パリで「干物沼」にダイブ アジを干して知る奥深さ

ボンジュール! パリ在住ライターのユイじょりがお届けする「食の豆知識」。今回のテーマは、ごはんのお供に酒のさかなにと、日本の食生活に欠かせない魚の干物(ひもの)だ。
冒頭の写真は、ベランダがないパリの自宅の窓際で、筆者が魚のアジを干している様子である。
筆者は新型コロナウイルス禍における厳しい外出制限の中、日本への望郷の念にかられ、「なければつくればいいのよ」の精神で日本の味を自作することに並々ならぬ情熱を注いでいる。アジを干す前はイカの一夜干しやエイヒレなど、フランスで手に入らない日本の「珍味」と呼ばれるものたちを自作することに成功した。

自作珍味に続いて挑戦したのが、冒頭のアジの干物。そう、日本の皆さん、干物は普通に誰でもつくれる。マルシェ(市場)での偶然の出会いがきっかけで始まったひものづくり。その一連の流れをご覧にいれよう。
フランスでは、野菜、肉、魚、チーズなどの新鮮な食材が並ぶマルシェが、日常生活に深く浸透し、フランス人の胃袋を満たしている。東京23区の6分の1程度の面積しかないパリ市内だけで、約80ものマルシェが存在するそうだ。

筆者の住む近所でも月曜日以外、どこかしらでマルシェが開催されている。
とある日、いつものように買い出しに向かうと、マルシェの鮮魚店の軒先で出合ったのが、「Chinchard(アジ)」だ。近所のほかのマルシェの鮮魚店では見かけたことがない。

青魚に目がない筆者。店主に色々と尋ねてみると、このアジはスペイン・ポルトガル沿岸の大西洋で獲られたのだという。アジに出会えた喜びを伝え、とっさに「日本では刺し身や干物にして食べるのだ」と写真を見せてみた。
すると店主は驚いた様子を見せつつ、「基本、このあたり(パリのあるフランス内陸部)ではアジは食されないから、アジの刺し身や干物を見かけないのだろう。ただ、ポルトガル系や地中海沿岸出身の人はアジをよく食べるから、買っていくよ」と教えてくれた。
なるほど、アジはヨーロッパでも海に近い場所では食されているのだなと思いながら、大きめのものを2枚購入し、帰途につく。

さてこのアジ。刺し身にして食べたいのは山々だが、アニサキスや食中毒の危険もある。ではどうするか。干せばいいのだ!
Web上で検索してみると、アジの干物の作り方はとてもシンプル。内臓を取り除き洗った後、塩水に1時間程度つけたものを半日以上干すだけのようだ。これならば、生魚の匂いをめっぽう嫌う仏人配偶者の帰宅前に干し終わり、証拠隠滅することができるはず。ふふふ。
早速、アジの下処理という名のオペに取り掛かろう。気分は失敗しない女、ドクターXだ。開く過程はグロテスクなので割愛するが、無事にアジを開くことができた。よく洗い、塩水に1時間ほどつけたら、水気をよく拭き取ってザルの上にのせる。

パリの気候は年中乾燥しているため、アジは半日で表面が乾いた。一晩冷蔵庫に入れておき、翌日の昼、自作アジの干物定食をひとり満喫することにめでたく成功したのである。

窓際で気持ちよさそうに日光浴をするアジの姿を眺めながら、ふと思った。私はなぜ、こんなにも干物を欲するのだろうか。そういえばフランスでもタラの塩漬けなどはよく見るのだが、アジをはじめとした魚の干物のようなものは、見かけたことがない。好奇心がたきつけられてきた……。
日本人と干物の深くて長い関係
日本の干物についてもっと深く知りたい! 早速、「干物沼」にダイブすることにした。

