三浦しをん デビューからずっとチャレンジを繰り返す
おはだ~、もっちもっち、もちゆ~。『風が強く吹いている』や『舟を編む』などで知られる人気作家・三浦しをんの最新作は、「妙に明るい男女混声と、間延びしたテンポ」のテーマソングが流れる「餅湯温泉駅前商店街」が舞台。主人公は県立餅湯高校2年、穂積怜。土産物屋を営む母親と2人暮らしで、干物店の息子と、喫茶店の息子は気心の知れた幼なじみ。住宅街育ちの野生児と、旅館の跡取り息子も加わり、わちゃわちゃした日々が描かれていく。

「商店街を舞台にした明るい話を、ということで始まった連載でした。それなら温泉街はどうかな、と考え始めて、温泉……美肌の湯……モチモチ……餅湯! と思いつき、よし、いけると(笑)。私はたいてい、架空の街を設定するとき、地図を描いてみるんです。今回も、"山側と海側で街の景色が違うような温泉地"で、"一見さんも来るそれなりの規模の街"、だとしたら"がっかり名所"は必要でしょ、と、ノートを前に手を動かしながらイメージを固めていきました。そこがどんな場所か、は、登場人物の習性や習慣にも関わってくることなので、大切にしています」
顔なじみに囲まれた、ぬるくて、緩慢な町。「まあこんなもんだろう」と思いながら日々を過ごす怜はしかし、とある複雑な家庭の事情に悩んでもいる。そのことが怜という人間の根っこを支え、同時に、悶々とさせるわけだが、だからと言って「訳ありの少年が周囲の愛情に育まれて思春期の葛藤を乗り越える」みたいなことでまとめられる話でもないところが、三浦しをんワールドの魅力なのである。
王道"じゃない"物語を
「今回は、怜だけでなく、彼の周りにいる1人ひとりについて、『いったいどういう人なのかな』と、すごく考えて書きました。些細な日常のエピソードや、その時に生じたちょっとした気持ちも想像し、それを、怜の視点を通して感じられるようにと」
身内や仲間はもちろん、ほんの少し登場するだけの近所のおじちゃんおばちゃん、学校の先生まで、その人となりが目に浮かぶ。すべての人にそれぞれの人生があって、それが交錯しながら日常が紡がれていくことが、愛しくてたまらない。
「歌でも小説でも、創作物って、どうしても"夢に向かって頑張ろう"系になりがちなんですよ。そのほうが作りやすいから。物語の構造の"王道"ですよね。でも、現実でまで、『みんなで力を合わせて盛り上がっていこう!』みたいなのが、私ホントに嫌で(笑)。『知らんがな』という気持ちが、どうしても捨て難い。『怖い』とも思うんです。『夢はなんですか? それに向かってどう努力していますか?』って詰め寄るの、ホントやめてほしい(笑)。それだけがすべてじゃないだろう、って気がずっとしているんですよね」
箱根駅伝をテーマにした『風が強く吹いている』では王道パターンで書き切った。それは「自分史上最高にうまくいった」。だからこそ、同じようなものを描こうとは「絶っっっ対に思わない」。
「パターンに乗っからないで、そこからなんとかずらして、楽しく読んでもらえるものを書いていきたい。王道"じゃない"物語のありようって、絶対あるはずなんですよね。そういうことを、毎回ちまちまと考えては、こうして、ああしてと、機会があるごとに試しています。自己満足かもしれないし、担当編集の方にとっては、『予想と違うものが焼き上がった! オーブン壊れてるんじゃないの!?』ってこともあるかもしれませんが(笑)、デビュー作からずっと、チャレンジを繰り返しています」
こうして、「湯の街=エレジー」じゃない物語は生まれた。これまでも、今回も、これからも、小説家・三浦しをんは、読者を「絶っっっ対に」楽しませてくれるのだ。

(ライター 剣持亜弥)
[日経エンタテインメント! 2021年6月号の記事を再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。