辻惟雄(2)名古屋生まれ
あだ名「めそめそピーピー」 大叔父の遺言で辻姓に
[有料会員限定]
生まれたのは名古屋市西区の白塀町(しらへいちょう)で、名古屋駅から西に歩いて10分ほどの町中にある小さな平屋の家だった。1932年(昭和7年)6月22日、父千秋、母静江の次男である。2つ上に兄の弘雄、4つ下に妹の栄子がいる。本名は都筑(つづき)惟雄。名字がなぜ辻に変わったのかは後ほど説明する。
都筑家は江戸時代から続く米穀商だった。父方の祖母、ふみの話では、名古屋の「十人衆」に数えられた大店(おお...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り1082文字

美術史家の辻惟雄さんは江戸絵画史の研究に新風を吹き込み、伊藤若冲らを「奇想の画家」という視点から紹介し、一大ブームを作りました。岐阜の産婦人科医の次男として医師になるべく東大に入ったものの、医学部での学業を断念し文学部に進みました。挫折の連続だったという辻さんが美術史でいかに独自の世界を築いたか、知られざるエピソードを交えながら明かします。