配信だけの新作ミュージカルに込めた夢(井上芳雄)
第85回
井上芳雄です。政府による緊急事態宣言が再び出されて、演劇界でも先行きが不透明な状況が続いています。一刻も早い収束を願いつつ、僕は初めての試みとして、1月17日にオリジナル配信ミュージカル『箱の中のオルゲル』に挑みます。ゼロから自分たちで物語や世界観を創り上げた新作を、配信だけでお届けします。

まずは年末年始の話から。みなさんはどんなふうに過ごされましたか。僕は例年よりも長く休みをとれました。予定していた帰省はできず、ずっと東京にいて、家族とゆっくり過ごしました。ただ休みの間にも、いろんなカンパニーで感染者が出たという話が入ってきたりして、どこか心が落ち着かない毎日でしたね。
僕自身のことで言えば、一番うれしかったのは10年以上ぶりくらいに牡蠣(かき)を食べたことでしょうか。以前、あたって苦しんだことがあって、それ以来、食べるのを控えていたのです。公演の稽古や本番に差し障りがあるといけないから。でも、今年は休みが長いから、あたったとしても他の人に迷惑がかからないだろうと思って、決死の覚悟で食べました(笑)。あぶって火を入れて。信じられないくらいおいしかったですね、こんなに豊かな味だったのかと。そのくらい久しぶりだったし、それだけ長い間、本番をずっと抱えていたんだという感慨とともにじっくり味わいました。
大晦日には、『ダウンタウンのガキの使いやあらヘんで! 絶対に笑ってはいけない大貧民GoToラスベガス24時!』(日本テレビ系)を見ました。オープニングで、神田沙也加さんと一緒に登場して、ミュージカルの舞台そのままの感じで『マンマ・ミーア!』の替え歌を歌いました。ネタバレ厳禁なので誰にもお知らせできなくて、知らずに見て驚いた人も多かったみたいです。いろんな人から連絡がきて、いつにない反響の大きさに、この年末は家にいる人が多いのだろうなと実感しました。
撮影したのは11月。ミュージカル『プロデューサーズ』の公演の最中です。昼公演と夜公演の間に、楽屋で歌や振りを覚えて、リハーサルが1日あって、本番は早朝から。10時ぐらいに終わり、そのまま急いで劇場に入って、昼公演に出るというハードなスケジュールでした。屋外の芝生の上で歌い踊ったのですが、何が難しかったかというと位置取り。僕と沙也加さん、ダンサーの方たちが立つ位置に目印はあったのですが、芝生なので行ってみたら全部が緑……。どこに立てばいいのかが難しかったですね。でも、だいたいうまくいったんじゃないかな。視聴者の方に、ミュージカルはこんな人がこういう感じでやっているんだ、と知ってもらえるだけでも貴重な機会だと思い、一生懸命歌い踊りました。
衣装も本格的で、ダンサーもいて、ドローンを飛ばして空からも撮ったりと、大がかりな撮影でした。沙也加さんも、吉本興業の藤原寛さんも入念に準備や練習をされていたし、僕もそう。6時間に及ぶ番組のいろんなパートで、これほどの労力をかけてつくっていると思うと、すごいことです。普段僕たちはお茶の間で楽しく見ているだけですけど、大晦日の看板番組とあって、つくる側の気合いは大変なものでした。映像のバラエティーでも舞台のミュージカルでも、ものをつくる現場の熱気は一緒ですね。
物語のある長い1曲のようなミュージカルに
さて、そのミュージカルですが、1月17日に初めての試みとして、オリジナル配信ミュージカルに挑戦します。『箱の中のオルゲル』という新作です。出演は僕と咲妃みゆさん。作曲・ピアノは大貫祐一郎さん、作・演出・作詞は安倍康律君です。僕のラジオ番組『井上芳雄 by MYSELF』(TBSラジオ)から生まれた企画で、たまたま緊急事態宣言が再び出たタイミングでの開催になりましたが、動き始めたのは昨年の夏くらい。自粛が明けたころ、ラジオのリスナーの方やミュージカル好きのお客さまが楽しめる、ミニミュージカルのようなものを創れたらいいね、と僕が何気なしに言ったことが、実際に進んでいって形になりました。最初は1人ミュージカルのつもりだったのですが、咲妃さんをゲストにお迎えして、スタジオにセットを組んで、衣装も着てと大がかりになって、とてもミニとはいえなくなりました。時間は1時間を予定、曲は全部で8曲あります。
物語や世界観は、ミュージカル俳優仲間の安倍君と一緒に創りました。彼は「ぼるぼっちょ」という劇団を主宰していて、僕のラジオ番組発のコンサートでは構成をしてくれています。僕が最初言ったのは、ひとつのシチュエーションで物語のある長い1曲のようなミュージカルにしたいねと。それに応えて、安倍君がストーリーやキャラクターを生み出してくれました。ネタバレにならない範囲で言うと、オルゴールの話です。オルゲルは、どこかの国の言葉でオルゴールのことだそうです。時が移り変わっていくなかで、オルゲルが出会った人たちや、見てきた光景を音楽にのせて奏でます。
