実は筆者は、1998年に次のような文章を書いた。「確かなことが一つある。インフラストラクチャーは、どんなメディアであれ、コンピューター・ネットワークになることである。既存のテレビも電話も、まだ見ぬ将来のメディア・サービスも、コンピューター・ネットワークをインフラストラクチャーとして供される」。

私のこの予言は、テレビ放送のデジタル化では、残念ながら実現しなかった。しかし、なしくずし的にじわじわと実現しつつあるとも言える。

実際、若年層はテレビ放送を、リアルタイムではあまり見ていない。さまざまな形でインターネットに配信された番組を、後で見ていることが多い。テレビ放送(地上放送、ケーブルテレビ、衛星放送)は、死滅に向かっていると予測する専門家もいる。

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