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テレビ事業惨敗招いた「垂直統合」と「自前主義」

電子立国は、なぜ凋落したか(3)

日経テクノロジーオンライン
日本の電子産業の衰退に歯止めがかからない。特に凋落を一般社会に印象づけたのは、2012年におけるテレビ事業の極度の不振だ。テレビの内需と生産は2010年にピークに達したが、2011年と2012年には壊滅的に急減した。元・日経エレクトロニクス編集長で技術ジャーナリストの西村吉雄氏が、政策・経済のマクロ動向、産業史、電子技術の変遷などの多面的な視点で、電子立国の凋落の真相を解き明かしていく連載「電子立国は、なぜ凋落したか」。第3回は、高精細で薄型のテレビ開発の歴史、テレビを取り巻く環境変化、そして日本企業のテレビ事業の行く末などを検証する。

日本のテレビ業界は伝統的に、画質追求に熱心である。カラーテレビの次のテレビとして、日本では1964年に、「高品位テレビ」の技術開発がスタートした。これが後に「ハイビジョン」と呼ばれる。開発の主体はNHK(日本放送協会)である。

テレビ放送というメディアを前提に、映像品質の優れたテレビを開発しようというプロジェクトだった。1991年から試験放送が始まり、1994年には実用化試験放送となる。家庭向けハイビジョン・テレビの販売も始まった。これらの実績を基に、日本はハイビジョンを高精細テレビの国際標準にしようとする活動を始めた。

ハイビジョンをめぐるアナログ・デジタル論争

ところがハイビジョンをめぐってアナログ・デジタル論争が起こる。それは「より美しいテレビ」か「より多様なサービス」か、についての日米論争でもあった。サービスを多様化するためにデジタル方式への転換が先にあり、画質をどうするかは後の話、というのが米国の主張である。

米MIT(マサチューセッツ工科大学)メディアラボのニコラス・ネグロポンテ所長(当時)は、こう問いかける。「あなたはテレビを見ていて、画像の解像度や画面の形、あるいは動きの滑らかさ、こういったことに不満を言うことがありますか。多分そうじゃないでしょう。不満はプログラムの内容のほうですよね」。

日本側(日本電子機械工業会、現・電子情報技術産業協会)はこう反論した。「ハイビジョンもデジタル技術なのです。伝送方式がアナログだというだけの違いです。世界中で実現したのは日本だけなのです。米国は、ハイビジョンが将来のテレビのデファクト・スタンダード(事実上の業界標準)となることに抵抗があるのです」。

この論争から、テレビ放送のデジタル化の議論が本格化する。結果的に日本では、テレビ放送のデジタル化が、ハイビジョン方式の実用化と連動して実施された。また薄型で大画面のテレビへの移行とデジタル化が、同時期に進行した。そのため、日本の放送テレビ画面は美しい。

サービスの多様化、特にチャンネル数増加には、衛星放送が貢献した。日本で衛星による本放送が始まったのは1989年である。2000年からはデジタル衛星放送も始まる。

若年層のリアルタイム視聴離れ

地上デジタル放送への政策的取り組みが活発になったのは1996年ごろからである。そこには、先に触れたハイビジョンをめぐるアナログ・デジタル論争が影を落としている。また同時期に、インターネットの民間利用が広まり始めていた。テレビ動画をインターネットで配信する可能性が出てきたのである。

もちろん当時の一般的なインターネット環境は、高画質のテレビ動画配信に堪えられるレベルではない。けれどもそれは時間の問題である。どうせデジタル化するなら、インターネットとの親和性を極力担保する形のデジタル化にすべし、との主張に説得力が出てきていた。その背景には、電話やラジオが結局はインターネットに取り込まれていく実績があった。

実は筆者は、1998年に次のような文章を書いた。「確かなことが一つある。インフラストラクチャーは、どんなメディアであれ、コンピューター・ネットワークになることである。既存のテレビも電話も、まだ見ぬ将来のメディア・サービスも、コンピューター・ネットワークをインフラストラクチャーとして供される」。

私のこの予言は、テレビ放送のデジタル化では、残念ながら実現しなかった。しかし、なしくずし的にじわじわと実現しつつあるとも言える。

実際、若年層はテレビ放送を、リアルタイムではあまり見ていない。さまざまな形でインターネットに配信された番組を、後で見ていることが多い。テレビ放送(地上放送、ケーブルテレビ、衛星放送)は、死滅に向かっていると予測する専門家もいる。

