ブラックホール新画像 強い磁場の存在を可視化

地球から5500万光年の彼方(かなた)にある巨大銀河「M87」の中心に、太陽の65億倍の質量をもつブラックホールがある。ドーナツのようなその画像は2019年に発表され、大きな話題となった。電波望遠鏡のネットワーク「イベント・ホライズン・テレスコープ(EHT:事象の地平線望遠鏡)」を利用し、科学者らが初めて撮影に成功したブラックホールの画像だ。
今回、この国際研究チームがほかのパートナーたちとともに、M87銀河を複数の波長で同時に観測した成果を発表した。21年4月14日付で学術誌「アストロフィジカル・ジャーナル・レターズ」に論文が掲載された。
論文は、17年に行われた多波長観測をまとめたもの。地上と宇宙の19の電波望遠鏡のデータが使われ、執筆には750人以上の科学者が名を連ねた。論文は、超大質量ブラックホールとそこから噴き上がる巨大ジェットについて詳しく描いている。これにより科学者たちは、ブラックホールの周囲で磁場や粒子や重力や放射線がどのように相互作用しているかを詳細に検討できるようになった。
「ここには物理学のすべてがあります」と、カナダ、マギル大学のダリル・ハガード氏は語る。「軌道が見えてきています。私たちはブラックホールのすぐ近くを見て、このエキゾチックな環境を探っているところです」
オランダ、アムステルダム大学のセラ・マーコフ氏は、この論文について、「EHTをほかの研究者と結びつける論文の一つであり、EHTの意図を明確にするものです」と言う。「個人的には、すべてはここから始まると感じています」
EHTチームは現在12日間の重要な観測を行っている。技術的な問題や新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)により、18年以来の観測となる。観測にはグリーンランドの施設を含む3基の新しい望遠鏡が新たに加わり、天候が良ければ、幅広い電磁スペクトルで空をスキャンする予定だ。
SF世界から現実世界へ
極端な物理的性質をもち、入ったら二度と出てこられないブラックホールは、100年以上前から人々の関心を集めてきた。近年、EHTによる画像や、銀河系の中心部にある超大質量ブラックホールのまわりを高速で運動する天体の研究(この研究にはノーベル物理学賞が贈られた)や、ブラックホールどうしの衝突の観測から得られる豊富な情報などにより、ブラックホールの姿はよりはっきりとしてきた。
「ここ数年で、ブラックホールはSF世界の存在から現実世界の存在になりました」と、フランス、パリ天体物理学研究所のマルタ・ボロンテリ氏は語る。
EHTは、グリーンランドから南極まで世界各地の電波望遠鏡を組み合わせることで、地球規模の天文台として機能させている。M87の超大質量ブラックホールの画像を作成するためには、膨大な量のデータを組み合わせる必要があった。実際、データの量が多すぎてデータをデジタル転送することができず、ハードディスクを郵送しなければならなかったほどである。
19年4月に最初の画像が公開されたとき、科学者たちは、ブラックホールが100年前の理論の予測とほぼ同じ形をしていたことに驚愕(きょうがく)した。
M87の画像は、アインシュタインが1915年に発表した一般相対性理論を検証する機会となった。一般相対性理論では、私たちが感じている重力は、物質が時空の構造を湾曲させるときに現れるとされている。M87の中心部のまわりは極端な重力と磁場と粒子が入り乱れているため、一般相対性理論に挑戦するのに最適な場所の一つである。
「科学者は皆、既存の理論を破ろうとしています。理論のほころびを見つけられれば、多くのことを学べるからです」とハガード氏は語る。「私たちはモデルを壊すのが大好きです。けれども、一般相対性理論を破ることにはまだ成功していません」
EHTが公開したブラックホールの画像は、みるみるうちに世間に浸透していった。なかでも特に活発に議論されたのは、どの食べ物に似ているかということだった。「ベーグルとドーナツのどちらに似ていると思いますか?」とボロンテリ氏は言う。
この論争は、21年3月、オランダ、ラドバウド大学のモニカ・モシチブロツカ氏らがオリジナルの画像を更新したことで決着がついた。ブラックホールはクルーラー(生地をねじって作る、溝のあるドーナツ)に似ていた。新しい画像では、元のリングの上にブラックホールの磁場の構造が重ねられている。モシチブロツカ氏らは、ブラックホールのまわりの極限的な物理的条件をより詳細に解き明かすために、磁力線をたどる荷電粒子を調べた。
謎を解く鍵
論文にもある通り、多波長観測は「おいしそうな」ブラックホールの画像をさらに詳細に見せてくれる。
科学者らは、複数の観測結果を組み合わせることで、M87の中心部からジェットが噴出する物理現象が明らかになると期待している。ジェットはM87自体に匹敵するほどの大きさで、長さは数千光年にもなる。
太陽系に飛び込んでくる宇宙線(宇宙からやってくる非常に高エネルギーの粒子)は、このようなジェットに由来しているのではないかと、科学者らは考えている。地球の大気に衝突する高エネルギー粒子の中には、銀河系の中で発生したとは思えないような猛スピードで飛んでくるものもある。
「主な疑問の一つは、こうした高エネルギー粒子はどこから来るのかということです」と、マーコフ氏は言う。「ブラックホールのジェットはどのようにして発生するのでしょうか? 中には何があるのでしょうか? ジェットに由来すると思われる高エネルギー宇宙線は、どのようにして加速されているのでしょうか? これらの疑問は、EHTだけでは解決できません」
新たな観測により、電波からガンマ線まで、あらゆる波長の光を放つジェットの理解が深まり、最終的には、本当にジェットが地球上の最大級の粒子加速器でも達成できないような速さで宇宙空間に物質を放出しているのかどうかも明らかになると期待されている。
また、ジェットの構造をより正確に把握することで、M87のブラックホールの自転速度や向きなど、謎に包まれた特性も明らかにすることができるだろう。これらの測定結果は、超大質量ブラックホールがどのようにして成長したのか、つまり、過去10億年の間に、ほかの超大質量ブラックホールとの衝突があったのか、周囲のガスを食べたてきたのかなど、どのように質量を増やしてきたかを知るための手がかりも与えてくれる。
「ブラックホールがどのように質量を増やしてきたかは、質量ではなく自転を調べるほうがよくわかるのです」と、ボロンテリ氏は言う。
EHTともう一つのブラックホール
EHTチームは、地球から最も近いところにある超大質量ブラックホールの観測も行っている。銀河系の中心部にある「いて座A*(いてざエースター)」だ。いて座A*の質量は太陽の約400万倍で、M87のブラックホールに比べると小さいが、地球からの距離はわずか2万5600光年と非常に近い。
とはいえ、銀河系の超大質量ブラックホールは、M87のブラックホールに比べて気まぐれだ。このブラックホールは、物質をのみ込む際に頻繁にげっぷをしたり燃え上がったりしており、一晩に何度も激しい爆発を起こすこともある。こうした変動は、画像化に手間取る原因の一つとなっている。
「観測の観点からは、多くの課題があります」とハガード氏は言う。「常に変化しているものを、どうすれば安定した画像にできるのかということです」
難しい課題だが、いて座A*の画像が得られる日はそう遠くない。大量の観測データが得られれば、銀河の中心部に潜み、観測可能な宇宙の中で最も極端な現象を生み出している謎めいた天体の解明に大きく近づくことができるだろう。
(文 NADIA DRAKE、訳 三枝小夜子、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年4月19日付の記事を再構成]
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