福川伸次(28)日中関係
調査団で投資を後押し 日中韓FTA構想は不発に
[有料会員限定]
私は子どもの頃の体験などから、日中関係の発展に寄与したいと考えていた。
1988年10月、通産省が中国投資環境調査団を出すことになった。日本興業銀行の池浦喜三郎会長が団長、私は顧問として参加した。大連、北京、天津、上海を10日程度かけて訪問し、各地の市長が熱心に接遇してくれた。
上海市では旧知の朱鎔基さんが市長だった。彼は浦東開発に情熱を燃やしていた。私が「日本では土地収用がネックになる」と質問し...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り1176文字

元通産次官の福川伸次さんは戦後の通商産業政策に長く携わりました。高度成長やオイルショック、日米貿易摩擦といった歴史の一場面に日本の政治や官僚機構が何を考え、どう対処したのか詳しく語ります。また自民党の激烈な「40日抗争」、初めての衆参同日選、大平正芳首相の急逝など、大平首相の秘書官として目撃した激動の時代の裏側を明かします。
関連キーワード