既存放送局を温存

テレビ放送のデジタル化は、インターネットとテレビの関係をはじめ、テレビ放送の事業構造の見直しの契機になり得たはずである。しかしこれらの見直しはなく、既存アナログ放送事業者が、そのままデジタル放送の事業者となった。つまり既存放送事業者の「既得権」は温存された。

この事実が象徴しているように、放送業界はインターネットを嫌い続ける。通信と放送の区別を極力維持しようとする。テレビ動画のインターネット配信を例外的にしか認めず、ラジオ放送さえ、国際的なインターネット・ラジオの流れとは異なる特徴のサービスになっている。

しかし現実には、インターネットの放送へのなしくずし的進出を止められなくなってきた。ユーチューブやニコニコ動画などの動画配信サービスは、もはや「テレビ放送」である。すでに生中継も、ひんぱんに行われている。

インターネットとの整合性を嫌う業界は、つまるところイノベーションが嫌いだということだろう。イノベーションを嫌って、産業を発展させることは難しい。

薄型テレビは米国で開発が先行

テレビ放送のデジタル化が進んだ時期は、薄型テレビの開発が最終段階となった時期でもあった。デジタル放送を見るためのテレビは、事実上、大画面の薄型テレビとなる。

実は欧米企業の方が、早くから「壁掛けテレビ」の開発に取り組んでいた。米RCAは液晶ディスプレー開発を1960年代から始めている。対外的に発表したのは1968年である。同社は白黒テレビ、カラーテレビを開発した企業だ。

液晶ディスプレー開発に当たって、最初から壁掛けテレビを意識していた。ゴールとして壁掛けテレビを設定し、それを実現するための技術として、RCAは液晶を選ぶ。ゴール設定も、技術選択も、正しかった。しかし、液晶壁掛けテレビを実現する前に、会社そのものがなくなってしまう。

薄型テレビ開発における日本の貢献は大きい。日本企業、たとえばシャープは、電卓・時計から始め、日本語ワープロ、ノート・パソコン、デスクトップ・パソコンのモニターという時間順序で液晶応用製品を展開する。そして最終的に大画面の薄型カラーテレビを実現する。これらを可能にするための技術も、対応して時間順序で進化した。この時間順序を経た技術進歩と製品展開の全過程、これを自ら開発して推進したのは日本企業である。

薄型テレビの実用化が始まった時点では、液晶、プラズマ、投写型などが競っていた。しかしやがて、ほとんどのサイズを液晶が支配するようになる。

米国で台頭したファブレスのメーカー

図1 ファブレスで急成長した米ビジオのホームページ

日本のテレビ・メーカーが我が世の春を謳歌した期間は短い。韓国や台湾の企業が、じきに液晶パネルを生産するようになる。このとき同時に、薄型テレビにおいても水平分業が進んだ。

たとえば米ビジオ(VIZIO)である。同社は韓国サムスン電子と、米国テレビ市場で1、2位を争う。その意味でビジオは大手テレビ・メーカーだ(図1)。

しかし全くのファブレス企業(製造工場を持たない企業)である。同社は液晶テレビの企画と設計だけを行う。従業員は、従来のテレビ・メーカーに比べて極めて少ない。台湾の鴻海精密工業(通称フォックスコン)や瑞軒科技(アムトラン・テクノロジー)に多くの業務を委託しており、非常に進化した水平分業を実現している。ビジオのテレビは、米国市場では「安くてよい製品」との評価を得ている。

テレビの水平分業は、設計と製造の分業の一例である。1980年代後半から、世界の電子産業では、この設計と製造の分業が、いろいろな製品分野で進んだ。しかし日本企業は一般に、この分業を嫌い、「垂直統合」と「自前主義」に固執した。これが日本の電子産業が衰退した原因の一つと私は考えている。

韓国企業や台湾企業の短期間でのキャッチアップや、テレビ事業の水平分業、これらを可能にしたのはデジタル化である。デジタル化はモジュール間のインタフェースを標準化し、擦り合わせの必要な箇所を少なくする。テレビもまた、パソコンと同様のモジュラー製品に近づいていった。「画質向上よりデジタル化を優先すべし」との米国の主張は、少なくとも結果的に、日本製テレビの国際競争力を低下させるのに貢献したことになる。

