メキシコで今も現役 フォルクスワーゲン・ビートル

かわいい見た目でちょっとヒッピー、誰にでもすぐに見分けられるフォルクスワーゲン・ビートル。総生産台数は2100万台を超え、ドイツ語で「国民車」という意味の社名にふさわしく、まさに大衆車として世界中で愛された。
今では、タイプ1と呼ばれるビートル(2003年まで生産)を路上で見かけることはほぼなくなった。代わりに現れたのは、スリムで安全、かつクリーンな燃料で走る自動車だ。こうした車には、キーレスエントリーからバックカメラ、ブルートゥースまで、今や必須とされる機能が満載されている。ビートルは絶滅危惧種となり、博物館やビンテージオートショー以外では見ることができなくなってしまった。

だが、メキシコではそうではない。初めてこの国を訪れた旅行者は必ずと言っていいほど、坂道の多いバジェ・デ・ブラボやクエルナバカなどの町中を元気に上り下りするビートルに目を留めるはずだ。「観光地でよく見かけます」と語るのは、ビートル・ファンの英国の俳優ユアン・マクレガー氏だ。「オープンカーに改造されたものも多いです。チェーンソーで屋根を切り取ってしまうんですよ」
大気汚染に関する規制が厳しい首都のメキシコシティでは古い車はほぼ走れなったものの、ラグニージャのように労働者が多く住む地域では今も、古い自動車がガレージから顔をのぞかせている。一方、流行の先端を行く地域では、19世紀のバロック建築の前に、修理されてピカピカに磨かれたビートルが駐車され、インスタグラムの写真に収まっていたりする。
メキシコでは、年間を通してビートル・フェスティバルやレース、その他コアなファンが集まるイベントが開かれる。全盛期と比べると数は大きく減少したものの、ドイツ生まれの勇ましいビートルが、メキシコで長い間愛され続けている証だ。
小さくても頑丈、愛称は「ヴォチョ」
「メキシコへ行くといつも、サファリで珍しい動物を見ているような気分になります。他の国では、もうほとんど見かけなくなりましたから」と話すのは、ビートルの歴史について書かれた本「Thinking Small(小さく考える)」の著者で、ベルリンに住むアンドレア・ヒオット氏だ。
「もちろん、博物館に行けば見られます。ドイツのヴォルフスブルクには、フォルクスワーゲンの博物館がありますしね。でも今では買おうとすると非常に高価ですし、ビートルを所有している人も、ほとんど運転することはありません。けれど、ビートルは運転するために作られたんです。小さいけれど頑丈で、ビートル自身は外を走りたがっています。ですから、メキシコで、特に大都市ではない場所でまだ現役で活躍するビートルを見ると、うれしくなります」
安価で実用的だったビートルは、個人のオーナーだけでなく、メキシコシティのタクシー運転手にも人気だった。あまりにも至る所を走っていたので、メキシコ映画やドラマには付き物になった。