そもそも「干物」とは、腐りやすい魚介類に塩を振り、干して乾燥させることで魚に含まれる水分量を減らす。その結果、水分中で活動する細菌などの微生物が活動できなくなる(=腐りにくくなる)ため保存性を高めることができる、という先人の知恵の産物だ。
農林水産省のホームページによれば、古くは奈良時代、宮廷への献上品としても使われたそうだ。江戸時代に入り、江戸や大阪などの大都市周辺の漁村でアジやイワシ、タコ、イカなどの干物づくりが行われるようになり、一般庶民にも広がったのだという。
水産加工統計(2019年、農林水産省発行)によると、日本における「塩干物」の生産量は1位がホッケ(約26%)、2位がアジ(約18%)、3位がサバ(約16%)である。
中でも、春から夏に旬を迎えるのが、筆者がパリでも干したアジだ。調べてみると、日本のアジの干物の生産量の約4割を占めている都市があった。それが、静岡県沼津市だ。
沼津市産業振興部水産海浜課の坂本一樹さんによると、沼津市はもともと、駿河湾や伊豆近海から新鮮なアジが水揚げされることに加えて、干物加工に必要な湧水(富士山の雪解け水)が豊富。低い湿度、少ない雨量、強い西風という気候条件に恵まれ、さらに東京に近いという地の利もあって、古くからアジの開きの名産として知られてきたという。

沼津では、江戸時代の明和5年(1768年)にアジの「ひらき」という言葉が使われていたのが確認されている。職人の知識や経験が脈々と引き継がれた結果、「干物といえば沼津」と、地域ブランドとしてその地位を確立することとなった。沼津市のふるさと納税の返礼品としても好評を博しているほか、こんな取り組みもしている。
「非公式ではありますが、7月1日の沼津市の市制記念日に合わせて、『沼津ひものの会』が『沼津ひものデー』とし、ひものの販売会や無料配布などを行っています」(坂本さん)という。

さらに干物について掘り下げていたところ、「骨を取るのが面倒」という干物の概念を根底から覆す、ユニークな製品を発見した。干物加工に重要な良質の水を得るために四国最高峰・石鎚山のふもとに本社・工場をかまえるキシモト(愛媛県東温市)が販売する、骨まで食べられる干物「まるとっと」だ。

宇宙食になったアジの干物
この「まるとっと」誕生のきっかけについて、常務取締役の岸本智臣さんが語ってくれた。
「2009年に松山市の聖カタリナ大学の学生さんが高齢者介護施設を訪問した際、『昔のような尾頭付きのお魚が食べてみたい』という入所者から相談を受けたのがはじまりでした。魚の骨は取るのに時間がかかり、更に喉に刺さるリスクもあり、施設側でなかなか食事として出せなかったのです」。
そこで、愛媛県産業技術研究所がもつ「魚の骨を軟化する技術」を用いて、「骨まで食べられる干物」を製品化するプロジェクトが開始。日本人の魚離れを払拭したいと強く願う同社もこの企画に大いに賛同し、共に開発にのりだした。

幾多の困難を経て誕生した「まるとっと」は、常温で90日、冷蔵で180日もつ。また、骨まで食べられるので、生のアジと比較して約40倍、アジの干物と比較すると約20倍ものカルシウムを摂取できる特徴があるという。
一般ではインターネット販売のほか、東京都内では、新橋にある愛媛・香川のアンテナショップ「香川・愛媛せとうち旬彩館」で購入が可能である。
さらに驚くべきことに、干物は地上から宇宙空間にもはばたいていた! それが「まるとっと」に更なる改良を加えた商品、「スペースまるとっと」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙日本食に、干物として初めて認証され、20年12月7日には物資用のロケットで宇宙に上がったのだという。

「宇宙食」に改良するきっかけとなったのは、会社訪問に来た男子高校生からの問いかけに岸本専務が語った、「小さい頃から憧れだったロケットで、まるとっとを宇宙に飛ばしたい」という夢だった。宇宙食としての認証を得るため、実験で使われたアジは年間1万匹。地上よりもはるかに速いスピードで骨量が減少するといわれる無重力の宇宙空間で、カルシウムに富むアジは宇宙飛行士の強い味方になっているはずだ。
パリのマルシェで出会ったアジを干物にしてみたことで初めて知った、干物の味わい深き世界。まさか宇宙にまで飛び立っていたとは! 日本への帰国がかなった際は、伝統食でありながら進化をし続ける干物に思いをはせ、「本場」でゆっくり味わいたいものだ。
(パリ在住ライター ユイじょり)
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