脳が痛みを記憶する ケガが治っても消えない不思議
愛知医科大学 学際的痛みセンター長 牛田享宏(2)

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痛みとは、感覚・情動体験である。
愛知医科大学・学際的痛みセンターの牛田享宏教授は、まずそのように教えてくれた。
今回はそこを出発点にしつつも、もう少し「痛み」にまつわる総論を聞いた上で、興味深い示唆を与えてくれる症例や関連する研究に進もう。
まずは、ゴリゴリのメカニズム論から。
「神経の末梢には、侵害受容器、つまり、痛みを起こす刺激、熱の刺激ですとか、機械刺激ですとか、化学物質による刺激などの受容器があります。そして、そこからのシグナルは、脊髄の後角(こうかく)というところから脊髄に入り、脊髄視床路(ししょうろ)というのをさくさく上がっていって、脳の視床に入っていくわけです。その中でも脳の外側に行くシグナルは感覚、つまり痛いという感覚にかかわり、内側に行くシグナルは、情動として痛みを経験することにつながっていくんです」
細かいことを考えるときりがないものの、ここでは神経伝達の段階からすでに感覚と情動にかかわるルートが特定されていることに注目しておきたい。
「痛みで苦しむ患者さんは、感覚よりも情動のほうで苦しんでいるのは間違いないんです。例えばある人に蹴られて痛いっていっても、蹴った人が好きな人であればうれしいということすらあるわけですから。その場合は、痛いって思っても、苦しんでないですよね」
そんなふうに牛田さんは、飄々とした口調で、またも含蓄深いことを述べるのだった。
なお、脊髄後角から脳に至るシグナルの伝達については、痛みを伝えるだけでなく、その抑制につながる仕組みも備わっている(「ゲートコントロール理論」や「下降性疼痛抑制システム」など)。大きな交通事故にあった人たちが、「その瞬間は痛くなかったが、あとになって痛みがひどくなった」というような体験を語るのをよく聞くけれど、生死に関係するような強烈な衝撃が加わったときに痛みを感じないというのは本当に不思議なことだ。しかし、痛み刺激の伝達は、脊髄でも脳でもかなり大きなコントロールを受けており、刺激の量と痛みの感覚・情動が単純に比例するわけではない。本当に奥深い。
それでは、実際に今、痛みを感じるとして、それにはどんな「種類」があるだろうか。
「今は、疼痛について、『侵害受容性疼痛』だとか『神経障害性疼痛』といったふうに分類することが多いです。これ自体、いろいろ齟齬(そご)はあるし、まだ喧々囂々(けんけんごうごう)としているような問題がたくさんあるんですけど、まず定義をつくらないと薬の開発もできないですしね。でも、その中でも、さきほど述べた、感覚・情動体験っていうのは一番の重要なところです」
「侵害受容性疼痛」と「神経障害性疼痛」というのは、字面はとてもいかめしい。
ただ、概念としてはそれほど難解なものではないと思う。
まず、「侵害受容性疼痛」というのは、切り傷や火傷、骨折といったもので、神経の末梢にある痛みセンサーともいえる「侵害受容器」が刺激されたときに起こるものだ。外からの刺激とその応答としての痛みという捉え方ができるので、その意味で単純だ。急性の痛みはこれが多く、慢性疾患でも関節リウマチや五十肩など患部の炎症や変形などで刺激が続く場合はこの要素が強い。
一方で、「神経障害性疼痛」とは、傷や炎症がないにもかかわらず、なんらかの原因で神経そのものが障害されて、痛みにつながるものだ。具体的には、帯状疱疹(たいじょうほうしん)が治った後に残る痛み、糖尿病の合併症の痛み、坐骨(ざこつ)神経痛、などなど。神経そのものがダメージを受けている場合もあるというのだが、まだまだ謎の部分も大きい。
もちろん、これらは、すっぱり分かれているわけではなく、両方の要素が混ざっている場合もあるし、どちらにも当てはまらないものもある。例えば脳卒中の後に起きる痛みは、末梢の受容器が刺激されたり、神経が障害されるよりも前に、脳にダメージがあるわけで、この2つのカテゴリーには当てはめにくい(そして、治療がとてもむずかしい)事例だ。
