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改進党結党が招く吉田・重光対決

講和発効まで(81)

日米外交60年の瞬間 特別編集委員・伊奈久喜

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安倍晋三首相の父で、1980年代に外相をつとめた安倍晋太郎氏は、宰相の座をつかみかけた場にいながら、病気のために涙をのんだ悲劇の政治家である。

外相時代、安倍は「外交は即内政、内政は即外交」としばしば語っていた。いまこの物語が扱っている1952年2月の日本を安倍は毎日新聞政治部記者として見ていた。ちなみにこの時、次男晋三はまだ生まれていない。

4カ月遅れた「重光総裁」

1951年
  12月24日
吉田首相がダレスに台湾の国民政府との講和を確約(「吉田書簡」)
1952年
   1月18日
韓国、李承晩ラインを設定
   2月15日第1次日韓正式会談始まる
   2月28日日米行政協定に署名
   4月28日対日講和条約、日米安全保障条約発効、日華平和条約署名(8月5日発効)
1953年
   1月20日
アイゼンハワーが米大統領に就任。ダレスが国務長官に
   10月2日池田勇人自由党政調会長が訪米。池田・ロバートソン会談
  12月24日奄美群島返還の日米協定署名(25日発効)

「外交は即内政、内政は即外交...

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