創りながら、安倍君も大貫さんも僕も、ロマンチストなんだと思いました。多少の恥ずかしさもありながら、おじさんたちが集まってロマンチックな夢のお話を作ったという感じ(笑)。ただロマンチックなだけじゃなくて、今につながる要素もあります。また緊急事態宣言が出て、自由に行き来ができなかったり、外に出られないという状況と、オルゴールの中にいて外に出られないというシチュエーションが重なるし、音楽を奏で続けるという使命も、自分たちがやっていることとリンクしてきます。今の状況下で生きる人たちにとって、多少なりとも慰めになればうれしいです。
ゲストの咲妃さんとは、昨年『シャボン玉とんだ 宇宙(ソラ)までとんだ』で共演しました。情感豊かですてきな女優さんです。出会いと別れを表現するのに、相手がいてくれた方が話が膨らむので出演をお願いしました。初めてのことだし、稽古もそれほどできないので不安もあるでしょうけど、「楽しみです」と言ってくれて、ありがたい限りです。
音楽は、大貫さんが初めてミュージカルの曲を作ってくれました。年末年始にずっと作詞の安倍君とやりとりして頑張ってくれて、どれも素晴らしい曲です。大貫さんは基本的に伴奏者とアレンジャーなので、曲はそれほど作ったことがないのですが、シャンソンをよく伴奏するし、ミュージカルの曲も一緒にたくさんやってくれているので、そこから得たものがあるのでしょう。大貫さんの曲の特徴は、ピアノでメロディーを作るので音符がたくさんあって、音が飛ぶときも多いし、僕の音域の上下も知っていて、それをマックスで使うから音域が広い。歌うのがすごく難しくて、体力がいります。最初に作った『幸せのピース』がまさにそうでした。そこから何曲か作って、今回はまた新しい変化というか、進化を感じました。すごくシンプルな曲や、メロディーの高低もミュージカルとしての感情に寄り添っていたりと、いろんなバリエーションを見せてくれていて、美しいメロディーラインがたくさんあります。ミュージカルのいいところは、物語の中でそのメロディーが出てくるので、より感動的になること。通して演じるなかで歌うのが、とても楽しみです。
作・演出・作詞の安倍君は、とにかく書くのが早い。こういう物語を作りたいというエネルギーにあふれています。野田秀樹さんやKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんといった、彼が見てきた演劇の作家の影響なのか、言葉遊びをしたり、笑いを入れたりするのが好きです。すごく笑えるところがたくさんあるし、韻を踏んだりして日本語を生かす作り方を意識的に取り入れています。おとぎ話のような、国や時代を限定しない世界観も特徴で、その中で普遍的な話を書くというスタイルではないでしょうか。「ぼるぼっちょ」という自分の劇団名も造語らしいし、劇団のお芝居では役名も聞いたことがないようなものにしたりします。今回はもう少し具体的に、人の名前と分かるものにしようとか、国や時代は分からなくてもいいけど、ヨーロッパのどこかだよね、とか話しながら決めていきました。架空と現実のバランスが、ちょうどいい案配になったように思います。
すぐ隣で起こっている話と感じてもらえるように
配信だけのミュージカルは初めてなので、実際やってみないと分からないところもあるのですが、演技も劇場とは違ってくるのかなと考えています。何台かのカメラで撮ってもらうので、演技のサイズ感はドラマや映画といった映像と一緒。大劇場でやるような声量や大きなアクションは必要ないし、かといってドラマのサイズで歌ったり踊ったりというのも僕はしたことがない。その中間地点、演劇的な表現のよさを残しつつ、パソコンの画面で見てもくどくない演技になりそうです。配信だけを想定しているので、カット割りやカメラワークを含めて、劇場ではないところでやるミュージカルのよさを探ってみたい。広い空間で大きく演じているのではなく、すぐ隣で、それこそ自分が持っているオルゴールの中で起こっている話かというくらい近しい感じが出せたらいいですね。
今後はこういう配信ミュージカルが増える可能性もあるし、とにかく1回経験してみるのは大事なこと。なによりオリジナル配信ミュージカルという新しい経験ができることは純粋にワクワクします。どんなものになるか、みなさんもお楽しみに。

(日経BP/2700円・税別)

「井上芳雄 エンタメ通信」は毎月第1、第3土曜に掲載。第86回は2021年2月6日(土)の予定です。
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