火星、ヘリの偉業 地球なら高度3万メートルでの飛行

史上初めて、火星の平原からヘリコプターが飛び立った。米国時間2021年4月19日、米航空宇宙局(NASA)の小型ヘリコプター「インジェニュイティ」は、地面から約3メートル上昇し、ホバリングした後、赤いほこりを巻き上げながらゆっくりと着陸した。飛行時間は約40秒だったが、技術的には非常に大胆かつ画期的な成功となった。
「多くの人が火星で飛ぶことは不可能だと思っていました」と NASAジェット推進研究所(JPL)のインジェニュイティ・プロジェクト・マネージャーを務めるミミ・アウン氏は言う。「大気がとても薄いのです」
火星探査の空白を埋める
火星でヘリコプターを飛ばすのは恐ろしく難しい。火星には、地球でいえば高度3万メートルの大気に相当する薄い大気しかないためだ。これまでに地球でヘリコプターが到達した最高高度は、1972年にフランス人操縦士がマルセイユの北西にある空軍基地で飛行した1万2440メートルだ。
「私たちJPLは、あえて壮大なことに挑むのです」。JPLの公式モットーを引用して、アウン氏はコメントした。
インジェニュイティは背丈がわずか50センチの小型ヘリだが、NASAはいずれさらに大きなヘリコプターを使って、火星を新たな視点から調査する計画を描いている。火星を周回する探査機は、全球的な視点から惑星の構造や地質学的特徴をつかみ、一方で地表の着陸機や探査車は、鉱物や岩石層を間近で観察し、惑星の歴史をひも解く手がかりを探す。
これにヘリコプターが加われば、周回機よりも詳細に、クレーターや渓谷、山の全体的な調査が可能になると、スミソニアン航空宇宙博物館の惑星科学探査学芸員のマット・シンデル氏は言う。また、岩壁や火山の斜面など、探査車が到達できない場所へも近づくことができる。
「周回機の視点と地上の視点との間にある空白を埋め、火星を地域単位でさらに詳しく観察できるようになるでしょう」
NASAのスティーブ・ユルチク長官代理は、将来的に「地平線の向こうを調査して、探査機の進行方向を事前に計画したり、火星の有人探査が可能になれば、宇宙飛行士のために事前探査をするという使い方もできます」と話す。
薄い大気に厳寒の夜
NASAの探査車パーシビアランスは、2月18日に火星に着陸した後、インジェニュイティを地表へ降ろした。探査車は現在、ヘリコプターの試験飛行の連絡中継点になっている。
希薄な大気のなかで、ローターを使用してヘリコプターの飛行を制御するのは難しい。センサーの不具合が生じたり、突風が吹くなど、何らかの問題が発生すれば、ヘリコプターは地面に激突する。
火星でヘリコプターを飛ばすという案は1990年代から検討されてきたが、そこから地球の真空室での試験飛行を成功させるまで約20年がかかった。バッテリーの効率化、コンピューターの小型化、ローターに使う軽量素材の開発など、技術の進歩を待たなければならなかったのだ。
インジェニュイティは、直径1.2メートルのローターを毎分2500回転で高速回転させる。空中で機体を安定させるために、自動運転車用に開発された技術を使って、ローターを瞬時に自律制御する必要がある。
地上で休んでいる間も、インジェニュイティはセ氏マイナス90度まで下がる火星の夜を乗り切る必要がある。特別に調節された小さな太陽光パネルでバッテリーを充電し、ヘリのモーターや、夜間に機体を温めるヒーターを動かす。
飛行再開の準備が整ったら、NASAのチームは火星時間の午後半ばにインジェニュイティを飛ばす予定だ。この時間であれば、ヘリコプターの太陽光パネルは飛行前と飛行後に充電する時間が取れるため、夜間の暖房用の電力を確保できる。
また、NASAはパーシビアランス搭載の機器で突風を観測し、飛行に最適な時間を決定する。
インジェニュイティのチーフエンジニアを務めるボブ・バララム氏は、初飛行前の最新報告で、「インジェニュイティは、風をシミュレーションしたり、JPLの実験室にある巨大な『風の壁』で試験を実施しています。しかし、火星で起こりうるすべての状況のなかで試験することは不可能です」と解説している。
インジェニュイティには、その歴史的な意義を示す印として、切手大の布が搭載されている。ライト兄弟が、1903年に初の動力飛行に成功した「ライト・フライヤー」に使用された布を切り取ったものだ。その飛行時間は、わずか12秒だった。

「ライト兄弟は私のモチベーションです」と、アウン氏は言う。彼らの初飛行が成功するまで、「多くの人が部分的な試験や、部分的な成功を見てきました。理論的予測や分析に基づいた予測、なかには哲学的な予測を立てた人もいたでしょう。けれどどこかで、とにかくやってみようという勇気が必要になるのです」
次ページでも、偉業を成し遂げた火星ヘリが撮影した貴重な機影の写真や、探査車パーシビアランスが撮影した写真などをご覧いただこう。






(文 JAY BENNETT、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック 2021年4月20日付の記事を再構成]
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