日本のテレビ事業の行く末

日本企業のテレビ事業はどこへ向かうのか。パネルを外販する部品メーカーとして生き残る。これが一つの解だろう。テレビ・メーカーとして消費者に向き合うのではなく、パネル・メーカーとして、テレビ・メーカーやEMS(電子機器の製造受託サービス)企業を相手にする。

実際、日本の電子産業全体が部品供給者としての性格を強めている。テレビ事業でも部品供給者として生き残りを図るのは、日本の電子産業の現況に照らせば、理にかなっている。

シャープはこの方向に向かっているように見える。実際、シャープの堺工場は「堺ディスプレイプロダクト株式会社」によって、パネル外販企業として運営されている。なお同社には、鴻海精密工業の董事長・郭台銘氏が個人として、資本の半分近くを出資した。

シャープは米アップルにスマートフォン(スマホ)向け中小型液晶パネルを供給している。また米クアルコムから約100億円の出資を受け、次世代液晶パネルの共同開発をすると発表した。

さらに韓国サムスン電子から100億円の出資も受けると発表、テレビやスマホ向けパネルの同社への供給を拡大する。テレビ・メーカーから液晶パネル・メーカーへ、この道をシャープは歩み始めているように見える。

ディスプレー製造か、ファブレスか

現在のテレビ放送がこのまま存続するかどうか、メディアの観点からは定かではない。先に触れたように、テレビ放送は死滅に向かうという意見もある。インターネットとの関係の再構築は不可避だろう。しかしディスプレーが不要になることはない。その意味で、ディスプレー・パネル・メーカーとして生き残りを図るのは、一つの選択肢に違いない。ただし自社テレビへのパネル供給より、外販を優先する覚悟がいる。

他方、ディスプレー・パネルを外部から調達しながら、テレビ・メーカーとして存続している日本企業がある。その先には、ビジオのようなファブレスのテレビ・メーカーになる選択肢もある。

先にも触れたように日本にとって、テレビは国内で作って売るものではなく、外国から輸入するものになりつつある(図2)。これ自身は、嘆くほどのことではない。どこの国でもテレビを見ているが、テレビを作っている国はわずかだ。米国でさえ、もう長いこと、テレビは外国から買うものだった。

図2 テレビの生産、輸出入、内需の2011年の年初からの月次推移(資料: 経済産業省機械統計、財務省貿易統計)

その米国に、ビジオのようなテレビ・メーカーが復活した。ただしメーカーとはいえ、ハードウエア製造に従事しているわけではない。

図3 売り場の目立つところに4Kテレビが並ぶ(東京・豊島のビックカメラ池袋本店)

製造しているのは、外国のEMSの工場である。ビジオ・ブランドのテレビは、貿易統計上は外国から米国への輸入となる。日本のテレビ事業の将来にとって、参考になるビジネスモデルの一つだろう。

4Kテレビに五輪特需の追い風吹くか

日本のテレビ業界は伝統的に、画質追求に熱心である。デジタル化が完了したら、すぐに4K(フルHDの4倍の3840×2160画素)テレビの商品化に動きだした(図3)。

2020年の東京五輪が高画質テレビへの追い風となる。業界は、これを期待している。実現したとしても、またしても日本国内限定の短期「特需」ではあるが…。

[日経テクノロジーオンライン2014年1月9日付の記事を基に再構成]
西村 吉雄(にしむら・よしお) 技術ジャーナリスト 1942年生まれ。1971年、東京工業大学大学院博士課程修了、工学博士。東京工業大学大学院に在学中の1967~1968年、仏モンペリエ大学固体電子工学研究センターに留学。1971年、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社。1979~1990年、『日経エレクトロニクス』編集長。その後、同社で発行人、編集委員などを務める。2002年、東京大学大学院工学系研究科教授。2003年に同大学を定年退官後、東京工業大学監事、早稲田大学大学院政治学研究科客員教授などを歴任。現在はフリーランスの技術ジャーナリスト。著書に『硅石器時代の技術と文明』『半導体産業のゆくえ』『産学連携』『電子情報通信と産業』など。
[参考]日経BP社は2014年7月14日、電子書籍「電子立国は、なぜ凋落したか」を発行した。かつては世界を席巻し、自動車と並ぶ外貨の稼ぎ頭だった日本の電子産業の凋落ぶりがすさまじい。その真相を、元日経エレクトロニクス編集長で技術ジャーナリストの西村吉雄氏が、多面的な視点で解き明かす。

電子立国は、なぜ凋落したか

著者:西村 吉雄
出版:日経BP社
価格:1,944円(税込み)

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