木内監督の「ごじゃっぺが」 心の中でいつまでも
野球解説者 仁志敏久
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11月24日午後7時すぎ。携帯電話の画面を見ると、茨城・常総学院高の先生の名前が表示されている。聞かずとも話の内容は分かっていた。恩師である木内幸男監督は別れも告げず、逝ってしまった。
とうとうこの時が来てしまった。高校野球に人生を捧げ、名将と呼ばれた89年の人生に恐らく悔いはないだろう。もう年だからと、人生が終わることを本人は恐れてはいなかった。最後まで木内監督らしい生き方である。悲しいわけでは...
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