メキシコで、ビートルは「ヴォチョ」という愛称で親しまれている。「ヴォチョを、メキシコの文化と切り離すことはできません。20世紀後半には、通りを歩いてビートルを目にしない日はありませんでした」と、メキシコシティで建築物のツアー会社を経営するニコラス・カイレンス氏は話す。カイレンス氏は、ビートルやワーゲンバスを修理して、市内の建築物案内ツアーに使っている。
以前は米国に暮らしつつメキシコをたびたび訪れていたカイレンス氏は、2008年の金融危機の後、とうとうメキシコへ移住した。そこで古いビートルを購入して、修理した。その後も2台目、3台目、4台目と、次々に購入したものの、どれも気に入って手放せなくなったカイレンス氏は、ビートルへの情熱と、芸術や建築への愛を合体させて、「トラベリング・ビートル」というツアー会社を立ち上げた。
メキシコシティに住むエンリケ・ワンツケ氏はかつて、メキシコで最も古いビートルを所有していた。アボカド色の1950年式で、後部の窓が真ん中でふたつに分かれているスプリットウインドー型と呼ばれるタイプだった。「ビートルは、ガレージに住む家族の一員です」と語るワンツケ氏は、ラテンアメリカでも有名なフォルクスワーゲンのビンテージショー「トレッフェン」の開催に関わっている。「多くの人に愛され、どこの国へ行っても愛称がつけられています。ブラジルでは『フスカ』、エクアドルでは『ピチリロ』、コロンビアでは『プルガ』、ペルーでは『サピート』。そしてここメキシコでは、誰もが『ヴォチョ』に夢中です」
ビートルの幅広い人気の秘密は、その独特の外見にある。「見た人々を笑顔にさせる何かが、この車にはあるんです」と、カイレンス氏。「時代を超越したデザインでしょうか。攻撃性を感じさせない丸みを帯びた形、明るい色、そしておそらくは小型であること」。マクレガー氏も、「感じのいい、幸せの形をしているんです。とても不思議なんですが、機械である以上に、魂があるというか。そう、魂を持っているんだと思います」という。
なぜメキシコでこれほど人気なのか
ナチス・ドイツで生まれ、戦後ドイツを占領した英国の手によって復活し、1960年代には米国のヒッピーの間で人気が高まったビートル。だが、なぜその「余生」をメキシコで過ごすことになったのだろうか。

「この自動車は非常に頑丈で長持ちします。空冷エンジンなので、冷却水は一切必要ありません。いつまでも走り続けられます」と、ヒオット氏は言う。
カイレンス氏も、「10年以上ビートルを修理しながら乗っていますが、一度もレッカー車を呼んだことはありません。芝刈り機を少し複雑にしたくらいの構造だから、修理するのに専門的な知識もいりません。町から離れた土地に住んでいても扱いやすい、信頼できる車なんです」と話す。
ビートルが初めてメキシコへやってきたのは、1954年のこと。展示用として、メキシコ湾に面したベラクルスの港へ到着した。するとあっという間に人気に火が付き、1964年には、プエブラにドイツ国外で最大のフォルクスワーゲン製造工場が建設されるまでになった。1973年には、メキシコで販売された自動車のうち3分の1をビートルが占めていた。
やがて安全基準が厳しくなり、日本車に市場シェアを奪われ、1978年にドイツ本国での製造が終了した後も、プエブラ工場は25年にわたって旧型のビートルを作り続けた。それが2003年に終了した後も、工場では第2世代、第3世代のビートルが製造された。そして2019年、マリアッチバンドの演奏とともに最後の新車を組立ラインから送り出した後、ついにビートルの製造に幕が下ろされた。その頃には、タクシーとして活躍していた第1世代のヴォチョは、ほとんどが廃車になっていた。
「メキシコの歴史の象徴」
だが、これまでの歴史からわかるように、メキシコでヴォチョ文化が終焉(しゅうえん)を告げるのは、まだ先のことになりそうだ。「地方の町ではまだタクシーとして使われていますし、農場では農耕馬のように働いています」と、カイレンス氏。「人々は突然気づくんです。自分の家のガレージに眠っているのは、メキシコの歴史の象徴ではないかと。そしてさらにたくさんの人が、それを修理して使えるようにする。このようにして、多くの古いビートルが復活しています」
マクレガー氏は、車の未来は電気自動車にあると考えている。そこで、1954年のビートルを完全な電気自動車に改造した。「中身は完全に変わってしまいましたが、外から見ただけではわかりません。ところが、運転してみると音が全くしないのです。通りかかった人は、びっくりしますよ」
人を笑顔にするのは、そのデザインだけではない。ヒオット氏は次のように話す。「ビートルは100年近くもの間、人々の生活に密接に関わってきました。路上を走るビートルは、まるでタイムカプセルのようです。その光景は人々の記憶を呼び覚まし、このような機会でもなければ語られることのなかった物語が語られる。だからこそ、こうしたモノには存在価値があるのです」
(文 NORIE QUINTOS、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年5月5日付の記事を再構成]
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