さて、痛みの定義や、種類について、おおまかに受け入れたとして、今度はそれをどう測定するかという問題に当たることになる。痛みは、あくまで主観的なものだ。だから、血圧を測定したり、血液を採取して血糖値や尿酸値がどれだけで、といったふうに客観的な指標を出すのが難しい。おまけに、かなり個人差もある。
「我々の中で問題となってくるのは、人によって痛みの受けとめ方は随分変わってくることなんです。同じ経験をしても、ある人にとっては大したもんでないかもしれないですけども、ある人にとってはすごく大変なことだったりします。やはり、打たれ弱い人というのはいますし、ものすごく大きなトラウマみたいになっているようなときにはすごく苦しむことが多くなります」
というわけで、あくまで主観である痛みを表現するには、やはりまずは主観からスタートすることになる。

「診断でも、薬の治験でも、使っているのは、まずはNRS、数値評価スケールというものです。痛みを0から10までで表現するとどうなるか。0が痛みなし、10が想像できる最大の痛みです。あるいは、100までで表すVASというのも使われます。いずれも、主観なので、もっと視覚化・数値化しやすいような指標を作ろうという動きはあります。脳の反応をMRIなり脳波なりでとらえて、ある種の特殊な病態について実際に因果関係があるのか証明していきましょう、ですとか」
とにかく現状では、痛みを訴える本人に「どれくらい痛いか数値で答えてください」と聞くのが一番簡便で信頼されている。ある人の「5の痛み」が、他の人の「5の痛み」とどう違うのかを考え始めるときりがなさそうだが、少なくとも治療の指針を立てたり、治療の結果、改善されたかどうかを確認するにはとても有用だ。
その上で、痛みはどんなふうに「発展」「展開」していくものなのか。
「急性のもの、たとえば、怪我の痛みというのは、その怪我が治れば消えていくものですよね。ただ、ややこしいのは、すべてがもとに戻るわけではないわけです。元通りには治らないような経過をたどっていったときは、ずっと痛いということも起きます。あるいは、怪我が完全に治っても、脳が痛みを記憶しているような場合もあって、やはり痛みが残っていきます」
脳が痛みを記憶するというのはどういうことだろうか。ちょっと不可思議な事態だ。最近、かなり知見が積み重なっていると思う。
「脳にはなにもしていないときにも活性化している『デフォルトモードネットワーク』という自発的な活動部位の一群があるんですが、健常者と比べて慢性の痛みを持っている人ではその活動がより活発に維持されている事がわかっています。すなわち脳が十分安静化できていないということですが、それらの関係もあって、一部の神経伝達物質の量が減ったり、同時に部分的な脳のシュリンク(縮小)だとかも出てきます。部分的な脳の縮小については、20世紀のうちにPTSD(心的外傷後ストレス障害)の人の脳で海馬が小さくなっているのが見つかったのが始まりで、その後いろんな追試が行われて、21世紀になってからは、慢性腰痛でもそんなことが起こっているとか、後で話をしますがCRPSという重たい疾患や、線維筋痛症という今のところ原因がはっきりしない病気でも起きていることも分かってきました」
これらが引き起こされてくるのと同時に、慢性疼痛の心理的、社会的な側面も深まっていく。社会環境や人間関係によって「修飾」されると聞いても、ぼくは最初ピンと来なかったのだが、痛みへの恐怖や不安から、患部を動かさないことで起きる、関節拘縮や骨萎縮など、直感的にも変化がはっきり理解できる事例を知って、まずは納得した。なにしろそれは「目に見える」ものだから。でも、それに限らず、信用や仕事を失って負のスパイラルに陥ったり、薬物や家族や医師に依存するなど、様々な要素が絡まってきて、痛みの悪化を進めてしまうのだという。
「以前は、『痛みをなくすには悪いところを治せばいい』という『生物医学的モデル』で治療をしていたんですが、実際には心理や認知の問題をも含めた悪循環の中で、慢性の疼痛がひどくなっていくわけですから、今では、痛みが心理的な問題や社会環境によって大いに左右されることを織り込んだ『生物心理社会モデル』に依拠しています。『心理的な問題』などというと、『気のせい』『気の持ちよう』『心因性』だとか言われてしまいそうですが、実際に、神経生理学的な異常や、脳へのダメージなどとしても観察されるわけです。最近は僕たちも『心因性』という言葉はできるだけ使わないようにしています」

このあたりは、「こういう原因があってこういう結果になる」というふうな単純な因果関係に落とし込んで語るのが、本当に難しい。様々な要素が、原因であり、結果でもあるようなネットワークを形作っているのだから。その「要素」には、これまで挙げただけでも、大もとになった怪我、動かさないことによる弊害、「動かさない」ことを固定化してしまう恐怖や不安、家族などとの依存関係、不眠、薬物や医師への依存などがあるわけだし、ミクロなことに目を移せば、神経生理学的な反応や、脳の働き、内分泌系の働きなどが常に関係している。
牛田さんは、「とらえどころなく動いていくアメーバのようなもの」「小魚の群れがぱっと反応していっせいに動いて形を変えていくようなイメージ」といった表現をしていた。アメーバというのは、時と場合によって形を変えて本当にとらえどころがないということだし、「小魚の群れ」というのは、どの一尾が最初に動くかというのはよく分からなくても、結果として、全体がわーっと動いて形を変えたり、別の方向に行ってしまったりするようなイメージだろうか。
次回は、具体的な患者さんの事例について教えてもらいつつ、特に心理的・社会的な側面も含めた、慢性疼痛の成り立ちをもっと見ていこう。
=文 川端裕人、写真 内海裕之
(ナショナル ジオグラフィック日本版サイトで2020年1月に公開された記事を転載)
1966年、香川県生まれ。愛知医科大学医学部教授、同大学学際的痛みセンター長および運動療育センター長を兼任。医学博士。1991年、高知医科大学(現高知大学医学部)を卒業後、神経障害性疼痛モデルを学ぶため1995年に渡米。テキサス大学医学部 客員研究員、ノースウエスタン大学 客員研究員、同年高知大学整形外科講師を経て、2007年、愛知医科大学教授に就任。慢性の痛みに対する集学的な治療・研究に取り組み、厚生労働省の研究班が2018年に作成した『慢性疼痛治療ガイドライン』では研究代表者を務めた。
1964年、兵庫県明石市生まれ。千葉県千葉市育ち。文筆家。小説作品に、肺炎を起こす謎の感染症に立ち向かうフィールド疫学者の活躍を描いた『エピデミック』(BOOK☆WALKER)、夏休みに少年たちが川を舞台に冒険を繰り広げる『川の名前』(ハヤカワ文庫JA)、NHKでアニメ化された「銀河へキックオフ」の原作『銀河のワールドカップ』(集英社文庫)とその"サイドB"としてブラインドサッカーの世界を描いた『太陽ときみの声』『風に乗って、跳べ 太陽ときみの声』(朝日学生新聞社)など。
本連載からのスピンアウトである、ホモ・サピエンス以前のアジアの人類史に関する最新の知見をまとめた『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』(講談社ブルーバックス)で、第34回講談社科学出版賞と科学ジャーナリスト賞2018を受賞。ほかに「睡眠学」の回に書き下ろしと修正を加えてまとめた『8時間睡眠のウソ。 日本人の眠り、8つの新常識』(集英社文庫)、宇宙論研究の最前線で活躍する天文学者小松英一郎氏との共著『宇宙の始まり、そして終わり』(日経プレミアシリーズ)もある。近著は、「マイクロプラスチック汚染」「雲の科学」「サメの生態」などの研究室訪問を加筆修正した『科学の最前線を切りひらく!』(ちくまプリマー新書)
ブログ「カワバタヒロトのブログ」。ツイッターアカウント@Rsider。有料メルマガ「秘密基地からハッシン!」を配信中。
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